お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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シャガ(射干、著莪)2008/04/16

シャガ(射干、著莪)
この花は、シャガ(射干、著莪)
MKさんに教えていただきました。
最初アップしたときは、花がメインでした。
しかし、この写真は、すこしひいて写しています。
周りの雰囲気や、茎の様子もわかります。
アヤメ科とかいてありましたが、
花の形をみればなるほどと思いました。
名前がわかった花は、できるだけちがうアングルの写真を使って、再度アップすることにしたいと思います。

潜水ロボット「淡探」はもう潜れないのか2008/04/16

琵琶湖研究所にある「淡探」の模型
 滋賀県の嘉田知事誕生につづいて、大阪府でも、無党派の圧倒的な支持をえて橋下知事(自民・公明)が誕生しました。
 しかし、そのもとで、いろんな施設が切り捨てられようとしています。「ちりとてちん」のワッハ大阪もですね。
 先日、びわ湖ホールのコンサートに行きましたが、補助削減の対象となった大阪センチュリー・オーケストラへの存続を願う署名が行われていました。
 滋賀県の嘉田知事の方ですが、新幹線新駅や大型産廃施設計画を中止したことで評価する人たちがいる一方で、専門分野と思われた環境行政で予算削減が提案され、県民の反対運動が生まれました。
 京都新聞は、2007年12月11日につぎのような報道をしました。
 
潜水ロボット「淡探」調査継続を
滋賀県に市民グループが要望
 琵琶湖を調査する自律型潜水ロボット「淡探(たんたん)」と淡探を運用する実験調査船「はっけん号」による調査が、財政難から中止も含めて検討されている問題で、調査の存続を求める市民グループ「淡探・はっけん号を守る会」(山内陽子代表)は10日、滋賀県の嘉田由紀子知事あてに、市町などとの共同利用の提案などを盛り込んだ要望書を3129人分の署名とともに提出した。
  要望では、温暖化の進行による影響も懸念される湖底の状況を調査・発信し、改善を進めるため、県環境科学研究センター(大津市)で行っている淡探を使った調査研究の継続と拡充を求めている。その上で県が市町や企業、大学などに要請し、共同利用で存続を図ってほしいと訴えている。
 山内さんは「調査を止めた時点で継続データは価値を失う。存続するよう検討してほしい」と話している。
 淡探とはっけん号を使った調査について、県は「県財政構造改革プログラムの議論の中で、議会とともに方向性を検討していく」(環境政策課)としている。

しかし結果は、だめでした。
県議会多数派は、嘉田知事の削減を受け入れました。

2008年2月23日、読売新聞はつぎのように伝えています。
「淡探」調査3年間休止へ、議会で知事が表明
 琵琶湖の水質や生態を観測できる自律型潜水ロボット「淡探(たんたん)」を使った研究活動が2008年度から3年間、休止される。嘉田知事は2月22日の県議会代表質問で、「調査船『みずすまし2世』搭載の水中カメラで湖底の映像を撮影するなどして、深層部の監視を続けていきたい」として、運航休止の影響を最小限に抑えられるとの見解を示した。
 「淡探」(全長2メートル、重さ180キロ)はコンピューターに記憶した航路を自動航行し、琵琶湖最深部(104メートル)を超える150メートルまで潜ることができ、デジタルカメラや顕微鏡を装備している。県琵琶湖環境科学研究センター(大津市柳が崎)の試験研究費を08年度当初予算で約8800万円と、前年度から約1億3000万円削減。10年度までの運航も休止することにした。
 このほか、底層部の低酸素化の調査など、研究テーマを政策課題対応型に集中させて予算削減に取り組むとし、「選択と集中を図りつつ、琵琶湖の総合保全のための研究はしっかりと実施していく」と強調した。
 一方、淡探の開発に携わり、調査している同センターの熊谷道夫・研究情報統括員は読売新聞の取材に「淡探とみずすまし2世では調査目的や機能、精度は大きく異なり、代替できない。民間資金を集めるなどして何とか調査を継続したい」と話した。

