
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
『他人を見下す若者たち』速水俊彦(講談社現代新書) ― 2007/07/08

この本のタイトルは、「他人を見下す若者たち」
しかし、それ以上に大きなスペースで表紙の帯に
マンガがのっています。
その上には、『「自分以外はバカ」の時代!』というコピーも
踊っています。
いま売れている本なんでしょうね、
キャンペーンっぽく積み上げられています。
どうも、興味本位っぽくて私には、好ましい印象を受けませんでした。
それでも、鋭く若者の一面をあらわしているようで
本屋でときどきは手にとりました。
やっぱり買ってみようと思いましたが、どっかで見た気が・・・。
息子のK君に「これうちにあった?」と聞くと、「ある」というので、
それではと、息子に借りて読み始めました。
(ところで、どういうつもりでK君は買ったのだろう?
カミさんが買ったのかもしれません)
タイトルはセンセーショナルですが、
内容は手堅いものでした。
著者は、名古屋大学大学院の教授をされている方ですから、
当然ですけれど。
「仮想的有能感」という概念をもって、日本人の変化
とくに若者について説明されています。
その概念は、説得力があると感じました。
この本を読んで、まずあらためて認識することは、
日本人が変わったということです。
サブタイトルを適当に並べてみると、
●「悲しみ」にくく、「喜び」にくい子どもたち
●感じない子どもたち
●「大志」を嫌う現代っ子
●集団を避ける若者たち
●子どもや若者に蔓延する欝
●平然とする若者たち
●薄れる罪悪感
●謝らない子ども、親
などなど。
読む私が逆に鬱になりそうな現実をつきつけられます。
もちろん、現象の認識から出発して、それを説明する概念をつくるだけで
この本は、終わりではありません。
三つの打開のための提案がありますが、
それは、全体で200ページをこえる本書のなかで、
最後の8ページとなっています。
圧倒的な現実のまえには、すこし足りない気がします。
この本については、また触れたいと思います。
お読みになりましたか?
しかし、それ以上に大きなスペースで表紙の帯に
マンガがのっています。
その上には、『「自分以外はバカ」の時代!』というコピーも
踊っています。
いま売れている本なんでしょうね、
キャンペーンっぽく積み上げられています。
どうも、興味本位っぽくて私には、好ましい印象を受けませんでした。
それでも、鋭く若者の一面をあらわしているようで
本屋でときどきは手にとりました。
やっぱり買ってみようと思いましたが、どっかで見た気が・・・。
息子のK君に「これうちにあった?」と聞くと、「ある」というので、
それではと、息子に借りて読み始めました。
(ところで、どういうつもりでK君は買ったのだろう?
カミさんが買ったのかもしれません)
タイトルはセンセーショナルですが、
内容は手堅いものでした。
著者は、名古屋大学大学院の教授をされている方ですから、
当然ですけれど。
「仮想的有能感」という概念をもって、日本人の変化
とくに若者について説明されています。
その概念は、説得力があると感じました。
この本を読んで、まずあらためて認識することは、
日本人が変わったということです。
サブタイトルを適当に並べてみると、
●「悲しみ」にくく、「喜び」にくい子どもたち
●感じない子どもたち
●「大志」を嫌う現代っ子
●集団を避ける若者たち
●子どもや若者に蔓延する欝
●平然とする若者たち
●薄れる罪悪感
●謝らない子ども、親
などなど。
読む私が逆に鬱になりそうな現実をつきつけられます。
もちろん、現象の認識から出発して、それを説明する概念をつくるだけで
この本は、終わりではありません。
三つの打開のための提案がありますが、
それは、全体で200ページをこえる本書のなかで、
最後の8ページとなっています。
圧倒的な現実のまえには、すこし足りない気がします。
この本については、また触れたいと思います。
お読みになりましたか?
