お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「瀧井寅吉墓」@旧大津陸軍墓地F192008/10/29

「瀧井寅吉墓」@旧大津陸軍墓地F19
「瀧井寅吉墓」

碑文はかなりなところまで解読ができそうです。

右側面は、歿年月日。



「明治九年八月十六日」



寅吉奈良縣下農安政六寅年十一月廿五日生於@@@@@@@@村明治八年四月廿五日應徴為大阪鎮台歩兵第九聯隊第ニ大隊兵卒同年八月十六日病没於大津営所病室干時年二十一有十ヶ月

この墓碑も地名が読めません。

Fブロックは37柱。
F37から降順に調べてきましたから、
これで半分を過ぎたことになります。

Mie MIKI Accordion J.S.Bach (御喜美江)2008/10/29

Mie MIKI Accordion J.S.Bach (御喜美江)
御喜美江さんのバッハ。
1996年の録音。
私が大切にもっているものの一つ。

「サンテミリオンの夕暮」と題した文をご自身が
このCDに寄せている。そこには、

「ピアノは私にとってセカンド楽器だが、
 このバッハの音楽との出会いは、
 楽器を超えた強烈な印象として
 それから常に私の想像力を支え」


と書かれている。

私は、クラッシックアコーディオンで演奏される
バッハに好奇心をいだいてこのCDを買った。
しかし、私の予想を超え、「楽器を越えた
強烈な印象」を与えるものがあった。

バッハの音楽が、御喜さんのアコーディオンによって
ピアノ以上に生々しく、あたたかく迫ってくるのだ。

「宮田虎吉墓」@旧大津陸軍墓地F182008/10/29

「宮田虎吉墓」@旧大津陸軍墓地
「宮田虎吉」は滋賀県生まれです。

墓碑の右側面が没年月日。



「明治九年八月十六日」(1876年)



虎吉滋賀県下農宮田忠兵衛男安政元甲寅年九月六日生近江國蒲生郡田村明治八年四月八日應徴為大阪鎮台歩兵第九聯隊第壱大隊兵卒九年八月十六日病死於大津営所病室干時年二十有ニ歳

安政元甲寅年とは、1854年のこと。
明治22年時点で、蒲生郡に、「土田村」は存在しない。
明治の最初はどうだったんだろう。

「野呂金次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F172008/10/29

「野呂金次郎之墓」@旧大津陸軍墓地F17
「野呂金次郎之墓」には、「生兵」(せいへい)という記述があります。
生兵とは、訓練中でまだ階級がない兵のことです。
右側面は、歿年月日。



「明治九年九月十一日」(1876年)
左側面は、個人履歴。



金次郎三重縣下農野呂@平男安政元年九月十三日生於@@國@@郡@@村明治八年九月二十九日應徴為大阪鎮台歩兵第九聯隊第弐大隊生兵同九年九月十一日病没於大津営所病室干時年廿ニ有一月

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)2008/10/29

セイタカアワダチソウ(背高泡立草)
セイタカアワダチソウがあちこちで咲いています。
帰化植物でススキの敵のように思っていたので、
好感度は低かったのですが、秋の野原をにぎやかにしてくれます。



これは、あわ立つ前ですね。



つぼみが少し膨らんでいます。



ここまでくれば満開ですね。



そして、泡立ち草のできあがり。

イヌタデ2008/10/29

イヌタデ
この草は、イヌタデだと思います。

この花を見ると、ネズミにしかけた薬を思い出します。
ピンク色の米粒のようなものでした。



テントウムシを見つけました。
ちいさいですね。

「土屋留太郎墓」@旧大津陸軍墓地F092008/10/29

「土屋留太郎墓」@旧大津陸軍墓地F09
「土屋留次郎墓」の墓碑文はほぼ完璧に読めます。
下の写真では、わかりにいのですが。

出身階級(階層)が「雑業」と書かれていることに
興味をひかれます。

右側面に歿年月日。



「明治九年九月十有三日」



留次郎奈良縣下雑業土屋清吉弟安政元寅年十二月二十七日於大和國山@郡@上村明治八年四月廿有五日應徴為大坂鎮台歩兵第九聯隊第二大隊兵卒同九年九月十有三日病死於大津営所病室干時歳二十有一十一月

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)