お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「道の駅」に流れていたメロディ ― 2008/08/01

大津市の中心部から高島市の中心部まで
車で1時間から1時間半かかります。
午前9時30分に集合でしたから、
自宅を8時前に出発。
161号線は混雑していず、
思いのほか早く到着しそうなので、
「道の駅」に立ち寄ることにしました。

開店まもない時間でしたが、
駐車場には、すでに20台ぐらいの車。
ほとんどの客はコンビにに立ち寄り、
「道の駅」は、まばらでした。
カフェでは私が最初のお客。
一番窓よりの席を選び、
コーヒーを飲みながら、
ノートをひろげました。

オルゴールの音色で
メロディだけが流れています。
最初は無視していましたが、
メモが一段落したとき、
耳にひっかかりはじめました。
なつかしい・・・けれど、どこかちがうような。
(アレンジがちがったのですね)
そして、気がつきました。

「Ya Ya(あの時代を忘れない)」

・・・思いっきり忘れたい時代に聴いた
忘れられない曲でした。

冷麺とラフマニノフ ― 2008/07/23

ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番
もちろん、冷麺とラフマニノフは関係がありません。
いま食べたいのは、冷麺。
涼しい部屋で聴きたいのは、ラフマニノフ。
それだけのことなんです。

ラフマノニフのピアノ協奏曲第2番は、
チャイコフスキーのそれと並んで、
もっとも人気の高い曲だそうです。
甘い映画で使われたというだけで、
毛嫌いするのが私のよくない性格。

でも、毛嫌いするのはポーズであって、
二三日前には、3度も聴きました。
ソリストは、スビャトスラフ・リヒテル。
1959年に録音されたものが2種類。
ひとつは、1959年2月18日。
ザンデルリング指揮のレニングラード・フィル
(現在は、サンクト・ペテルブルグ・フィル)
もう一つは、1959年4月26日~28日。
ヴィスウォツキ指揮のワルシャワ・フィル。

オーケストラの深々とした歌は、レニングラード。
リヒテルの熱気は、ワルシャワ・フィルとのもの。
どっちも、気に入って、3度も聴くことになったのです。

YouTubeで「のだめカンタービレ」を見ていたら、
このコンチェルトが登場。
実際に誰が演奏しているのかわかりませんが、
楽しんで聴きました。

するとその翌日、朝BSを見ていたら、
中村紘子さんがこのコンチェルトを演奏。

そこでなんとなく思ったのです。
暑い夏、日本人にとって、
冷麺のような存在なんだなぁ・・・
ラフマニノフはって。

二つの『春の祭典』(ストラヴィンスキー)を見る ― 2008/07/14

オリジナルの背景
『春の祭典』(ストラヴィンスキー作曲)をネット動画で見ました。
演奏会ではなく、バレーの舞台のことです。
 以前に、スカパー(「クラシカ」)で、ニジンスキー特集があり、「春の祭典」の”生贄の踊り”の部分(ソロ)だけを見ました。
今回は、全体を見ることができました。オリジナルのニジンスキー振付を復刻したもので。(動画は3本に分割)。
 顔を横にしたスタイルは、CSで見たものと同じでした。
 このバレーが想定する舞台は、キリスト教化以前の異教的農村世界。一方、音楽が刻むリズムは鋭く、原色が飛び散る。しかし、舞台装置も衣装も地味でした。農村風景の平凡な書割。衣装は古代ロシア(スラブ)を意識したもの。衣装はらしくて好きですが。
 チャイコフスキーのバレーや同じストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」の舞台の華麗さに比べると、どこか野暮ったい。20世紀初頭のパリならば、かえって新鮮だったかも知れませんが・・・。
 ニジンスキーの振付は、独特で、見慣れないポーズばかり。バレー団としては大変なことだったでしょう。もう一回見ようと繰り返すうちに、はまってきます。

 もう一つ。バウシュのヴッパタール舞踏団(Pina Bausch Tanztheater Wuppertal)。
 これは、黒一色の背景。衣装も同様に布をまいただけ。時代も場所も抽象化された舞台です。
犠牲となる娘は、ニジンスキーの場合は、娘たちの集団舞踏のなかで、落ちこぼれたものがなるという仕組みがわかりやすい。そういう形で、生贄となった娘は、しばらくの間茫然自失。周囲の集団の舞踏と鋭い対比となります。この点はパウシュも同じ。
 生贄となる娘は茫然自失のなか、突然、狂ったように踊り始め、そして死。ニジンスキーの場合は、集団なしには生きられない古代の女性の狂乱であったのに対して、パウシュの振付は近代的な自我をもつ女性の狂乱となっているようです。恋人の男性(?)があり、その男性の苦悩もあります。

