お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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公園の入り口のヘクソカズラ2009/07/05

公園の入り口で、ヘクソカズラがお出迎え
街中の公園。
人が来そうになくて、草がはえ放題になっています。
日陰がないからなんでしょうね。

奥には、ベンチとアジサイ。
そこだけ撮るとキレイに見えますね。
でも、そんな写真って、撮る値打ちがあるんだろうか?
人には見捨てられているけれど、
野草が「うれしくて仕方有りません!」状態で
生えているのもいいんじゃないでしょうか。
・・・う~ん、とはいっても乱雑。

入り口に、鉄のポールがあって、
車の侵入を止めています。
駐車場に使われては困りますってことですね。

その横は鉄網。
枠はペンキが何度か塗られていますが、
網は錆びて、ゆがんでいます。

そこにひょろひょろ、ヘクソカズラ。
あ、なんかユーモラスじゃないかと撮りました。

カタバミが飾る路地の石垣2009/07/04

カタバミが飾る路地の石垣
旧市街は、路地が方々にあります。
なかの様子はさまざま。
石垣や土塀、トタンや家屋そのものなどに
囲まれた細い道を通り抜けていきます。

そこは、地味な通過点なので、
だれもが足早にすぎています。
けれども、丁寧に見れば、
日が差し込む場所には、たいてい
カタバミが咲いています。

小さいので、だれも気にしないし、
摘むなんて野暮なことはしないのです。

上の写真で、カタバミに気がつきましたか?
近づけば、とてもチャーミング。

Paederia scandens っていう草ですよ2009/06/26

Paederia scandens っていう草ですよ
Paederia scandens と書けば
「なんだろう?」
ってと思いませんか?

それだけのイタズラ。

表意文字である漢字で書けば、
屁屎葛
読めなくても、意味がわかります。

毎年、一度は話題にしたくなる草。
草と人とのユーモラス関係を
あらわすステキな名前。
花の先にくっつけて遊んだヘクソガズラ。

なぎさ公園で見つけました。

四つ葉のクローバー まだ元気です2009/06/09

四つ葉のクローバー、茎のしたから根が生えていました
4月30日に、見知らぬ人から、
四つ葉と五つ葉のクローバーをいただきました。

「押し花にしてください」といわれましたけれど、
緑のままにコップに生けておきました。

五つ葉はしばらくして、枯れました。
そういえば、最初から元気がありませんでした。

四つ葉のクローバーはまだ元気で、
窓辺でラッキーパワーを送っています。

きっと、この一ヶ月間、いろんな災難から
私を救ってくれたのでしょうね。

「茎だけなのに・・・」と見たら、写真のように
りっぱなヒゲ根が生えていました。

生きぬくために、はやしたんですね。
植物の知識が乏しいおかげで、
私は、深く感動したのでした。

「カーラールは、現実主義者と
理想主義者について、興味深いことを
言っている。」
「理想主義者は、つねに現実に破れる。
現実主義者は、破れはしない。
だが、世の中の進歩をつくるのは、
つねに理想主義者のほうであった」

ソ連崩壊の何年か前に、
改革派の経済学者がラジオで言っていました。

それは暗い話でしたし、つくりごとのように思えました。
だって、理想主義者がいつも負けていたら、
進歩が生まれる余地はないはず。

私は、カーラールのように堅苦しく考えないで、
四つ葉のクローバーのように、
ヒゲ根を生やすのがいいと思いました。
現実も、自分も変えることができるはずから。

ドクダミ2009/05/26

ドクダミ
ドクダミ。

どういう字を書くのか知らないままに
きたけれど、強い臭いが忘れられない。

子どもの頃は、臭いで遊ぶことができた。

自動車が通り過ぎると、その排気ガスの
臭いめがけて、駆け寄り、なにかを叫んだ。

ドクダミは、道ばたの下水の近くに
生えていたか、それとも湿地だったのか。

つぶしては、強い臭いに閉口しながら、
楽しんでいた。

今日、街路で見つける。

カタバミの莢(さや)2009/05/13

カタバミの莢(さや)
カタバミはバルタン星人の
ハサミのような莢(さや)を
もっています。

上の写真は、アカカタバミでしたっけ?

ところで、日陰に咲いていイモカタバミ。
とてもエレガントに思えました。


Окзалис カタバミ2009/05/12

Окзалис カタバミ
カタバミを撮りに街を歩きました。
わざわざ探さなくても、すぐに
見つかる花です。
でも・・・これを撮りたいと
思って歩きました。

駐車場のすみに、アスファルトの
裂け目があって、そこに咲いています。
それを撮りました。



土手の石垣、家の外周などを、
黄色やピンクの鮮やか色と
可憐な姿でつつましく飾っています。



ここでは鉢植えになっていますね。



カタバミの学名は Oxalis corniculata L.
そして、ロシア語名は、Окзалис。
学名をキリル文字に変えただけなのですね。

虫の視点ってこんな感じ?2009/05/04

虫の視点からは雑草もお城に見えるかも
地面にコケが生えていました。
そこは、どちらかというと
暗い陰の部分です。

偶然の角度なんでしょうけれど、
一つの雑草だけ光があたり、
明るい緑に輝いていました。

それが目を惹いたのです。

カメラをほとんど地面に
つけるようにして撮りました。

地面を這う虫の視点に近づけば、
明るく輝く草は、キャッスルに見える・・・
そんな気がしませんか?

野草2009/05/04

野草(名前は知りません)
デジカメを持たなければ、
野草に目を向けることはありませんでした。
接写すると、肉眼では見逃す
不思議な世界を手にすることができるからです。

この草の名前は知りません。

でも、この花か実かわかりませんが、
突き出す姿はりりしく感じます。

五つ葉のクローバー2009/04/30

五つ葉のクローバー
四つ葉のクローバーを手に入れた次第は、
すでに書きました。
そして、五つ葉のクローバーもです。

四つ葉のクローバーはないわけではありません。
私も見つけたことはあるし、
幸運の印として、野原を散歩する楽しみの
一つにもなっています。

五つ葉は、どうなんでしょうか。
しかも、さっきの日記で書いたように、
四つ葉につづいてすぐ五つ葉が見つかるような
偶然があるものなのでしょうか。

持ち帰ってしげしげと眺めています。

とても、弱くて、しおれてしまっています。
写真を見てると、四つ葉のクローバーの
葉の一つが真ん中から切れて、
五つ葉になったのではないかと思えます。

でも、やっぱり、五つ葉なのです。
だって、どの葉も真ん中に線があります。
写真ではわかりにくくても、どれも
まっとうな葉なのです。

まあ、五つ葉ぐらいで驚いていてはだめなのでしょうか。
クローバーよりも、私にくれた方の存在のほうが、
驚きなのかも知れません。

私は別に変なオーラを出しているわけでは
ありませんでしたし、
とりわけ不幸な顔をしているわけでもありませんでした。

今日、明日あたりになにが起こるやら・・・。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)