お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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ガードレールに紅い花2008/06/02

ガードレールに紅い花
 歩道のガードレールの一角だけに、蔓がまきつき、小さなジャングル状態です。その蔓は、別の植物なのですが、そのなかに目立つ赤色の花が咲いていました。バラなんでしょうか?
 雨の日に撮りました。実際は、もっと濃い赤です。
 使い慣れないカメラなので、接写はうまくいきませんでした。

歩道の並木の陰で2008/06/02

歩道に二輪、黄色い花
歩道の並木。その足元に二輪だけ小さな花が咲いています。ほとんど目立つことがないので、見えてはいるけれど、見て通る人がいるとは思えません。だれが植えたのかわかりませんが、鋭角的な花びらと茶色のグラデーションのかかったストライプ。いいデザインですね。

「滋賀会館がなくなるって?」2008/06/03

滋賀会館大ホールのドア
 「滋賀会館がなくなるって?」という話があるイベントの最中にささやかれた。琵琶湖文化会館が休館に追い込まれたばかりである。胸に痛みが走る。



 こういう場合、その情報の確かさと県の真意を確かめることが大事である。愛着をもっている私としては、黙って受け入れることは、とても出来ないのである。
 滋賀県の公式サイトでは、つぎのように通知されている。
滋賀県では、平成17年2月に策定した「公の施設の見直しについて」の方針を踏まえて、滋賀会館のあり方について廃止も含め検討しておりましたが、10月3日に「滋賀会館は平成21年度末をもって文化施設としては用途廃止する」という検討結果を示しました。
また、施設・設備の老朽化および維持管理経費の増大等を理由に、文化施設としての用途廃止に先行して、平成20年9月末をもって大ホールの供用を廃止するとの方針を併せて示しました。
このため、平成20年10月1日以降の大ホールの使用申込みの受付を停止することとなりましたので、ご理解いただきますようお願い申し上げます。
なお、中ホールおよび集会室については、平成22年3月末まではこれまでと同様にご使用いただけます。



 私としては、この大ホールのドアが閉まってしまうことを望まない。

Антон Чехов : Чайка(チェーホフ「かもめ」)2008/06/03

Антон Чехов : Чайка
 先日、パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」(ロシア語版)をジュンク堂で見つけて、買うのを躊躇したあげく、買わなくて後悔したということを書いた。
 この話を息子のK君にしたら、「明日立ち寄るついでに、買ってきてあげる」ことになった。書籍の場所と白い背表紙の本だと教えたうえで、題字をロシア語で書いて手渡した。《Доктор Живаго》。
 夕方に仕事場のケータイが鳴った。「ない」という。再度場所を教えたら、メールが来た。書棚の写真つきである。
 確かにない。「予約しておく」というので、頼んだら、「このなかの一冊買って帰ろうか」というので、「チェーホフを」といったら、「わかった」という。英語的には、Chekhov かな?でも、ロシア語では、Чехов。
 ちゃんと届くか心配したら、上の写真のとおり、正解だった。予約票を見ると、「ドクトル・ジバゴ」の文字がちゃっとしたロシア語で手書きになっている。
 「これだれが書いたの?」「店員の人が『勉強したけど、もうわすれているかなぁ』といいながら書いた」という話である。そういう店員がいることがうれしかった
 茶色の背表紙の本は、ドストエフスキー、ゴーゴリ、トルストイなど文豪の主な著作が収録されているシリーズである。
 チェーホフの巻のタイトルは、《Вишневый сад》(「桜の園」)である。目次を見ると、「イワーノフ」、「かもめ」「ワーニャ叔父」「三人姉妹」「桜の園」などが収録されている。
 せっかくだから、「かもめ」《Чайка》から読むことにした。
 以前にTVでモスクワ芸術座の日本公演を見た記憶があるし、そのときに、ニーナのセリフ(《Умей нести свой крест и веруй.Я верю и мне не так больно,и когда я думаю о своем призвании, то не боюсь жизни.》を覚えていたからである。
 つまるところもあるけれど、そういうときは、木村彰一さんの訳を手引きにして、読みはじめた。
 チェーホフはこの戯曲を「喜劇」と名づけているが、それは、相当に達観したものである。変な例かも知れないが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくる釈迦のような立場。私は、釈迦はずいぶん冷たいと感じたのだけれど、チェーホフのまなざしも同じような冷ややかさを感じるのだ。相当屈折した愛情であると。しかし、希望はある。それが、上のニーナのセリフである。
 甘い幻想から出発し、自分の人生をボロボロにし、心を病みながらも、たどり着いた希望。それでも、決して遅くはないのだ。生きていれば。
 「かもめ」をご存知な方なら(・・・《свoй крест》が「自分の十字架」を意味するといえば)、どこかわかると思います。

