
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
「バビ・ヤール」(Бабий Яр)についてのメモ ― 2007/07/08

●Бабий Яр
「バビ・ヤール」(Бабий Яр)は、 ウクライナの地名。
キエフに近い谷間の名称である。
баба は、女性の卑称。 яр は、切り立った断崖。渓谷である。
つまり、直訳すれば「女の谷」・・・。
歴史的には、 第二次世界大戦の激戦地である。ナチス軍とソ連軍の。
「バビ・ヤール」は、同時に、 ショスタコーヴィッチの第13番目の交響曲をさす 名前となっている。 ショスタコーヴィッチは、もちろん、この歴史を踏まえて、この曲をつくっているわけである。
●エフトシェンコの詩
エフゲニー・エフトシェンコ(1933年生まれ)は、旧ソ連の《雪解け時代》(1956~64年)に 時代の寵児として躍り出た詩人である。
『バビ・ヤール』は、この詩人が1961年11月に発表した詩集の名前でもある。
●ショスタコーヴィッチ
ショスタコーヴィッチは、これを読み、これをおもなテキストにして作曲をはじめ、 交響曲第13番として、1962年に初演をしている。
初演の指揮をとったのが、コンドラシンである。
この曲は、マーラーのように、声楽つきの交響曲である。
ショスタコーヴィッチとしてはこういう形式の最初のものである。
●コンドラシン
コンドラシンの幻の録音がCD化されて、タワーレコードから出ている。
1980年12月18、19日;ミュンヘン・ヘルクレスザール(ライヴ)
コンドラシンのサイトがある。
↓
http://www.geocities.jp/exist2ok/kondrashin.html
私は、このサイトから、コンドラシン氏が 『バビ・ヤール』の複数の録音を残されているのを知った。 たまたま、中古セールをのぞくと、コンドラシン氏が指揮した「バビ・ヤール」の別のCDがあり、これも買い込むことにした。
●非日常的な世界へ
バビ・ヤールは、ほとんどの日本人にとって なんの感想ももたらさない地名である。 この谷で、5から7万人のユダヤ人が虐殺されたにもかかわらず。
帝政ロシアでも、旧ソ連でもユダヤ人問題はタブーである。
それを正面からとりあげた エフトシェンコも、ショスタコーヴィッチも、普通ではない行動をしたことになる。
●交響曲「バビ・ヤール」
音楽は、いきなり鐘の音から始まる。
そして、半音階的進行する主題。
合唱がエフトシェンコの詩をなぞる。
目の前に、谷が見えるというのではないが、非日常的な世界にわれわれを
ひきずりこむ音と詩の世界がそこにある。
●アナトーリィの小説
『バビ・ヤール』は、
アナトーリィ(クズネツォフ)А. Анатолий (Кузнецов)
の小説の題名でもある。
日本語の翻訳があったはずだが、
私は読んでいない。
ちなみに、ロシア語でユダヤ人の歴史に
ついてのサイトがある。
↓
http://school.ort.spb.ru/library/torah/code/2t.htm
「バビ・ヤール」(Бабий Яр)は、 ウクライナの地名。
キエフに近い谷間の名称である。
баба は、女性の卑称。 яр は、切り立った断崖。渓谷である。
つまり、直訳すれば「女の谷」・・・。
歴史的には、 第二次世界大戦の激戦地である。ナチス軍とソ連軍の。
「バビ・ヤール」は、同時に、 ショスタコーヴィッチの第13番目の交響曲をさす 名前となっている。 ショスタコーヴィッチは、もちろん、この歴史を踏まえて、この曲をつくっているわけである。
●エフトシェンコの詩
エフゲニー・エフトシェンコ(1933年生まれ)は、旧ソ連の《雪解け時代》(1956~64年)に 時代の寵児として躍り出た詩人である。
『バビ・ヤール』は、この詩人が1961年11月に発表した詩集の名前でもある。
●ショスタコーヴィッチ
ショスタコーヴィッチは、これを読み、これをおもなテキストにして作曲をはじめ、 交響曲第13番として、1962年に初演をしている。
初演の指揮をとったのが、コンドラシンである。
この曲は、マーラーのように、声楽つきの交響曲である。
ショスタコーヴィッチとしてはこういう形式の最初のものである。
●コンドラシン
コンドラシンの幻の録音がCD化されて、タワーレコードから出ている。
1980年12月18、19日;ミュンヘン・ヘルクレスザール(ライヴ)
コンドラシンのサイトがある。
↓
http://www.geocities.jp/exist2ok/kondrashin.html
私は、このサイトから、コンドラシン氏が 『バビ・ヤール』の複数の録音を残されているのを知った。 たまたま、中古セールをのぞくと、コンドラシン氏が指揮した「バビ・ヤール」の別のCDがあり、これも買い込むことにした。
●非日常的な世界へ
バビ・ヤールは、ほとんどの日本人にとって なんの感想ももたらさない地名である。 この谷で、5から7万人のユダヤ人が虐殺されたにもかかわらず。
帝政ロシアでも、旧ソ連でもユダヤ人問題はタブーである。
それを正面からとりあげた エフトシェンコも、ショスタコーヴィッチも、普通ではない行動をしたことになる。
●交響曲「バビ・ヤール」
音楽は、いきなり鐘の音から始まる。
そして、半音階的進行する主題。
合唱がエフトシェンコの詩をなぞる。
目の前に、谷が見えるというのではないが、非日常的な世界にわれわれを
ひきずりこむ音と詩の世界がそこにある。
●アナトーリィの小説
『バビ・ヤール』は、
アナトーリィ(クズネツォフ)А. Анатолий (Кузнецов)
の小説の題名でもある。
日本語の翻訳があったはずだが、
私は読んでいない。
ちなみに、ロシア語でユダヤ人の歴史に
ついてのサイトがある。
↓
http://school.ort.spb.ru/library/torah/code/2t.htm
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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