お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
マンション建設は止まりませんでした ― 2008/09/18
高層マンション住人が高層マンション建設に反対。
そう書けば、矛盾した運動のように聞こえます。
周りから見れば、そうかも知れませんが、
実際に住んでみての実感がそうさせているのだと思います。
たとえば、ビル風。ドアを開けられない強さなどは、
住んだ人しかわからないでしょう。
隣に同様のものが建てば、さらに深刻に。
まち全体の立場からも、これ以上の高層マンションが
湖岸に建ち、景観を壊すことはいいことではありません。
しかし、現在の法律や条例に違反しない限り、
住民の声は届かないのが現実なのです。
変えるべきはそこにあります。
下の写真は、一年前の写真です。
左にマンションの姿はありません。
まちは、大きく変わりつつあります。
一方で、滋賀会館とか、琵琶湖文化館など
公の施設が予算的に維持できず、
閉館が相次ぎます。
他方で、巨大マンション建設が相次ぎ、
イオンモールなどの大型商業施設が
禁止前に駆け込み出店・・・。
まちの未来の姿が描けないまま、
動いているように思えます。
そう書けば、矛盾した運動のように聞こえます。
周りから見れば、そうかも知れませんが、
実際に住んでみての実感がそうさせているのだと思います。
たとえば、ビル風。ドアを開けられない強さなどは、
住んだ人しかわからないでしょう。
隣に同様のものが建てば、さらに深刻に。
まち全体の立場からも、これ以上の高層マンションが
湖岸に建ち、景観を壊すことはいいことではありません。
しかし、現在の法律や条例に違反しない限り、
住民の声は届かないのが現実なのです。
変えるべきはそこにあります。
下の写真は、一年前の写真です。
左にマンションの姿はありません。
まちは、大きく変わりつつあります。
一方で、滋賀会館とか、琵琶湖文化館など
公の施設が予算的に維持できず、
閉館が相次ぎます。
他方で、巨大マンション建設が相次ぎ、
イオンモールなどの大型商業施設が
禁止前に駆け込み出店・・・。
まちの未来の姿が描けないまま、
動いているように思えます。
コメント
_ 酔ちゃん ― 2008年09月18日 20時27分18秒
_ BIN★→酔ちゃんさん ― 2008年09月18日 22時23分02秒
大型公共工事って、時代が変わり、
明らかに不要になっても、止めることは困難なんです。
30年前の計画がいまなおそのまま継続中で、
建てよう(ダムなど)としているところはいくつもあります。
バックギアを握るのは、そういう工事のおこぼれとは
無縁の庶民しかないんだとつくづく思います。
なんか自慢みたいで恐縮なんですけれど、
滋賀県って「どこ?」っていわれるほど目立たない
県なんですが、びわこ空港計画と新幹線新駅計画が
庶民の署名や最高裁勝訴で止まったんです。
全体から見ると、小さなことなのですが。
明らかに不要になっても、止めることは困難なんです。
30年前の計画がいまなおそのまま継続中で、
建てよう(ダムなど)としているところはいくつもあります。
バックギアを握るのは、そういう工事のおこぼれとは
無縁の庶民しかないんだとつくづく思います。
なんか自慢みたいで恐縮なんですけれど、
滋賀県って「どこ?」っていわれるほど目立たない
県なんですが、びわこ空港計画と新幹線新駅計画が
庶民の署名や最高裁勝訴で止まったんです。
全体から見ると、小さなことなのですが。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
、交通施設などはこれからは高齢化と経済活動の沈静で利用者も少なくなり、
それらを維持するお金すら先細りです。
それでも建設することが政治の目玉となるんですかね?
人の頭には逆戻りのシフトレバーが無いのかな。
やがて廃墟、スラブ化が懸念されます。