『小泉政権―「パトスの首相」は何を変えたのか 』内山融(中公新書) ― 2007/07/08

この本を、いわば衝動買いしました。
小泉政権について考えていたときに、このタイトル。
それだけのことですが、読んでみたいと思います。
自分の関心を書き留めるかわりに。
小泉政権について考えていたときに、このタイトル。
それだけのことですが、読んでみたいと思います。
自分の関心を書き留めるかわりに。
下町のネコさん : 格子戸の向こうに① ― 2007/07/08

一方は国道、もう一つは街中の生活道路。
その間に路地があり、鉄格子の戸がついています。
その向こうに、ネコさんがいました。
その間に路地があり、鉄格子の戸がついています。
その向こうに、ネコさんがいました。
下町のネコさん : 格子戸の向こうに② ― 2007/07/08

徐々に接近んしていきました。
格子戸があるのに安心しているのか、まだ逃げません。
格子戸があるのに安心しているのか、まだ逃げません。
下町のネコさん : 格子戸の向こうに③ ― 2007/07/08

格子戸のすきまにレンズをつっこんで撮影しています。
戸を開けることはできますが、そうなれば
一目散に逃げる構えが見えます。
戸を開けることはできますが、そうなれば
一目散に逃げる構えが見えます。
ご当地ポテトチップス=「しがじゃが」を食べました ― 2007/07/08

カミさんが限定販売品だといって買ってきました。
「しがじゃが」=要するにポテトチップス。
(詳しくは下の記事をごらんください)
こういうご当地ものというのは、
つい買ってしまうものなのですね。
選挙でも「地元の代表」という言葉が有効なのと同じ心理ですね。
地産地消になるんでしょうか?
味は・・・・・・。
記事では、オープン価格と書いてありますが、
JR大津駅の平和堂アルプラザでは、130円ぐらいですね。
***********中日新聞の記事から*********************
「しがじゃが」限定販売 カルビー湖南、独自商品開発
2007年6月27日
菓子製造業のカルビー湖南(湖南市)は二十七日から、県内産のじゃがいもを使ったポテトチップス「しがじゃが」を県内のスーパー「平和堂」六十五店舗で限定販売する。
カルビー湖南は二〇〇五年、地域の食材を使った商品開発とブランド確立を目的に、本社から分社化。「しがじゃが」は初の独自商品で、約一年かけて企画した。
鮮度を保つため、野洲市上屋で収穫した新じゃがを三日以内に加工。焼き塩を使った「ほんのり塩味」と、県内の郷土料理をイメージした「えび豆味」の二種類を用意し、包装には琵琶湖のデザインをあしらった。
カルビー湖南は「独自性を発揮し、地域に貢献したい」としている。
販売は七月中旬ごろまでの予定で、オープン価格。問い合わせは、カルビーお客様相談室=電0120(55)8570=へ。
(吉岡雅幸)
「しがじゃが」=要するにポテトチップス。
(詳しくは下の記事をごらんください)
こういうご当地ものというのは、
つい買ってしまうものなのですね。
選挙でも「地元の代表」という言葉が有効なのと同じ心理ですね。
地産地消になるんでしょうか?
