お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
これも、タンポポ??どうも、ちがいますよね ― 2008/04/19
小さな雑草ですが、白い花をびっしり咲かせていました ― 2008/04/19
柴田宵曲『評伝 正岡子規』あとがき(佐伯彰一)から ― 2008/04/19
正岡子規への関心を抱いたのは、司馬遼太郎『坂の上の雲』、そしてマンガ・江川達也『日露戦争物語』(連載中断)でした。
それでも、俳句は縁遠く、作品を読む気がしませんでした。 この評伝にたどり着いたのは、日清戦争を調べ始めてから、正岡子規が従軍記者として、遼東半島へ向かったことを思い出したからです。 読み始めて、この本がすぐれたものであることに気がつきました。それは、昭和16年という戦前の時代に書かれながら、ひとつも旧さを感じなかったことでも明らかです。
なによりも冷静でテンポがよい叙述が魅力的でした。
この本の最後に佐伯彰一氏の解説があります。題は「細部の感覚、持ちの良さ 伝記作家としての宵曲居士」
この小論を読んで、柴田宵曲氏のよさを再確認したのです。主な部分を紹介しますと、
長い引用ですが、調べものをしたり、それを叙述する上で参考になる指摘でした。
それでも、俳句は縁遠く、作品を読む気がしませんでした。 この評伝にたどり着いたのは、日清戦争を調べ始めてから、正岡子規が従軍記者として、遼東半島へ向かったことを思い出したからです。 読み始めて、この本がすぐれたものであることに気がつきました。それは、昭和16年という戦前の時代に書かれながら、ひとつも旧さを感じなかったことでも明らかです。
なによりも冷静でテンポがよい叙述が魅力的でした。
この本の最後に佐伯彰一氏の解説があります。題は「細部の感覚、持ちの良さ 伝記作家としての宵曲居士」
この小論を読んで、柴田宵曲氏のよさを再確認したのです。主な部分を紹介しますと、
伝記において大切なのは、何よりもまずこうした細部だと、言わずにいられない。というのも、最近の伝記ジャンルの趨勢は、とかく情報量と詳密さを競い合う所に赴きがちで、とくにアメリカでは、やたらと膨大な作家伝が次々と刊行されて、応接のいとまがないような有様だが、こうした圧倒的な大著にも、じつは案外なほど、こうした細部の感覚が欠落しているものが多いのだ。対象たる作家に関することなら細大もらさず取りこまずにおかないという意気ごみは、それなりに見事といってもいいのだが、やたらと雑多な事実、挿話がひしめき合いながらも、肝心の対象の素顔も肉声もさっぱり伝わってこない。一方では網羅主義にかまけて、事実の選択が忘れさられているせいであり、他方、詳しくは描きこんでいるようで、案外細部のつめが甘く、不正確だったりする。つまり、細部の感覚が欠けていると呟かずにいられない場合にしばしば出くわす。この点、この子規評伝は、全編に細かく神経がゆきとどいて、一々の細部がよく利いていること見事なばかりで、事実に対する作者の選択眼のよさを改めてふり返らずにはいられない。
長い引用ですが、調べものをしたり、それを叙述する上で参考になる指摘でした。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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