
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
茎は似ていますが、タンポポじゃないでしょうし ― 2008/05/08
カ タ バ ミ(酢漿草、傍食) ― 2008/05/08
アカカタバミ(赤酢漿草、赤傍食) ― 2008/05/08
珍しく花の名前がわかったのは、「野草」というサイトのおかげです。
これは、「カタバミ」と同じように、歩道と石垣の隙間に根を張って、咲いていました。ネーミングも・・・そのものですねぇ。カタバミに似ていると思ったのは、まちがいではありませんでした。
これは、「カタバミ」と同じように、歩道と石垣の隙間に根を張って、咲いていました。ネーミングも・・・そのものですねぇ。カタバミに似ていると思ったのは、まちがいではありませんでした。
4体の猿石@明日香村 ― 2008/05/08
いわゆる「猿石」(4体)は、近鉄飛鳥駅の近くにある吉備姫王 (きびつひめのおほきみ)の墓にあります。1702年(元禄15)に梅山古墳の西の田から掘り出されたあとに移されました。
「猿石」という名前も後世のもの。猿を彫りこんだという伝承があるわけでもありません。
人間のように見えるものも、そうではなくて爬虫類を思わせるものもあります。
「鬼の俎板」、「鬼の雪隠」、「酒船石」、そして「亀石」などが田畑の周囲に無造作に置かれているのにたいして、この4体は、墓の囲いの中に置かれています。
それは、人間にちかい形をしているためでしょうか。人間がいたずらするというよりも、これらの像が動き出して、近隣に悪さをするのを怖れてのことでしょうか。
左の2体は、これ↓です。

右の2体は、これ↓です。
「猿石」という名前も後世のもの。猿を彫りこんだという伝承があるわけでもありません。
人間のように見えるものも、そうではなくて爬虫類を思わせるものもあります。
「鬼の俎板」、「鬼の雪隠」、「酒船石」、そして「亀石」などが田畑の周囲に無造作に置かれているのにたいして、この4体は、墓の囲いの中に置かれています。
それは、人間にちかい形をしているためでしょうか。人間がいたずらするというよりも、これらの像が動き出して、近隣に悪さをするのを怖れてのことでしょうか。
左の2体は、これ↓です。

右の2体は、これ↓です。

鬼の俎板@明日香村 ― 2008/05/08
鬼の俎板(まないた)は、鬼の雪隠(せっちん=トイレ)のすぐ近くにあります。細い農道をはさんで、上手(土手の上)に「鬼の俎板」があり、下手(畑側)に「鬼の雪隠」があるという関係です。
確かに、なにに用いたのかわからないということ、さらに巨大であるということから、「鬼」という名称がついたのだと思われます。
斉明天皇の時代の記録に、鬼が登場することもあり、まんざら勝手につけた名前ではないのかも知れません。
もとは、「鬼の雪隠」が石室で、「鬼の俎板」が底石、あわせて古墳の一部だという説もあります。
土を掘り返したとき、転げ落ちたということになりますが、すさまじい音が出たちょっとした事件だと思いますが、記録にあるのでしょうか?
ちなみに「鬼の雪隠」はこれ↓。

ちなみに、長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m。材質は花崗岩。割られようとした形跡あり。高取城建設の材料にしようとしたと見られています。
この場所から離れるとき、石を敷き詰めた歩道のくぼみで転び、カメラを放り出してしまいました。壊れていたら、「鬼のたたり」といわれそうですが、無事で一安心。
確かに、なにに用いたのかわからないということ、さらに巨大であるということから、「鬼」という名称がついたのだと思われます。
斉明天皇の時代の記録に、鬼が登場することもあり、まんざら勝手につけた名前ではないのかも知れません。
もとは、「鬼の雪隠」が石室で、「鬼の俎板」が底石、あわせて古墳の一部だという説もあります。
土を掘り返したとき、転げ落ちたということになりますが、すさまじい音が出たちょっとした事件だと思いますが、記録にあるのでしょうか?
ちなみに「鬼の雪隠」はこれ↓。

ちなみに、長さ約4.5m、幅約2.7m、厚さ約1m。材質は花崗岩。割られようとした形跡あり。高取城建設の材料にしようとしたと見られています。
この場所から離れるとき、石を敷き詰めた歩道のくぼみで転び、カメラを放り出してしまいました。壊れていたら、「鬼のたたり」といわれそうですが、無事で一安心。
岡の「酒船石」@明日香村 →手塚治虫マンガ『三つ目が通る』を思い出しながら見学しました ― 2008/05/08
明日香村岡にあるので、出水のものと区別するために、岡の酒船石と呼ばれることもあるそうです。私は、酒船石というものは、これだけだと思っていました。
そうそう、手塚治虫のマンガ『三つ目が通る』では、薬品調合に使われていましたね。それを見てから、怪しげな石のように思えてなりませんでした。明日香村では、この石を見ることを楽しみにしていました。
実見して見ても、怪しさは変りません(笑)。よかった。
この岩には、くさびが入っていて、割られています。上の写真では右手です。
近世に、たとえば高取城の石材に使われたもののようです。遺跡保存の考え方がない時代ですから、平気で行われたのでしょう。石舞台の天井石の一部も持っていかれたという説明がありました。
こういう石造物の第二次利用は、ひろく行われたのでしょうか。現代のわれわれいからすれば、残念な気がします。
写真を撮るときに、他の人も苦労していました。それは、モノが大きくて、岩の全体を撮るのが難しいのです。真上から見ると、ナスカの地上絵のように興味深い形が浮かび上がるのでしょうけれど、人間の目の高さからは、図鑑で見るようには写りません。
とても上品な男性が思案されたあげく、あるポイントに登って撮影されました。「まずいなぁ」と思いながらされている様子がありあり。そのあと、私も「ここしかないですね」と笑いながら、登ると、その方は、ようやく緊張がほぐれた笑いになりました。
無造作に置かれているのはいいのですが、興味深い図柄が見えるように、たとえば段々階段のようなものがあればと思いました。
さて、上の写真の手前半分↓がこれです。