味は・・・・・・。
記事では、オープン価格と書いてありますが、
JR大津駅の平和堂アルプラザでは、130円ぐらいですね。
***********中日新聞の記事から*********************
「しがじゃが」限定販売 カルビー湖南、独自商品開発
2007年6月27日
菓子製造業のカルビー湖南(湖南市)は二十七日から、県内産のじゃがいもを使ったポテトチップス「しがじゃが」を県内のスーパー「平和堂」六十五店舗で限定販売する。
カルビー湖南は二〇〇五年、地域の食材を使った商品開発とブランド確立を目的に、本社から分社化。「しがじゃが」は初の独自商品で、約一年かけて企画した。
鮮度を保つため、野洲市上屋で収穫した新じゃがを三日以内に加工。焼き塩を使った「ほんのり塩味」と、県内の郷土料理をイメージした「えび豆味」の二種類を用意し、包装には琵琶湖のデザインをあしらった。
カルビー湖南は「独自性を発揮し、地域に貢献したい」としている。
販売は七月中旬ごろまでの予定で、オープン価格。問い合わせは、カルビーお客様相談室=電0120(55)8570=へ。
(吉岡雅幸)
ロシアの詩人エフトシェンコ Евгений Александрович Евтушенко ― 2007/07/08
「バビ・ヤール」(Бабий Яр)についてのメモ ― 2007/07/08

●Бабий Яр
「バビ・ヤール」(Бабий Яр)は、 ウクライナの地名。
キエフに近い谷間の名称である。
баба は、女性の卑称。 яр は、切り立った断崖。渓谷である。
つまり、直訳すれば「女の谷」・・・。
歴史的には、 第二次世界大戦の激戦地である。ナチス軍とソ連軍の。
「バビ・ヤール」は、同時に、 ショスタコーヴィッチの第13番目の交響曲をさす 名前となっている。 ショスタコーヴィッチは、もちろん、この歴史を踏まえて、この曲をつくっているわけである。
●エフトシェンコの詩
エフゲニー・エフトシェンコ(1933年生まれ)は、旧ソ連の《雪解け時代》(1956~64年)に 時代の寵児として躍り出た詩人である。
『バビ・ヤール』は、この詩人が1961年11月に発表した詩集の名前でもある。
●ショスタコーヴィッチ
ショスタコーヴィッチは、これを読み、これをおもなテキストにして作曲をはじめ、 交響曲第13番として、1962年に初演をしている。
初演の指揮をとったのが、コンドラシンである。
この曲は、マーラーのように、声楽つきの交響曲である。
ショスタコーヴィッチとしてはこういう形式の最初のものである。
●コンドラシン
コンドラシンの幻の録音がCD化されて、タワーレコードから出ている。
1980年12月18、19日;ミュンヘン・ヘルクレスザール(ライヴ)
コンドラシンのサイトがある。
↓
http://www.geocities.jp/exist2ok/kondrashin.html
私は、このサイトから、コンドラシン氏が 『バビ・ヤール』の複数の録音を残されているのを知った。 たまたま、中古セールをのぞくと、コンドラシン氏が指揮した「バビ・ヤール」の別のCDがあり、これも買い込むことにした。
●非日常的な世界へ
バビ・ヤールは、ほとんどの日本人にとって なんの感想ももたらさない地名である。 この谷で、5から7万人のユダヤ人が虐殺されたにもかかわらず。
帝政ロシアでも、旧ソ連でもユダヤ人問題はタブーである。
それを正面からとりあげた エフトシェンコも、ショスタコーヴィッチも、普通ではない行動をしたことになる。
●交響曲「バビ・ヤール」
音楽は、いきなり鐘の音から始まる。
そして、半音階的進行する主題。
合唱がエフトシェンコの詩をなぞる。
目の前に、谷が見えるというのではないが、非日常的な世界にわれわれを
ひきずりこむ音と詩の世界がそこにある。
●アナトーリィの小説
『バビ・ヤール』は、
アナトーリィ(クズネツォフ)А. Анатолий (Кузнецов)
の小説の題名でもある。
日本語の翻訳があったはずだが、
私は読んでいない。
ちなみに、ロシア語でユダヤ人の歴史に
ついてのサイトがある。
↓
http://school.ort.spb.ru/library/torah/code/2t.htm
「バビ・ヤール」(Бабий Яр)は、 ウクライナの地名。
キエフに近い谷間の名称である。
баба は、女性の卑称。 яр は、切り立った断崖。渓谷である。
つまり、直訳すれば「女の谷」・・・。
歴史的には、 第二次世界大戦の激戦地である。ナチス軍とソ連軍の。
「バビ・ヤール」は、同時に、 ショスタコーヴィッチの第13番目の交響曲をさす 名前となっている。 ショスタコーヴィッチは、もちろん、この歴史を踏まえて、この曲をつくっているわけである。