グランド・ゼロに咲く「ハナミズキ」 ― 2008/06/25

グランド・ゼロに咲く「はなみずき」
 YOUTUBEで、一青窈のライヴを見る。
 9・11事件の衝撃で、この歌(「はなみずき」)を創ったことを知る。

本人の語り(←クリック)

 もちろん、歌詞のどこにも、9・11は登場しない。「はなみずき」が返礼という花言葉をもち、日米の間で「サクラ」とともにある役割を果たしたことも書かれていない。なにも知らなくても、胸を打ち、事情を知ればさらに深いものとして聴こえる。
 一青窈を知ったのは、主演映画。プロフィールに、台湾人と日本人のハーフとある。すべての年代でそうだったとはいわないが、いまの彼女はこれをパワーと創造力の源泉にしていると私は感じる。
 「はなみずき」以外にも、「もらいなき」「風車」「お江戸ポルカ」「金魚」・・・どれも気に入っている。本人が、インタビューで”言葉フェチ”と自称しているが、言語感覚は鋭く特異。歌詞はオリジナリティに富む。
 ところで、そのメンタリティは、母親世代に近く、”濃さ”を感じる。昭和の歌謡曲メドレーや井上陽水「ジェラシー」などを聴くとあまりにぴったりなので驚く。

・・・ファンだといえば一言ですむ話なのだけれど(笑)。

中島みゆき@’70sビデオ(アザミ嬢のララバイ&わかれうた) ― 2008/06/08

 「著作権に問題があるんじゃないか」と思いながら、YouTubeを楽しんでいます。そう思うなら、見なければいいんでしょうけれど(笑)。
 昨晩は、一青窈さんの歌を動画で楽しんでいました。彼女は、CDよりライヴのほうがいいですね。おなじ曲でも、うたうごとに違う面を見せてくれるので、いろいろ見たくなるのです。
 どういうわけか、一青窈を検索したとき「トリビアの泉」が登場。なんだろうと見ると、「もらい泣き」の速度を80%にすると、平井堅の歌声になる(←クリック)というのがあって、実際そのとおりでとても面白い!!専門家の見解も紹介(ふたりとも裏声になる音の高さが同じで、こぶしなどのタイミングも似ている)されていて、しっかりした裏づけがあることも知り「ヘェ」の連続でした。ふたりのソウルフルな歌声はいいですねぇ。(CD買ってこよう)。

 それはともかく、中島みゆきさんの話です。

 彼女が、70年代の「夜のヒットスタジオ」に出演していたことを知りませんでした。初出演(たぶん)のときの映像がアップされていたのです。

これです←クリック

 新人なので、司会のふたりから、尊重されていない様子がありありでした。それに怒ることもなく、照れくさそうに、居所がなさそうにしています。ほぼノーメイク。地味な黒い衣装に、ギター1本だけをもち、足元は素足。おもわず、ちゃんと歌えるんだろうかと思ってしまいました。もてあまし気味に司会者に促されて、スタンバイ。
 ここまでは、ゲド戦記の「テルーの歌」の手嶌葵さんとそっくりでした。 (初々しい手嶌さんの場合は、見た目と歌声が一致していました)
 歌は2曲。「アザミ嬢のララバイ」と「わかれうた」。
 歌いはじめたとき、照れくさそうな、居所のなさそうな女の子はそこにはいませんでした。まぎれもない中島みゆきがそこにいました。歌は、周囲の空気まで一変させるのです。これをリアルタイムで見ても、「ああ、みゆきさんは本物」って思いますよね。

黒ネコとSHIN-ICHI FUKUDA『JONGO』と森茉莉と ― 2008/06/02

SHIN-ICHI FUKUDA『JONGO』
 福田新一さんのギターとピアソラが3曲楽しめるCDが、『JONGO』(VICP-228)。もちろん、14曲あるので、ピアソラだけではなけれど、一番気に入ったのは、タンゴ「ブエノスアイレスの冬」。
 このCDの表紙に黒ネコがいる。このネコがいるので、つい買ってしまったのだけど、買ってほんとうによかったと思っている。
 昨日、森茉莉『私の美の世界』(新潮文庫)から、適当に気に入りそうな文章を選んで読んでいた。「なんか、ちがうなぁ」と思わないこともなかったけれど、二つの文章は気に入った。ひとつは、「悪魔と黒猫」。もうひとつは、「室生犀星の死」である。
 そもそも、福田新一さんのCDを取り出して聞き始めたのは、この文章を読んだからに他ならない。
 「悪魔と黒猫」はつぎのように結ばれている。
 死ぬ日の午後、寝台の下から私を見て、一声啼いたお前の声は今でも私の胸を掻きむしる。それは母親の死んだ時の記憶よりも切ない。何故ならお前は自分が猫であることも知らず、死というものも知らずにいて、そのために幸福だった。それが最後の日になって、やっぱり何かを感じたらしかったからだ・・・。

