
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
丸山尚敏『カラー野に咲く花』1&2(山と渓谷社 1968)との楽しい出会い ― 2008/05/04
花の本を探していました。以前買った本は、写真ではなく、絵であったし、使いにくくて、そのまま本棚に置いたままになっています。
新刊書で見つけた本は、高価。ブックオフでは見つかりませんでした。そこで、まちの昔から有る古本屋に出かけました。
何冊か置いてあることがうれしくて、手にとって選んでいました。
「カラー野に咲く花」というタイトルの本を見つけました。昭和43年初版ですから、西暦でいうと1968年。いまから、40年も前の本です。
事典風のものを頭に描いていたのですが、ずいぶん印象のちがう本でした。まるまる1ページ、ときに見開きで一つの花の写真が載っているのです。なんていうんでしょうか。生きた写真なのです。しかも、データを見ると、多数の名前があります。乏しい知識の私でもわかる方の名前もあります。
そういう構成が興味をひきました。
本文ですが、とてもじゃないけれど、花の解説にとどまらない面白さ。
人との出会いあり、文学談あり、なべの会(早稲田大学の野草研究会?)の食事会あり・・・。きっと、野で花を見つけて、こういう面白い話をして、学生たちを楽しませていたのだと思いました。
時代を感じさせるコメントがあります。
たとえば、フタリシズカ。
「ダジャレはいいとして、じゃあ、ヒトリシジカは、どうなんだ」と続きを読みました。
またまたダジャレ登場。「とてもじゃないけれど、これはふつうの花の本じゃないなぁ」と思いました。
他の本も見たのですが、この二冊の本が捨てがたく、結局1冊400円で買ってきました。
あとで、ネットで「丸山尚敏」という方を調べて、すごい方だと納得した次第です。「なべの会」のかたがたの追想を読んで、「寒いダジャレに困った」などが出てきて、大笑いしていました。2006年になくなられたそうです。ご冥福をお祈りします。
新刊書で見つけた本は、高価。ブックオフでは見つかりませんでした。そこで、まちの昔から有る古本屋に出かけました。
何冊か置いてあることがうれしくて、手にとって選んでいました。
「カラー野に咲く花」というタイトルの本を見つけました。昭和43年初版ですから、西暦でいうと1968年。いまから、40年も前の本です。
事典風のものを頭に描いていたのですが、ずいぶん印象のちがう本でした。まるまる1ページ、ときに見開きで一つの花の写真が載っているのです。なんていうんでしょうか。生きた写真なのです。しかも、データを見ると、多数の名前があります。乏しい知識の私でもわかる方の名前もあります。
そういう構成が興味をひきました。
本文ですが、とてもじゃないけれど、花の解説にとどまらない面白さ。
人との出会いあり、文学談あり、なべの会(早稲田大学の野草研究会?)の食事会あり・・・。きっと、野で花を見つけて、こういう面白い話をして、学生たちを楽しませていたのだと思いました。
時代を感じさせるコメントがあります。
たとえば、フタリシズカ。
今の若い人たちは何とも思わず2人静かに語り合ったりしているが、私どもの時代には儒教の精神がたたき込まれ、男女七才にして席を分けられ、小学校も男組と女組とに区別されていたので、たとえ夫婦でも手を取り合って歩くなどということはとてもできなかった。それでせめてものウサ晴らしに、こんな草にフタリシズカと名付けたのだろう、と思っている。
「ダジャレはいいとして、じゃあ、ヒトリシジカは、どうなんだ」と続きを読みました。
ひとり静かに物思いにふけっているとは、これはまた可哀想である。今の自由恋愛時代に片思いとはあまりにもいただけない。しかし妻子ある中年男にうっかり惚れ込んだりするとこんなことにもなりかねないから、若い娘さんはご注意、ご注意。
またまたダジャレ登場。「とてもじゃないけれど、これはふつうの花の本じゃないなぁ」と思いました。
他の本も見たのですが、この二冊の本が捨てがたく、結局1冊400円で買ってきました。
あとで、ネットで「丸山尚敏」という方を調べて、すごい方だと納得した次第です。「なべの会」のかたがたの追想を読んで、「寒いダジャレに困った」などが出てきて、大笑いしていました。2006年になくなられたそうです。ご冥福をお祈りします。
カキドオシ ― 2008/05/04
小さいユリのような清楚な花です ― 2008/05/04
悩むよりアップしたほうがいいかも、白い花 : 「ガマズミ」だとわかりました ― 2008/05/04
歩道の手すりに巻きついていた花(?) ― 2008/05/04
ピンクとブルーの色違いがきれいですね :勿忘草(ワスレナグサ) ― 2008/05/04
5月のサクラ ― 2008/05/04
シラン ― 2008/05/04
これもヤマブキ? 夕暮れ時でした : 「モッコウバラ」でした ― 2008/05/04
先日、真昼の輝くようなヤマブキを撮りました。
今度は夕暮れどき。場所もちがいます。
これも、同じヤマブキなんでしょうか?
色も薄らぎ、落ち着いて見えました。

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「モッコウバラ」だそうです。
訂正しておきます。
今度は夕暮れどき。場所もちがいます。
これも、同じヤマブキなんでしょうか?
色も薄らぎ、落ち着いて見えました。

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「モッコウバラ」だそうです。
訂正しておきます。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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