●エフトシェンコの詩
エフゲニー・エフトシェンコ(1933年生まれ)は、旧ソ連の《雪解け時代》(1956~64年)に 時代の寵児として躍り出た詩人である。
『バビ・ヤール』は、この詩人が1961年11月に発表した詩集の名前でもある。
●ショスタコーヴィッチ
ショスタコーヴィッチは、これを読み、これをおもなテキストにして作曲をはじめ、 交響曲第13番として、1962年に初演をしている。
初演の指揮をとったのが、コンドラシンである。
この曲は、マーラーのように、声楽つきの交響曲である。
ショスタコーヴィッチとしてはこういう形式の最初のものである。
●コンドラシン
コンドラシンの幻の録音がCD化されて、タワーレコードから出ている。
1980年12月18、19日;ミュンヘン・ヘルクレスザール(ライヴ)
コンドラシンのサイトがある。
↓
http://www.geocities.jp/exist2ok/kondrashin.html
私は、このサイトから、コンドラシン氏が 『バビ・ヤール』の複数の録音を残されているのを知った。 たまたま、中古セールをのぞくと、コンドラシン氏が指揮した「バビ・ヤール」の別のCDがあり、これも買い込むことにした。
●非日常的な世界へ
バビ・ヤールは、ほとんどの日本人にとって なんの感想ももたらさない地名である。 この谷で、5から7万人のユダヤ人が虐殺されたにもかかわらず。
帝政ロシアでも、旧ソ連でもユダヤ人問題はタブーである。
それを正面からとりあげた エフトシェンコも、ショスタコーヴィッチも、普通ではない行動をしたことになる。
●交響曲「バビ・ヤール」
音楽は、いきなり鐘の音から始まる。
そして、半音階的進行する主題。
合唱がエフトシェンコの詩をなぞる。
目の前に、谷が見えるというのではないが、非日常的な世界にわれわれを
ひきずりこむ音と詩の世界がそこにある。
●アナトーリィの小説
『バビ・ヤール』は、
アナトーリィ(クズネツォフ)А. Анатолий (Кузнецов)
の小説の題名でもある。
日本語の翻訳があったはずだが、
私は読んでいない。
ちなみに、ロシア語でユダヤ人の歴史に
ついてのサイトがある。
↓
http://school.ort.spb.ru/library/torah/code/2t.htm
エフトシェンコの詩 : Бабий Яр ― 2007/07/08

エフトシェンコときいてすぐピンとくる人は少ないでしょう。
ソ連時代の詩人、雪解け時代に名をはせた人です。
「バビ・ヤール」は、1961年11月19日に「文学新聞」に
発表された詩です。ユダヤ人虐殺を扱っているだけに、
スターリン時代の反ユダヤ人政策を考えると、決して
穏やかな主題ではありませんでした。
これを読み、ショスタコーヴィッチが交響曲を作曲しはじめます。
その年の4月にスコアができていますから、かなり早い仕上がりです。
元の詩は、以下のとおりです。
Бабий Яр
バビ・ヤール
Над Бабьим Яром памятников нет.
「バビ・ヤール」には、記念碑は存在しない。
Крутой обрыв, как грубое надгробье.
切り立った崖が、粗末な墓標のように存在するだけである。
Мне страшно.
私は恐ろしい
Мне сегодня столько лет,
как самому еврейскому народу.
私は、今日は、ユダヤ民族そのものように年老いている。
ここまでが、ショスタコーヴィッチの交響曲では、合唱が歌います。
次は、バスがソロで。
Мне кажется сейчас — я иудей.
私には、自分がいまやユダヤ人であるように思える。
Вот я бреду по древнему Египту.
ほら、私は、古代のエジプトをさまようのだ。
А вот я, на кресте распятый, гибну,
ほら、私は十字架に釘づけされて死ぬのだ。
и до сих пор на мне — следы гвоздей.
そして、いまにいたるまで、私には釘の跡が残っている。
実は、このソロの部分が書き換えるようにソ連当局から求められたのです。
エフトシェンコは書き直して、つぎのようにしました。
Я тут стою, как будто у криницы,
дающей веру в наше братство мне.
われわれの友情を私に信じさせるような、そんな泉に私は立っている。
Здесь русские лежат и украинцы,
лежат с евреями в одной земле.
