
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
もうすぐ1周年:ブログについて考える ― 2008/04/27
2007年5月の終わり頃に、ブログを再開しました。登録はずっと前でしたが、2~3回書いただけでそのまま放置していました。どこか無理があって、続きませんでした。ブログでなにがしたいのかわからなかったこともあるけれど、気持ちをオープンにしてネット世界で生きるという気持ちがなかったことが一番だと思います。
再開したのは、2007年5月、4年越しの仕事が一段落したあとです。
達成感はありましたが、心にすこし空間が開いたことがきっかけとなったと思います。また、2006年12月にD40を購入したことも動機となりました。しかし、なにを載せよう、なにを書こうか迷ったために、「この記なんの記」と自問自答するようなタイトルになってしまいました。
それから、ほぼ1年が過ぎました。
ハンドルネームで書くことに躊躇はありましたが、外に向かって文章を書いたり、写真を載せることは単純に楽しいものです。また、必要に迫られて、関心のあるテーマに特化して書き続けたこともありました。
見てもらえる(はず)、読んでもらえる(はず)という刺激に満足していたのです。
そのうち、他の方のブログを見に出かける楽しみを覚えて、ブログなしには知り合うことができない人たちとも出会うことができました。
・・・これで十分なのですが、1年経って、もっと前に進みたい、もっとブログの可能性を生かしたいと考えるのです。
ブログをめぐるニュースとして、ブロガーの過労死が最近報道され話題となりました。注目されることのもつ刺激とプレッシャー、アクセス数やランキングの変動が、その人の行動様式を拘束する結果だと思います。ミクシでも感じましたが、ブログやミクシを大切にすればするほど、ネット中毒と呼ばれる心理状態、依存状態が生まれるのです。
もちろん、そうはなりたくありません。
ですが、こうして立ち止まって、ブログについて考えるという行動自身が、のめりこみの一歩かも知れませんね(笑)。
注目されるのはうれしいことです。しかし、ある知事さんについて書いた日記に思いがけなく多数のアクセスがあり、コメントがありました。丁寧に理性的に対応したつもりですが、リアル世界で顔を合わせて話をするときとは違い、激しい言葉のやりとりになりがちでした。その瞬間の言葉だけでやりとりするのですから、私が書き続けてきた文脈や生きてきた文脈の共有がないからだと思いました。
私もそうですが、ブログでは読んだその言葉がすべてであって、それに反応してしまいます。その人が逆説的に言っているのかどうかなどは、その言葉だけではわかりません。もちろん、言葉のニュワンスもわかりません。そこには、ネット世界では避けられない問題があると思いました。
リアル世界では、その人がいいたいことは、顔の表情や声の調子で補われています。相手の反応を見て、即座に訂正することもできます。ブログは、それら一切が欠落します。書き言葉の情報量の少なさ、意思伝達機能の不十分さが自覚されているならばまだ救いがあるかも知れません。しかし、その自覚がないまま、ネット世界に入っていくと傷つけ、傷つけられる事態が生まれると思いました。
話がそれてしまいました。
トラックバック・スパムが横行することによって、トラックバックを拒否する動きが広がり始めました。マイナーなアサブロでさえそうですから、全体はもっと広がっているのでしょうか。
トラックバックなしのブログに未来はあるとは思えません。防衛策が出されなければならないのですが、その遅さに、疑問を感じています。
自分の書くブログの内容については、すぐに改善できるとは思えません。それは、ボチボチということになります。
しかし、他の人たちのブログをこれまで以上に訪問しよう、もっと違うつながりをつくろう・・・これはやれると思います。トラックバックができなくても、コメントはまだ書けると思いますから。
・・・つづきは、また考えることにします。
おやすみなさい。
再開したのは、2007年5月、4年越しの仕事が一段落したあとです。
達成感はありましたが、心にすこし空間が開いたことがきっかけとなったと思います。また、2006年12月にD40を購入したことも動機となりました。しかし、なにを載せよう、なにを書こうか迷ったために、「この記なんの記」と自問自答するようなタイトルになってしまいました。
それから、ほぼ1年が過ぎました。
ハンドルネームで書くことに躊躇はありましたが、外に向かって文章を書いたり、写真を載せることは単純に楽しいものです。また、必要に迫られて、関心のあるテーマに特化して書き続けたこともありました。
