お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
小学校の統廃合の波のなかで ― 2009/10/22
話をきいていると、「甲賀市立小中学校の適正規模及び適正配置に関する基本的な考え方について(答申)」が、今年の6月に出されたそうです。見せていただきましたが、「小学校については、 各学年2学級程度を理想」「確保が困難である場合には、学校の再編等を行う」と明記されています。
住民との合意を大切にするとも書かれていますが、こういう答申自身が統廃合への布石となっているのだと思います。
地域にとっては、かけがえのない中心であり、思い出が共有される場所だと思います。もちろんそれだけではないでしょうけれど。
少人数化を歓迎する人もいれば、より多数のなかで育ってほしいという人もいることでしょう。財政上の理由というのは、ありえるかもしれませんが、強権的な対応ではなく、子ども達の育ち合いをなによりも大事にすべきことだと思います。
私には、少ない人数が、いけないこととは思えません。
住民との合意を大切にするとも書かれていますが、こういう答申自身が統廃合への布石となっているのだと思います。
地域にとっては、かけがえのない中心であり、思い出が共有される場所だと思います。もちろんそれだけではないでしょうけれど。
少人数化を歓迎する人もいれば、より多数のなかで育ってほしいという人もいることでしょう。財政上の理由というのは、ありえるかもしれませんが、強権的な対応ではなく、子ども達の育ち合いをなによりも大事にすべきことだと思います。
私には、少ない人数が、いけないこととは思えません。
モーの大あくびの時間です ― 2009/10/22
う~ん、どういう表情なんだろう ― 2009/10/22
黒川祐次 『物語 ウクライナの歴史』(中公新書) ― 2009/10/22
お昼休みにパルコに行く。紀伊國屋書店で本を物色。いつも買いそうにない本にしようと決め、iphoneの裏技本とともに、黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』を購入。
著者は1944年、愛知県生まれ。外交官を経て、大学教員。ウクライナ大統領選挙の際に、日本監視団団長を務める。
ところで、私が、ウクライナ史を読むのは初めてではない。学生時代は、日本語の本がなくて、民族的バイアスのかかったロシア語の本(アカデミー版の公式史)か、それとも民族色の強いウクライナ語からの英語訳の本しかなかったのだ。図書館にウクライナ語の原本があったけれど、読む余裕も力ももたなかった。
初めてウクライナのことを知るという人も、この本を読めば、いわゆるロシア史と重なる部分(キエフ・ルーシはウクライナ史そのもの)が多いことに気づく。「ウクライナは確かに存在していたが、これまでは地下水脈のように何世紀も表には現れないできた。」という中身に関わる問題がここにある。
ソ連が崩壊し、ウクライナ国家が誕生したおかげで、気軽に読めそうな気がする。
著者は1944年、愛知県生まれ。外交官を経て、大学教員。ウクライナ大統領選挙の際に、日本監視団団長を務める。
私は私自身がウクライナを「発見」したように、日本においてもウクライナが「発見」されるべきだと考えるようになった。こうして私はウクライナを紹介する本を書こうと思い立ったが、やはり、ある国なり民族に関する知見の基礎になるものは歴史であるので、ウクライナの歴史を通してこの国を紹介したいと思う。著者のこういう思いに支えられた本である。
ところで、私が、ウクライナ史を読むのは初めてではない。学生時代は、日本語の本がなくて、民族的バイアスのかかったロシア語の本(アカデミー版の公式史)か、それとも民族色の強いウクライナ語からの英語訳の本しかなかったのだ。図書館にウクライナ語の原本があったけれど、読む余裕も力ももたなかった。
初めてウクライナのことを知るという人も、この本を読めば、いわゆるロシア史と重なる部分(キエフ・ルーシはウクライナ史そのもの)が多いことに気づく。「ウクライナは確かに存在していたが、これまでは地下水脈のように何世紀も表には現れないできた。」という中身に関わる問題がここにある。
ソ連が崩壊し、ウクライナ国家が誕生したおかげで、気軽に読めそうな気がする。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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