お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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大津市の戦跡(6) 「戦跡」にする努力2009/04/20

「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の見学会
戦争の実相は、私たちをいやおうなしに、
戦争を回避する人に変えると、信じています。

もちろん、世の中には、戦争を美化し、
過去の犠牲者を英雄にし、新たな
戦争に駆り立てる人たちが存在しています。
その立場で、記念碑が建てられ、物語が
つくられていきます。

つまり、「招魂社」にはじまる流れは今も存在します。

しかし、私は、なによりも、
戦争の素顔を明らかにすることが
大切だと思っています。
過去を美化することなく、
正しく伝えていくことが大事だと思っています。

同じ戦争の遺産をめぐっても、賛美する立場と
否定する立場では、遺産の扱いが露骨に分かれます。
過去の戦争を賛美する人たちが
政権についている場合には、
戦争の悲惨さを伝える大事な遺産が、
雨ざらしにされ、捨てられる場合も生まれています。

旧大津陸軍墓地は、バイパスによる部分的な
破壊に見舞われましたが、代替地を得て、
少なくとも面積と墓碑は確保されています。
そして、奉賛会の人たちは、過去の英霊を
悼む思いから、毎月、清掃を続けられ、
下の写真(この4月:旧大津陸軍墓地にて)のように
一つ一つの墓石に花を手向けられています。



奉賛会の方々の努力には頭が下がります。
しかし、それだけでは十分ではないと思うのです。

そこに葬られている人たちが
どういう人たちであったのか、
どういう中で生きて、また死を迎えたのか。
それらを明らかにしなければ、いけないと
私は思いました。
不思議なことに、「ぜひそうしてくれ!」
そんな声が聞こえたきがしたのです。

そうして明らかになったことは、
私の胸にしまっておくのではなくて、
戦争とはなにか、その犠牲とはなにか
を真剣に考えようとする人たちと
共有できるようにする義務が
あるように感じたのです。

家族はそんな事情は知りませんから、
突然の熱中を不審に思っていました。

このブログで「旧大津陸軍墓地」の記事を
エントリーし始めたある日、
「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」
小田康徳先生から、連絡をいただきました。
私は、ネットでこの会の存在をしっていましたし、
HPも拝見していました。
ですから、とてもうれしく思ったのです。



上の写真は、私が、この会の見学会に
はじめて、参加した時のものです。
墓地と墓石を表面的に見ていたのでは、
わからない事情がたくさんあります。
驚きの事実を知ることによって、
「本来はモノにすぎない墓石や碑が、
 なんて多くを語り始めるのだろうか」
と私は、感嘆したのです。

下の写真は、それを共有する努力の一端を示しています。



モノは、ただそこにあるだけでは、
戦跡にはなりません。
それがなにであるのか、どういう意味があるのか、
われわれの語り部となる努力のなかで、
つまり、真実を明らかにする努力のなかで、
建物や石柱など、声なきモノが、
戦争を避ける力を与える「戦跡」と
なるのだと私は強く思ったのです。


公がまともに調査と保存に乗り出さないもとで、
それを国に要求するとともに、ボランティアとして
大津の戦跡を明らかにすることを、
セカンドワークにしようと決めたたのです。

それから、2年ちかく経ちます。
今、どこまで到達したのか、
このシリーズのエントリーのなかで、
できるかぎりお伝えしたいと思います。

おつきあいいただければ、幸いです。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)