そして、奥半分↓。

下手から撮影してみました↓。

実見して見ても、怪しさは変りません(笑)。よかった。
この岩には、くさびが入っていて、割られています。上の写真では右手です。
近世に、たとえば高取城の石材に使われたもののようです。遺跡保存の考え方がない時代ですから、平気で行われたのでしょう。石舞台の天井石の一部も持っていかれたという説明がありました。
こういう石造物の第二次利用は、ひろく行われたのでしょうか。現代のわれわれいからすれば、残念な気がします。
写真を撮るときに、他の人も苦労していました。それは、モノが大きくて、岩の全体を撮るのが難しいのです。真上から見ると、ナスカの地上絵のように興味深い形が浮かび上がるのでしょうけれど、人間の目の高さからは、図鑑で見るようには写りません。
とても上品な男性が思案されたあげく、あるポイントに登って撮影されました。「まずいなぁ」と思いながらされている様子がありあり。そのあと、私も「ここしかないですね」と笑いながら、登ると、その方は、ようやく緊張がほぐれた笑いになりました。
無造作に置かれているのはいいのですが、興味深い図柄が見えるように、たとえば段々階段のようなものがあればと思いました。
さて、上の写真の手前半分↓がこれです。

そして、奥半分↓。

下手から撮影してみました↓。

アサブロの「カテゴリ」に大区分、中区分、小区分がほしい ― 2008/05/08
他のプロバイダーのブログを見ると、「カテゴリ」に大区分、中区分、小区分がついています。・・・どれか、わすれましたけれど。
これは、便利だと思います。
「花」という大区分をつくり、必要に応じて、下位区分をつくっていけば、作業はとても楽じゃないでしょうか。
私は、「花(草・木)」というカテゴリの記事が、350を突破したので、区分を小さくしようと思いました。それで、この区分をやめようとしたのですが、それってまずいですね。
1週間ぐらいあとで、このブログを見て、花だけチェックしようと思ったら、「赤い花」、「青い花」・・・というように順番に見て回らなければ、わからなくなります。
それは、不便すぎます。
やっぱり、大区分として「花(草・木)」を残しておく必要がありますね。 ああ、50ほどの記事を、色に分けてしまったのに・・・・。
いまは、どのカテゴリも対等で、並んでいるだけ。
それらを、ディレクトリ構造のように大区分、中区分、小区分と配置できるといいのに!!
アサブロさん、考えていただけますか?
これは、便利だと思います。
「花」という大区分をつくり、必要に応じて、下位区分をつくっていけば、作業はとても楽じゃないでしょうか。
私は、「花(草・木)」というカテゴリの記事が、350を突破したので、区分を小さくしようと思いました。それで、この区分をやめようとしたのですが、それってまずいですね。
1週間ぐらいあとで、このブログを見て、花だけチェックしようと思ったら、「赤い花」、「青い花」・・・というように順番に見て回らなければ、わからなくなります。
それは、不便すぎます。
やっぱり、大区分として「花(草・木)」を残しておく必要がありますね。 ああ、50ほどの記事を、色に分けてしまったのに・・・・。
いまは、どのカテゴリも対等で、並んでいるだけ。
それらを、ディレクトリ構造のように大区分、中区分、小区分と配置できるといいのに!!
アサブロさん、考えていただけますか?
ドキっとする形じゃないですか、この花! ― 2008/05/08
タワーみたいな名前でしたねぇ、この花は。→(「ルピナス」もしくは「昇藤(のぼりふじ)」だそうです) ― 2008/05/08
玄関まえの空き地に、野菜と花を
たくさん植えられている家があります。
いいなぁと思ってみていると、
割烹着の奥さんが水遣りの最中。
声をかけて、撮らせてもらいました。
「この花は、わすれな草ですね。」
と、私は、最近仕入れた知識を披露しました。
「そう、この青いのがそれですね。」
上の写真の花をさして、
「これってタワーみたいですね。」
「そうそう、名前も××××といいますよ」
前にもアップしたんですよね、この花。
しかも、名前を教えてくれたんですけれどね。
8時間経つと、もう忘れています。
だから、××××としか書けませんでした。
奥さん、教えていただいたのに、すみません。
****************************:
ルピナス、もしくは昇藤だそうです。
たくさん植えられている家があります。
いいなぁと思ってみていると、
割烹着の奥さんが水遣りの最中。
声をかけて、撮らせてもらいました。
「この花は、わすれな草ですね。」
と、私は、最近仕入れた知識を披露しました。
「そう、この青いのがそれですね。」
上の写真の花をさして、
「これってタワーみたいですね。」
「そうそう、名前も××××といいますよ」
前にもアップしたんですよね、この花。
しかも、名前を教えてくれたんですけれどね。
8時間経つと、もう忘れています。
だから、××××としか書けませんでした。
奥さん、教えていただいたのに、すみません。
****************************:
ルピナス、もしくは昇藤だそうです。
ルビーのように鮮やかな赤です! ― 2008/05/08

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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