お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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バラのようですが、ちがうでしょうねぇ。2008/05/12

バラかな、ツバキかな、それとも・・・
バラのように見えました。
いやいや、ツバキに似ているかな?
それで、正体は?

今津川の河口で見つけた野草2008/05/12

今津川河口で見つけた野草
5月7日に高島市に行きました。
もう夕暮れどき。



湖岸をゆっくり見て回る時間もありません。

琵琶湖の透明度は改善しているという話でしたね。
そんなことを考えながら、歩きました。

あまり目立たない白い花を見つけました。
そういえば、この草はまだ見たことがないと
思って撮りました。

MKさん、これなにかわかりますか?

二つの「サロメ」の本2008/05/12

ワイルド・福田恒存訳『サロメ』(岩波文庫)
ブックオフで先日4冊の本を買ったと書きました。
2冊は、正岡子規にかかわる本。残り2冊は、「サロメ」でした。

 私が知っていたサロメは、ワイルドの戯曲だけでした。といっても、筋書きは知っていましたが、翻訳でも読んだことがありませんでした。
 たまたま、105円コーナーで、山川鴻三『サロメ -永遠の妖女-』(新潮選書)を見つけました。手にとって、知った名前がたくさん登場するし、読み応えのありそうな本でしたので、買いました。
それをもって、文庫本のコーナーを回ると、どういうわけか、ワイルド・福田恒存訳『サロメ』(岩波文庫)(上の写真)がありました。ビアズレーの挿絵が表紙に使われていますね。
これって偶然?同じ人が売ったのかも。

一昨日の夜、二つを読みました。さすがに深夜になってしまいました。
 はずかしいことに、サロメの出所は聖書であること、ワイルドの戯曲以外に多数あることなどをまったく知りませんでした。
 絵画や文学の素材として、長期にわたって取り上げられてきたのですね。それだけ、センセーショナルな、そして想像力を書き立てる物語ではありますね。
 モローやクリムトの絵はどなたも見たことがあると思うのですが。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)