見てもらえる(はず)、読んでもらえる(はず)という刺激に満足していたのです。
そのうち、他の方のブログを見に出かける楽しみを覚えて、ブログなしには知り合うことができない人たちとも出会うことができました。
・・・これで十分なのですが、1年経って、もっと前に進みたい、もっとブログの可能性を生かしたいと考えるのです。
ブログをめぐるニュースとして、ブロガーの過労死が最近報道され話題となりました。注目されることのもつ刺激とプレッシャー、アクセス数やランキングの変動が、その人の行動様式を拘束する結果だと思います。ミクシでも感じましたが、ブログやミクシを大切にすればするほど、ネット中毒と呼ばれる心理状態、依存状態が生まれるのです。
もちろん、そうはなりたくありません。
ですが、こうして立ち止まって、ブログについて考えるという行動自身が、のめりこみの一歩かも知れませんね(笑)。
注目されるのはうれしいことです。しかし、ある知事さんについて書いた日記に思いがけなく多数のアクセスがあり、コメントがありました。丁寧に理性的に対応したつもりですが、リアル世界で顔を合わせて話をするときとは違い、激しい言葉のやりとりになりがちでした。その瞬間の言葉だけでやりとりするのですから、私が書き続けてきた文脈や生きてきた文脈の共有がないからだと思いました。
私もそうですが、ブログでは読んだその言葉がすべてであって、それに反応してしまいます。その人が逆説的に言っているのかどうかなどは、その言葉だけではわかりません。もちろん、言葉のニュワンスもわかりません。そこには、ネット世界では避けられない問題があると思いました。
リアル世界では、その人がいいたいことは、顔の表情や声の調子で補われています。相手の反応を見て、即座に訂正することもできます。ブログは、それら一切が欠落します。書き言葉の情報量の少なさ、意思伝達機能の不十分さが自覚されているならばまだ救いがあるかも知れません。しかし、その自覚がないまま、ネット世界に入っていくと傷つけ、傷つけられる事態が生まれると思いました。
話がそれてしまいました。
トラックバック・スパムが横行することによって、トラックバックを拒否する動きが広がり始めました。マイナーなアサブロでさえそうですから、全体はもっと広がっているのでしょうか。
トラックバックなしのブログに未来はあるとは思えません。防衛策が出されなければならないのですが、その遅さに、疑問を感じています。
自分の書くブログの内容については、すぐに改善できるとは思えません。それは、ボチボチということになります。
しかし、他の人たちのブログをこれまで以上に訪問しよう、もっと違うつながりをつくろう・・・これはやれると思います。トラックバックができなくても、コメントはまだ書けると思いますから。
・・・つづきは、また考えることにします。
おやすみなさい。
「ねこ鍋」!じゃなく「ねこダンボール」@わが家 ― 2008/04/27
ネコの周りを見ないでください。
あるのは、・・・
ネコが入っているのは、ダンボールです。
洗濯後の靴下を一時的に入れていました。
ところが、靴下が下敷きになって、
ダンボールははちきれそう。
わが家のミドルエイジのネコさんたちは、
このダンボール箱が
とても気に入ったようです。
この箱は、けっして小さくないのです。
しかし、10kgのモー♂ネコ=茶色が
最初にはいって、それだけで満タン。
なのに、後から7kgのムー♂ネコが
無理やり入り込んでいます。
なんで、こんなことになるんでしょう。
スペースならいっぱいあるのに、
二匹しかいないネコがダンボールに
無理やりはいるなんて!!
ちっともかわいくないですが、「ねこ鍋」現象ですね。
上から見ると、↓こんな感じ。
あるのは、・・・
ネコが入っているのは、ダンボールです。
洗濯後の靴下を一時的に入れていました。
ところが、靴下が下敷きになって、
ダンボールははちきれそう。
わが家のミドルエイジのネコさんたちは、
このダンボール箱が
とても気に入ったようです。
この箱は、けっして小さくないのです。
しかし、10kgのモー♂ネコ=茶色が
最初にはいって、それだけで満タン。
なのに、後から7kgのムー♂ネコが
無理やり入り込んでいます。
なんで、こんなことになるんでしょう。
スペースならいっぱいあるのに、
二匹しかいないネコがダンボールに
無理やりはいるなんて!!
ちっともかわいくないですが、「ねこ鍋」現象ですね。
上から見ると、↓こんな感じ。


西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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