お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

ショウジョウバカマ(猩々袴)2008/04/13

ショウジョウバカマ(猩々袴)
日曜日の朝のこと。
大津市から京都市へ抜ける間道のわきに
バイクをとめて、野草植物の写真を撮っていました。
ちょうど峠のようになっていて、
峠の先に人がひとりバイクをとめて、
山を見上げていました。
二つのバイクの距離は20メートルと接近。
その人から声をかけられました。

「花を撮っているんですか」
「はい」

「それじゃあ」といろいろ花を探してくれました。
いくつかの名前を早口で言いながら
でしたのでとても覚えられません。

しかし、この花の名前はとても印象的
でしたから、覚えています。

「ショウジョウバカマ」
タヌキの袴ってことですね。

守山市の方でした。
またの出会いを楽しみにしています。

遠くから見ると黄色いユキヤナギに見えました2008/04/13

黄色いユキヤナギに見えました
ユキヤナギは遠くから見てもはっきり
その白さが際立っています。
しなやかな枝いっぱいに白い花が咲き、
それが緑を背景に目立ちます。
ふと見ると、同じような感じで
しなる枝に連なる黄色の花を見つけました。
とおくの山に見えたので、近づくことは
できませんでした。
しかたなく、別の山道を走っていると、
これじゃないかなぁという花に出会いました。

せっかく名前をきいたのに・・・2008/04/13

名前を教えてもらったのにわすれました
今朝、山でであった方に
野生植物について
いろいろ教えてもらいました。
その中のひとつがこの花でした。
そうそうこの花を撮影していたときに
声をかけていただいたのです。
でも、名前がおぼえきれませんでした。
すみません。

ヤツデ(八手)2008/04/13

まあ・・・ヤツデです
ヤツデですね。
別に珍しいわけでも、キレイなわけでもありません。
でも、この球体のブツブツが気になって
しかたがないのです。

スミレ・・・ですよね2008/04/13

石垣のすきまに生えているスミレ
大津市の長等学区から
小関越の道を行けば、
藤尾学区に抜けていきます。
そうすれば、京都への道が開けます。
小関越の山道の片方の崖は
石垣で舗装されています。
その石のあいだのあちこちに
スミレが花を咲かせています。
・・・スミレであっていますよね

野いちご2008/04/13

野いちご
せっかくの日曜日、
今日は家族と出かける予定の日でした。
なのに朝のパンを買いに出ると
いったまま、つい山を散策してしまいました。

これは野いちご。

まだ食べられませんね。
時間があれば、もっとたくさんの
草花に出会うことができたのに残念です。

亀岡市に行ってきます。

ややこしいぞ!第二名神2008/04/13

わかりにくい標識が登場@第二名神
新しく第二名神が開通して、
いまは料金が半額セール。
これが、カミさんが日曜日に亀岡市に
行こうと決めた第一の理由でした。

遠出はカーナビに頼ることがほとんど
でしたが、今回はカーナビは役に立ちません。
開通したばかりの高速道路ですから。
ところで、
「第二名神は道路標識がわかりにくい」
とカミさんが言っています。
「まちがって降りる人が職場で続出している。」
とか。
それをきいて走る前からうんざり。
運転は、走ったことのある
カミさんにまかせました。

大津インターから入って、
さっそくややこしい標識が登場。
画面をクリックして下さい。
有機化学でおなじみの
カメの甲羅みたいでしょ。
これを読み取れというのか?

草津JCT付近はこんな感じ2008/04/13

草津JCT付近@第二名神
カミさんの職場近くにある草津JCT。
さっきのカメノコよりはわかりやすいですが、
出口を入れると、5つの選択肢がある
わけですね。
知らなかった。

関宿を訪れる観光客2008/04/13

関宿をおとずれる観光客
大津市から亀岡市まで、第二名神を利用しました。
祝開通で一定期間半額。片道1,200円。
1時間もかからないのでこの値段ならお得。

出発は、10時35分ぐらい。
到着は11時40分ごろでした。

インターで降りたあと、
いったん亀岡の方に向かいました。
観光のメインは亀岡より関町。
ですから、1号線をもどって
関の道の駅の観光案内センターへ。
そこを起点にして、
「関宿」をぶらぶら歩くことになりました。

昼過ぎはまだ人影はまばらでしたが、
午後2時をすぎてから、
観光バスで訪れる客が増えてきました。

車が走っていない!関宿2008/04/13

車が走ってない関宿
かつての鈴鹿の関があったところ。
「関宿」は東海道の宿場町を再現してます。
観光を考慮しているのでしょう。
ですが、車が(ほとんど)走っていない道は、
感性的にインパクトがありました。
まず、静か・・・。
なにか別世界です。
つまり、これがタイムスリップ。
江戸時代には戻らないでしょうけれど、
数十年前の日本には出会えるところです。

ところで、車はともかく、
観光客がいないじゃないか!という
つっこみが出そうですね。
いたのですが、いなくなったときを
とらえて撮影しました。
まだ時間が早かった(?)のです。
それに、この方向には、あまり
「マップ」に掲載されたクーポンの
お店が少ないってこともあるのです。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)