 私も昔からネコを人とかわらない気持ちで飼っていて、しかも、その最後を看取ったこともあるので、ぐっとくるものがある。
 他方「室生犀星の死」は、最後まで癌であることを告知しないまま迎えるものとなっていた。
 締めくくるりの文章は、つぎのように書かれている。
 仕方がない。と、マリは想った。敬愛している犀星のために、犀星の一生の最終を、人々に目にものを見せる絶筆を書かせて、光り輝くものにしたかったとしても、それは出来なかったのだ。死と、がっちり噛み合って、燃えながら死ぬ犀星を、人々に見せてやりたかった、なぞといったって、もう何もかもが終わったのだ。
 犀星は死んだ。せめて、最後の荒い呼吸づかいに、禿鷹の死の、烈しい羽音を、聴かせて。

 私も母を癌でなくしている。それが判明してから、数ヶ月におよぶ病院生活をともにすごした。
 森茉莉の死に向かい合う二つの文章に強く共感するものを感じたということである。

ギレリスさん、すみません。好きになれませんでした。 ― 2008/05/27

ギレリス&ヨッフムのブラームスは好きになれませんでした
 大演奏家の演奏を批判する力はありません。でも、好き嫌いは言うことは許されると思います。
 ピアノ協奏曲第一番をゆったり演奏するのはいいと思いますが、気持ちをこめすぎた演奏は好きではありません。
 ヨッフムさんも遠慮がちな気がします。
 申し訳ありませんが、ブラームスの若々しい時代の曲は、フリにつきあう必要はないように思うのです。

ゼルキン&セルさんのブラームス。硬派ぶりが大好きです ― 2008/05/27

ゼルキンさんとセルさんの硬派ブラームスは大好きです
 録音さえよければ、もっとうれしいのにと思います。弦楽器などの伸びのない硬い音色がつらいのです。このオーケストラの音をもっと透明感のある録音で聴きたいのにって思います。
 硬いピアノの音は好きです。オーケストラとのかけあいも好きです。ねちねちしていないところがいいのです。
 自己憐憫のないブラームス!

「さあ前へ進もう」というブラームス ― 2008/05/27

バックハウスさんのブラームスは前向きでいいですね
 ブラームスの音楽は好きです。ただネチネチした暗さは嫌いです。ピアノ五重奏曲は好きになれません。ピアノ協奏曲の第二番は、とにかく好きです。名前を覚えるよりも前に好きになりました(LPをタイトルも見ないでかけつづけただけのことですけど)。
 ピアノ協奏曲の第一番は、微妙でした。
 けれど、バックハウスさんのSP時代の演奏を聴いて、これだと思いました。ギレリスさんのようにときどき止まりそうなほどしっぽり演奏すべき曲ではなくて、そういうところは弾き飛ばして若々しく「前へ進もう!」という曲なんだと思いました。(ミスタッチをしているとか、いいかげんにしているという意味じゃあありません)

ケナーによるアランフェス協奏曲@近鉄奈良駅 ― 2008/05/05

ケナーの響きにのせてアランフェス協奏曲を演奏
 午後11時ちかくにようやくJR大津駅から出発。JR京都駅で、近鉄に乗り換えて、近鉄奈良駅へ。お昼を過ぎていました。
 地下から地上に昇ると、音楽が聞こえはじめました。
 それは、とても懐かしい響きでした。
 民族楽器ケナーの素朴であたたかみのある音色にのって、ロドリーゴのアランフェス協奏曲(有名な2楽章です)が流れてきました。私は、家族に置いてきぼりにされながら、少しでも長く聴いていたいと思いました。
 初めての子どもを失ったロドリーゴの悲しみが伝わってくるようでした。
 三人組さんに、わずかですけれど、カンパをしてその場を離れました。不意打ちに出会う名曲には、忘れがたい印象をもつものです。
 せっかくだから帰りに出会えたら、このトリオの方々のCDを買おうかと思っていたんです。
 出会えなくて残念。グループ名もみないままでした。
ご本人たちはもちろんですが、わかる方いらっしゃったら、連絡ください。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ Aブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ Bブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ Cブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ Eブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ Fブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ Kブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ Lブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)