ニーナの狂気@「かもめ」2008/06/03

どうも名作というのは、心を騒がせるものですね。
読んでから一日たっても、まだ余波から
抜け出ることができません(笑)。
お昼休みに「かもめ」の映像の探しました。

チェーホフの「かもめ」は、戯曲です。
内面的なセリフをどう解釈して、舞台でどう演じるのか。
とても、興味がわくところです。

劇のクライマックスですが、純粋な(ともいえません、 おろかな野心をもっているというのが正しいのでは) ニーナが2年ぶりにもどってきます。
私生活と役者としての生活の破綻。
ときどき「私はカモメ」と口走るような狂気を帯びています。
しかし、過去との再会(正面から向かい合うこと)は、 ニーナにとっては、決別と再生のプロセスともなります。

ネットで探して、見つけたのですが、・・・・・う~ん、
私のイメージとはちがいました。
迫力がありすぎて、たじろぎました。
二分割になっています。

ニーナとトレープレフとの再会(前半)

ニーナとトレープレフとの再会(後半)

杉浦日向子 『ニッポニア・ニッポン』(ちくま文庫)2008/06/03

杉浦日向子『ニッポニア・ニッポン』
「ニッポニア・ニッポン」とは、トキの学術名ですね。それが、このマンガ集に使われているのはなぜか、・・・なんてことは考えないことですね。
 冒頭の『殺生』は、摩訶不思議な世界です。唯一二色刷。血をあらわす赤が印象的に使われています。黒澤明監督の『天国と地獄』と同じような効果がありますね。
 摩訶不思議さというのは、マンガの魅力。『鏡斎』もそうですね。
 『月夜の宴』は、さわやか系。
 杉浦日向子さんのマンガも読んだ後に、物憂げなためいきが出るのはなぜなんでしょうか。

 ちなみに、巻末についている中島梓さんの「解説 彼女はタイムトラベラーである」は、とてもいい文章でした。

つげ義春 『別離』と邂逅2008/06/04

つげ義春『義男の青春 別離』(新潮文庫)
 つげ義春さんの名前もマンガも『ガロ』の時代から知ってはいます。私は興味をもちましたが、近づくことができない気がしていました。心の向きが変わったのは、佐々木昭一郎さんNHKで制作したドラマ『紅い花』(1976年)を見たときからです。
 こんな叙情的な世界を描いていたんだと、”再発見”したのです。
 それから、ずいぶん年月が過ぎました。
 先日、K君の本探しにつきあって、京都三条のブックオフの店内を回っていたときに、『ねじ式』(小学館文庫)と『義男の青春 別離』(新潮文庫)を見つけました。つげ義春のマンガはもう一冊あったのですが、つまらない時代劇だったので買いませんでした(丁寧に見ていないので、ほんとうにそうかは・・・「?」)。
 その日は、杉浦日向子のマンガをさがしていたのです。見つからなかったので、なにか心にひっかかりを感じるつげ義春の本を、買ってみることにしたのです。
 なにかっていうのは・・・かつて遠かった世界が、いま自分にどう写るのか知りたいと思ったのです。
 10代にもならないときに、絵本をたくさん読みました。そのなかで、なんともやりきれない憂鬱を覚えた本があったのです。題名を思い出すことはもうできません。工場が並ぶまち、そこに働く人たち。そこに魔法使いのような人物が登場して、不思議な砂をまいていきます。すると、工場はとまり、休みなく働く人たちは、眠りにつき、つかの間の休息が与えられる・・・。この本は見るとなにか得体の知れない恐怖を感じたものです。それは、自分がこれから入ってゆかなければならない実生活への恐怖のようなものかも知れません。
 つげ義春さんのマンガの世界には、希望を感じません。薄っぺらい希望や暖かい人間関係の世界は排除されています。やさしい母親はいても、人情あふれる下町の風景はありません。生活は過酷で、人々はそれぞれ勝手に生きています。伝記的作品から、もどるべき”楽しい幼年時代”が存在しなかったことがわかります。救いは、主人公を通して、作者の繊細で傷つきやすい魂を感じることができることぐらい。
 つげ義春のマンガを最初に読んでから、長い年月がたちました。そのなかで、私自身も変わったことを発見しました。『別離』(1987年)の行き場のない世界を、10代とは違って身近に感じることができるようになったからです。

赤いミズバショウなんでしょうか?2008/06/04

赤いミズバショウってありますか?
 遠くから見ると、チューリップのように思えました。ちかづくと、これは、ミズバショウかなと思いました。でも、ミズバショウって白・・・。
 それで・・・正解はなんなんでしょう?

ピンクのアジサイ(つぼみ)2008/06/04

ピンクのアジサイ
ピンクのアジサイを見つけました。これから咲くのが楽しみです。

ピンクのアジサイ(すこし咲き始め)2008/06/04

ピンクのアジサイ2
一眼レフに慣れていたので、そうではないカメラでは勝手が違います。狙ったところにうまくピントが合っているのか、いつも心配。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)