お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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坂本龍馬の墓碑とその周囲2011/09/08

坂本龍馬の墓碑の周囲
 霊山墓地の一番人気は、まちがいなく坂本龍馬(竜馬)の墓碑である。私が訪問したのは平日である。それでも、この墓碑をめあてに、多くの若い世代が訪れている。
 坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)の墓碑は、あまりに小さく、細くたよりなげである。その大きさは、周囲の墓碑よりも、小さく感じる。ただ、墓碑は桂小五郎が揮毫している。
 この墓碑に手をあわせる若い女性が絶えない。しかし、他の墓碑に興味を覚えることができない様子である。一通り回って立ち去るカップルやグループと何度もすれ違う。

コメント

_ やつしろ ― 2011年09月08日 03時19分15秒

素晴らしいお休みで、イッパイ収穫がありましたね。
きちんと写真がありますので、効果抜群です。私なんか、邪魔臭いので、カメラを持参しないので、いつも後で悔やんでいます。

 今日(9月7日)、ちょっと暇になったのと、10日までに使わないと、ということで、青春切符利用・・・、安曇川、敦賀(小浜線)東舞鶴、福知山(福知山線)篠山、尼崎、大阪、京都、安曇川まで、ぐるっと廻るつもりで、安曇川発9時3分の新快速に乗りましたが、車内は子供無しの青や茶や灰色でイッパイ・・・敦賀まで立ちっぱなし・・・すっかり疲れて・・・敦賀からソウソウと安曇川に帰って来ました・・・外の景色を見ながら音楽を聴く・・・という楽しみは、帰りだけでした・・・

 仕方なしに、午後は、迷惑そうな妻を誘って、「マタ、墓巡り・・・」。
 探し探し・・・新旭、今津を中心に、10箇所ぐらいの墓地を彷徨いました。
収穫はイッパイありましたが、目的の日清は「なし」・・・、日露は「2基」だけ。

 新旭町饗庭の木津墓地で明治39年建立の「故陸軍歩兵伍長内藤秀吉さんの角形石塔」、今津町浜分墓地で明治37年の「故陸軍歩兵一等卒洲崎善吉さんの砲弾型石塔」です。(写真が無く、残念です。)
 どの墓地も、埋葬専用だったのを、最近になって墓石を導入したものです。
その中で、やっぱり日露戦役の墓石は、特別扱いにされていました。
戦後建てられた規格のキチンの並ぶ小さな墓石は、あなたのおっしゃる道場の名札みたいで、気の毒なだけです。

_ BIN★→やつしろさん ― 2011年09月08日 09時13分04秒

お疲れ様でした(笑)。
新旭でまだ見つけていない墓碑がいくつかりました。
探索に行かれて、収穫があったことがなによりです。
さっそく、調べてみようと思いました。

今度お訪ねしたときに、奥様にもお土産が必要ですね。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)