お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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高杉晋作の墓碑は新しい・・・?2011/09/11

高杉晋作の墓碑@霊山墓地
 司馬遼太郎『世に棲む日日』、池宮彰一郎『高杉晋作』、古川薫『高杉晋作 わが風雲の詩』などで描かれている高杉晋作。「霊山墓地」にある墓碑は、上の写真でわかるように新しいものでした。左側面に「昭和四十九年十月十四日建」。
高杉晋作の墓碑の背面@霊山墓地
 背面には「慶応三年四月十四日下関で病死」と刻まれています。実は、正面を見る前に、この部分が目立ったので撮影しました。高杉晋作の墓碑と気づかずに。なぜなら、他の墓碑は空白でしたから。
 今見る高杉晋作の墓碑は建て替えたのでしょう。しかし、それはまたなぜ?こういう歴史的な墓地に、戦後に新しく墓碑を入れ込むとは考えられません。よほど痛んでいたのでしょうか。

コメント

_ やつしろ ― 2011年09月11日 15時36分27秒

もともとお墓は、その人の生まれ育ったところに、遺体や遺骨や遺髪を葬り、最終的に墓石を建立したものです。
ところが、後日、有名人になるとチョットした関わりのある土地に「〇〇の墓」を建て、人を惹きつけようとします。
そんなことをしている神社仏閣は、いくらでもあります。
小野小町、在原業平などのお墓は、全国に10箇所以上もあります。
(滋賀県にも、在原、小野という在所が昔からあり、関係有とされています。)
高杉晋作の墓は、公的には下関にありますが、全国の招魂社には、「高杉晋作の墓」なるものが、存在します。(それも、お墓なんでしょうかね?)

_ BIN★→やつしろさん ― 2011年09月12日 00時03分01秒

 死んだ人は自分の意思をあらわせませんから、死後どういう扱いを受けるかについては、無力です。生前の生き方や意思に添うのが一番いいでしょうね。
 輜重卒として生前は酷い扱いをしておきながら、死後は軍神として働かせるというのは、いいとは思えません。商業的な活用も同じですね。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)