お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
西南戦争の戦死者は全国に広がる@慰霊塔(田原坂公園) ― 2008/08/27
沖縄に2度足を運び、
それぞれ「平和の礎」を訪れました。
そこに刻まれた圧倒的な数の犠牲者の名前。
名前を見れば、一人ひとりの人生に
思いをはせることになります。
数としてひとくくりにできない貴重な人生が
どれだけ失われたのかを実感するのです。
同じ体験を、田原坂公園ですることができます。
ここには、西南戦争の戦死者が、官軍と薩軍に
大わけされていますが、出身府県別に
名前が刻まれています。
北海道、本州、四国、九州にまたがっています。
ちなみに私が住む滋賀県出身者は156名。
沖縄地上戦の犠牲者の数には及びませんが、
内訳は以下のとおりです。
官軍 =6,923名
薩軍 =7,186名
殉難者= 29名
合計で、14,138名。
これらのうち田原坂のたたかいでの
戦死者が多い順に官軍の連隊を並べると、
近衛第一連隊(東京) 240名
大阪鎮台第九連隊(大津) 200名
近衛第二連隊(東京) 148名
大阪鎮台第八連隊(大阪) 143名
東京鎮台第一連隊(東京) 118名
広島鎮台第十一連隊(広島) 78名
大阪鎮台第十連隊(姫路) 71名
東京鎮台第三連隊(東京) 43名
熊本鎮台第十四連隊(小倉) 27名
私が現在住んでいる大津市に
衛戍地をおいた歩兵第九連隊の
犠牲者が多いことに気づきます。
このことを昨年、「新修大津市史」で知りました。
驚きとともに、歴史のかなたの西南戦争が
身近な悲劇に思えた瞬間でした。
大津市の三井寺山中、御幸山に
朽ち果てかけた巨大な西南戦争の
碑がある理由がはじめてわかりました。
それが、この地を訪れる動機となりました。
それぞれ「平和の礎」を訪れました。
そこに刻まれた圧倒的な数の犠牲者の名前。
名前を見れば、一人ひとりの人生に
思いをはせることになります。
数としてひとくくりにできない貴重な人生が
どれだけ失われたのかを実感するのです。
同じ体験を、田原坂公園ですることができます。
ここには、西南戦争の戦死者が、官軍と薩軍に
大わけされていますが、出身府県別に
名前が刻まれています。
北海道、本州、四国、九州にまたがっています。
ちなみに私が住む滋賀県出身者は156名。
沖縄地上戦の犠牲者の数には及びませんが、
内訳は以下のとおりです。
官軍 =6,923名
薩軍 =7,186名
殉難者= 29名
合計で、14,138名。
これらのうち田原坂のたたかいでの
戦死者が多い順に官軍の連隊を並べると、
近衛第一連隊(東京) 240名
大阪鎮台第九連隊(大津) 200名
近衛第二連隊(東京) 148名
大阪鎮台第八連隊(大阪) 143名
東京鎮台第一連隊(東京) 118名
広島鎮台第十一連隊(広島) 78名
大阪鎮台第十連隊(姫路) 71名
東京鎮台第三連隊(東京) 43名
熊本鎮台第十四連隊(小倉) 27名
私が現在住んでいる大津市に
衛戍地をおいた歩兵第九連隊の
犠牲者が多いことに気づきます。
このことを昨年、「新修大津市史」で知りました。
驚きとともに、歴史のかなたの西南戦争が
身近な悲劇に思えた瞬間でした。
大津市の三井寺山中、御幸山に
朽ち果てかけた巨大な西南戦争の
碑がある理由がはじめてわかりました。
それが、この地を訪れる動機となりました。
曇り空 ― 2008/08/27
桐のつぼみはまだ先 ― 2008/08/27
《癒しの炭盆栽》@マキノ「道の駅」 ― 2008/08/27
小麦文化に負けるな!?お米のパンっていいですね ― 2008/08/27
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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