ここには、ロシア人たち、ウクライナ人たちが横たわっている。
ユダヤ人と同じ大地に横たわっている
以下の部分にも、もう一箇所改定があります。
したがって、「バビ・ヤール」の歌詞には、二つの版が存在するわけです。
初演をしたのは、キリル・コンドラシン。1962年12月18日のことです。
演奏は、モスクワ・フィル。バス独唱は、グロマツキー。
このときは、オリジナルを用いています。
改定は、この初演のあとで求められたのです。
ユダヤ色を薄めて、ロシア人を賛美するような歌詞にかえられています。
コンドラシンが演奏する「バビ・ヤール」には、数種類の録音がありますが、
改訂版を使っているものも(おそらくやむをえず)ありますが、
1980年12月にミュンヘンで録音されたCD(2006年に出版)では、初版が使われています。
いまや圧力を加えるソ連体制は存在しません。
オリジナルを用いるのになんの躊躇も必要ありません。
全音楽譜出版から出ている「バビ・ヤール」のスコアは、オリジナルに言及はしていますが、改定された歌詞を用いています。
Мне кажется, что Дрейфус — это я.
Мещанство — мой доносчик и судья.
Я за решеткой.
Я попал в кольцо.
Затравленный,
оплеванный,
оболганный.
И дамочки с брюссельскими оборками,
визжа, зонтами тычут мне в лицо.
Мне кажется —
я мальчик в Белостоке.
Кровь льется, растекаясь по полам.
Бесчинствуют вожди трактирной стойки
и пахнут водкой с луком пополам.
Я, сапогом отброшенный, бессилен.
Напрасно я погромщиков молю.
Под гогот:
"Бей жидов, спасай Россию!" —
насилует лабазник мать мою.
О, русский мой народ! —
Я знаю —
ты
По сущности интернационален.
Но часто те, чьи руки нечисты,
твоим чистейшим именем бряцали.
Я знаю доброту твоей земли.
Как подло,
что, и жилочкой не дрогнув,
антисемиты пышно нарекли
себя "Союзом русского народа"!
Мне кажется —
я — это Анна Франк,
прозрачная,
как веточка в апреле.
И я люблю.
И мне не надо фраз.
Мне надо,
чтоб друг в друга мы смотрели.
Как мало можно видеть,
обонять!
Нельзя нам листьев
и нельзя нам неба.
Но можно очень много —
это нежно
друг друга в темной комнате обнять.
Сюда идут?
Не бойся — это гулы
самой весны —
она сюда идет.
Иди ко мне.
Дай мне скорее губы.
Ломают дверь?
Нет — это ледоход...
Над Бабьим Яром шелест диких трав.
Деревья смотрят грозно,
по-судейски.
Все молча здесь кричит,
и, шапку сняв,
я чувствую,
как медленно седею.
И сам я,
как сплошной беззвучный крик,
над тысячами тысяч погребенных.
Я —
каждый здесь расстрелянный старик.
Я —
каждый здесь расстрелянный ребенок.
Ничто во мне
про это не забудет!
"Интернационал"
пусть прогремит,
когда навеки похоронен будет
последний на земле антисемит.
Еврейской крови нет в крови моей.
Но ненавистен злобой заскорузлой
я всем антисемитам,
как еврей,
и потому — я настоящий русский!
1961
ソ連時代の詩人、雪解け時代に名をはせた人です。
「バビ・ヤール」は、1961年11月19日に「文学新聞」に
発表された詩です。ユダヤ人虐殺を扱っているだけに、
スターリン時代の反ユダヤ人政策を考えると、決して
穏やかな主題ではありませんでした。
これを読み、ショスタコーヴィッチが交響曲を作曲しはじめます。
その年の4月にスコアができていますから、かなり早い仕上がりです。
元の詩は、以下のとおりです。
Бабий Яр
バビ・ヤール
Над Бабьим Яром памятников нет.
「バビ・ヤール」には、記念碑は存在しない。
Крутой обрыв, как грубое надгробье.
切り立った崖が、粗末な墓標のように存在するだけである。
Мне страшно.
私は恐ろしい
Мне сегодня столько лет,
как самому еврейскому народу.
私は、今日は、ユダヤ民族そのものように年老いている。
ここまでが、ショスタコーヴィッチの交響曲では、合唱が歌います。
次は、バスがソロで。
Мне кажется сейчас — я иудей.
