お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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世界遺産指定があだにならないか心配になります@白川郷の報道を読んで2008/04/08

2003年7月の白川郷
 屋久島は全島が世界遺産。縄文杉はその象徴とも言うべき存在です。
 しかし、縄文杉トラッキングに参加したとき、不安な気持ちになりました。そのことは、ブログでも書きました。
『「縄文杉」に引き寄せられる私たち』

●京都新聞の記事を読んで

 今日、京都新聞に『白川郷 車と人でパンク? かやぶき屋根残る世界遺産が・・・東海北陸道、7月に全線開通』(4月8日付)という記事がのりました。
 白川郷は、世界遺産登録後に、観光客が倍増(年間140万人に)したそうです。観光シーズンには、1日に1万人。となると、駐車場がパンク状態。現在は、約800台分があるそうですが、ゴールデンウィークには、空きを待つ車で村道が埋め尽くされてしまうとか。雰囲気も、環境も台無しです。
 おまけに、7月に東海北陸道が開通するそうです。
 白川郷インターから郷までわずか4キロメートル。車で10分。集客が加速されるのは明らかです。
 予測される数値は、さらに倍の年間200万人。ピークは1日2万5千人!!
 これでは、世界遺産に指定されたことがあだになってしまいます。

●ではどうするのか。

 村では、まず駐車場の増設と確保。
しかし、車であふれることを容認する方向であり、世界遺産の雰囲気を破壊しかねません。自家用車の規制と公共交通の利用も限界があります。
結局、立ち入り規制ということが必要になるのです。
 世界遺産登録とはなにか・・・私は観光に出かける立場ですが、真剣に考えるべきことなのだと思いました。

●2003年の白川郷

今から数年前に越前海岸から、白川郷を回ってきました。そのときの写真がありました。上のアップしたものがそれ。
小学生のH君が写っています。
とても、静かな雰囲気で、車の駐車場に困ることはありませんでした。のんびり村中の道を歩きました。

車社会を前提に進むイオンモール工事@琵琶湖岸2008/04/08

近江大橋のむこうに建設中のイオンモール
 白川郷のように、押し寄せる車と観光客が「世界遺産指定」によって加速されるとすれば、皮肉なことです。

●車社会前提の計画は将来的に許されるのか

 しかし、被害をこうむっているのは、世界遺産だけではありません。もはや、車社会はもう限界に来ているはずです。車をどんどん一箇所に集めよういう発想がもう時代と合致しません。
 なのに30キロ半径という広域から車で集客することを念頭において超大型複合商業施設が建設されていきます。しかも、温暖化によって酸素循環機能の不全が心配されている琵琶湖の岸にです。
 1万平方メートルを越える大型店は、2007年11月からは出店できないことになっています。たとえ、猶予期間でも、法制定の趣旨を理解していれば、出店を控えるべきだと思います。しかし、法は決まっても施行されるまでは勝手だといわんばかりに駆け込み出店されようとしています。
 確かに施行前ですから、合法といえば合法ですが、大型店も社会的存在ですから、社会の一員としてのモラルが問われていると思いました。ましてや最大手のイオンモール。業界全体をリードするべきとkろおが、こういう態度では、大企業の横暴といわれても仕方ないです。

●工事がすすむイオンモール

 今日はうす曇ですが、ときどき晴れ間がのぞきます。
 昼休みに積極的にウォーキング(2年後にめざすは富士山!)しました。膳所公園からなぎさ公園を浜大津近くまで早足で歩きました。
 近江大橋の向こうに見慣れない建物ができています。これがイオンモール。この橋の渋滞は必至だと思うのですが。

サクラが花ごと散るケース@まちなか2008/04/08

地面に落ちたサクラ:花ごと落ちてます
サクラの花の散り方が気になっています。
花びらが雪のように舞って散る姿は見慣れています。
でも、花の形のまま落下していく姿は想像できません。
お昼休みに、まちなかの公園のサクラを見に行きました。
地面を見ると・・・この状態。
う~ん、これは、花ごと散っていますね。
クリックして画像を大きくしてみてください。
この様子で散るさまをリアルタイムで
見てみたいものですが、
決して風流とはいえないのではないでしょうか。
迫力はあるでしょうけれど。
ボトボトと。

別の場所・・・サクラの名所である「膳所公園」まで
足を伸ばすことにしました。

膳所公園へサクラの散りぎわウォッチング2008/04/08

サクラの名所・膳所公園
「今年のサクラは花ごと散るらしい」と
N氏が言ったことから、
はじまった花の散りぎわウォッチング。
N氏のいうとおり、花がボトリとまるごと落ちています。

どこもそうなんでしょうか。

気になったので、
サクラの名所・膳所公園に
足を伸ばしました。
時間がないので、早歩き。
信号待ちの間を長く感じながら、公園へ。
いかにも名所ですという場所です。

サクラが花びらごとに散るケース@膳所公園2008/04/08

花びら派が圧勝した膳所公園
琵琶湖岸の膳所公園のサクラは、
花ごとボトリと散っているのでしょうか?
それとも、花びらに分かれて散っているのでしょうか?

サクラ散る地面を撮りました。
申し訳ありませんが、クリックして拡大を。

大多数が、花びら派ですね。
花ごとボトリ派もいますが、ごく少数。

幹にもサクラは咲くらしい2008/04/08

幹から咲くサクラもある
サクラは枝だけではなく、
幹からも咲くのですね。

なにか不思議な気がしました。

サクラ満開・・・他に言う言葉はありません2008/04/08

サクラ満開
サクラは満開。どこを写しても花ばかりです。
このサクラは、花まるごと散っていました。
どこがちがうのでしょうねぇ。
この木の隣には、色がもう少しピンクの
サクラがありました。

すこし濃いピンクのサクラです2008/04/08

桜色のサクラ
同じ公園に咲いていても、色がちがいます。
「最近のサクラは、排気ガスのために脱色した」と
だれかが言っていましたが、ほんとうなのでしょうか?
それは、ともかく、ピンクのサクラはつやっぽくて
きれいです。

膳所公園のサクラ2008/04/08

膳所公園のサクラ
背の高いサクラの木いっぱいに咲いています。
このサクラは、花びらが散るタイプ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)