しかし、熊谷孝夫さんの話にあるように、あきらめたわけではなかったのです。2008年4月12日、市民が中心となって「びわこトラスト」が生まれました。

毎日新聞は以下のように伝えています。
びわ湖トラスト:研究支援、情報発信を 新たな枠組み目指し発足 /滋賀
 県の琵琶湖研究費の大幅削減を受け、市民や研究者らが研究支援や情報発信を目指して結成した団体「びわ湖トラスト」の発足式が12日、大津市内であった。発起人らは、今年度から運用が凍結された県琵琶湖環境科学研究センターの水中探査ロボット「淡探(たんたん)」の調査成果や、温暖化の影響とみられる琵琶湖北湖(琵琶湖大橋以北)の湖底付近の低酸素化の問題などに言及し、先端機器による研究で琵琶湖の現実を知ることの大切さなどを語り合った。
 淡探は世界的にも珍しい湖沼定期観測用の自律型ロボット。財政難の県は08年度予算で同センターの研究費を約6割カットし、淡探も凍結。県の動きを察知した市民や研究者らが、署名活動などで運用継続を県に求め、新たな研究の枠組み作りを目指して「トラスト」を結成した。
 式典ではトラスト準備会の山内陽子事務局長が「暖冬で琵琶湖はどうなるか心配した。もっと琵琶湖を注意して見ることが大事と分かった。琵琶湖はお金では買えない。真実を知り、みんな輪になって精いっぱいやれば、なんとかなるのではないか。今日は琵琶湖への意識改革の日だと思う」とあいさつ。
 淡探の開発者の一人の浦環・東大生産技術研究所教授は「湖の表面は見えても底で何が起きているか見えない。湖底を知るよう努力し、長期間のデータに基づいて初めて現実が見える。ぜひ淡探の継続を」と訴えた。熊谷道夫・同センター環境情報統括員は、米国の湖でも水温上昇や湖水の循環鈍化という温暖化の影響が現れていることなどを指摘。昨年12月に淡探が北湖の深層で撮影した酸素濃度の低下が原因と疑われるイサザの大量死の映像などを示し、「事実を示し、今後どうしたらいいか考える場にトラストがなれば」と話した。【服部正法】

熊谷道夫さんを訪ねる@県琵琶湖環境科学研究センター2008/04/16

環境情報統括員・熊谷孝夫さん
 琵琶湖湖底の低酸素化が重大問題となってきた2008年春に、県琵琶湖環境科学研究センターに、M県会議員さんたちとともに、環境情報統括員の熊谷道夫さんを訪ねました。あとで参院議員となったYさんもいっしょでした。
 そのとき、低酸素化の現状とメカニズムについて説明をうけました。
 私は岡本巌名誉教授のもとで、水質の勉強をしてきましたので、事の重大さがよく飲み込める内容でした。
 岡本巌先生は高齢になっても、琵琶湖の水質問題に取り組んでおられる猛者ですが、熊谷さんも、負けず劣らぬ本気さと情熱を感じました。外観は、はるかにスマートですが(笑)。
熊谷さんのお名前が間違っていました。
孝夫さんって書きましたが、
正しくは、「道夫」さんでした。
申し訳ありませんでした。
おわびするとともに、訂正します。

吉原稔弁護士@第14回びわ湖問題講演会2008/04/16

吉原稔弁護士@第14回びわ湖問題講演会
 「びわこトラスト」ができた同じ4月12日、大津市内で「びわ湖の会」主催で第14回びわ湖問題講演会が開かれました。講師は、吉原稔弁護士。「びわこトラスト」発足式のあと駆けつける忙しさでした。テーマは、「あらためて琵琶総(琵琶湖総合開発計画)を総括する」というものでした。タイトルは硬いですが、ご本人の話は明確で、吉原節が炸裂する痛快なものでした。
 それにしても一年間の間に、二度も最高裁判所の判決で勝訴するのはたいしたものです。しかも、住民運動の側に立って、新幹線栗東新駅、永源寺第二ダムをともに中止に追い込む決定的な力を発揮したわけですから。全国に与える影響も大きかったと思います。
 ところで、向かうところ敵なしという感じですが、ご自宅付近に出没するサルには勝てない様子。まあ、サルを相手に裁判は戦えませんから。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)