私には、自分がいまやユダヤ人であるように思える。
Вот я бреду по древнему Египту.
ほら、私は、古代のエジプトをさまようのだ。
А вот я, на кресте распятый, гибну,
ほら、私は十字架に釘づけされて死ぬのだ。
и до сих пор на мне — следы гвоздей.
そして、いまにいたるまで、私には釘の跡が残っている。
実は、このソロの部分が書き換えるようにソ連当局から求められたのです。
エフトシェンコは書き直して、つぎのようにしました。
Я тут стою, как будто у криницы,
дающей веру в наше братство мне.
われわれの友情を私に信じさせるような、そんな泉に私は立っている。
Здесь русские лежат и украинцы,
лежат с евреями в одной земле.
ここには、ロシア人たち、ウクライナ人たちが横たわっている。
ユダヤ人と同じ大地に横たわっている
以下の部分にも、もう一箇所改定があります。
したがって、「バビ・ヤール」の歌詞には、二つの版が存在するわけです。
初演をしたのは、キリル・コンドラシン。1962年12月18日のことです。
演奏は、モスクワ・フィル。バス独唱は、グロマツキー。
このときは、オリジナルを用いています。
改定は、この初演のあとで求められたのです。
ユダヤ色を薄めて、ロシア人を賛美するような歌詞にかえられています。
コンドラシンが演奏する「バビ・ヤール」には、数種類の録音がありますが、
改訂版を使っているものも(おそらくやむをえず)ありますが、
1980年12月にミュンヘンで録音されたCD(2006年に出版)では、初版が使われています。
いまや圧力を加えるソ連体制は存在しません。
オリジナルを用いるのになんの躊躇も必要ありません。
全音楽譜出版から出ている「バビ・ヤール」のスコアは、オリジナルに言及はしていますが、改定された歌詞を用いています。
Мне кажется, что Дрейфус — это я.
Мещанство — мой доносчик и судья.
Я за решеткой.
Я попал в кольцо.
Затравленный,
оплеванный,
оболганный.
И дамочки с брюссельскими оборками,
визжа, зонтами тычут мне в лицо.
Мне кажется —
я мальчик в Белостоке.
Кровь льется, растекаясь по полам.
Бесчинствуют вожди трактирной стойки
и пахнут водкой с луком пополам.
Я, сапогом отброшенный, бессилен.
Напрасно я погромщиков молю.
Под гогот:
"Бей жидов, спасай Россию!" —
насилует лабазник мать мою.
О, русский мой народ! —
Я знаю —
ты
По сущности интернационален.
Но часто те, чьи руки нечисты,
твоим чистейшим именем бряцали.
Я знаю доброту твоей земли.
Как подло,
что, и жилочкой не дрогнув,
антисемиты пышно нарекли
себя "Союзом русского народа"!
Мне кажется —
я — это Анна Франк,
прозрачная,
как веточка в апреле.
И я люблю.
И мне не надо фраз.
Мне надо,
чтоб друг в друга мы смотрели.
Как мало можно видеть,
обонять!
Нельзя нам листьев
и нельзя нам неба.
Но можно очень много —
это нежно
друг друга в темной комнате обнять.
Сюда идут?
Не бойся — это гулы
самой весны —
она сюда идет.
Иди ко мне.
Дай мне скорее губы.
Ломают дверь?
Нет — это ледоход...
Над Бабьим Яром шелест диких трав.
Деревья смотрят грозно,
по-судейски.
Все молча здесь кричит,
и, шапку сняв,
я чувствую,
как медленно седею.
И сам я,
как сплошной беззвучный крик,
над тысячами тысяч погребенных.
Я —
каждый здесь расстрелянный старик.
Я —
каждый здесь расстрелянный ребенок.
Ничто во мне
про это не забудет!
"Интернационал"
пусть прогремит,
когда навеки похоронен будет
последний на земле антисемит.
Еврейской крови нет в крови моей.
Но ненавистен злобой заскорузлой
я всем антисемитам,
как еврей,
и потому — я настоящий русский!
1961

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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