
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
平和ハイキング@旧大津陸軍墓地 ― 2009/05/21

ブログでも告知しましたとおり、新婦人大津の方が主催される「平和ハイキング」(21日午前)に参加しました。
私が依頼された役割は、ガイドです。
直前に市内に最初の新インフルエンザ感染者が出ました。ですから、この催しが出来るのかどうか、不安はありました。主催者が「やります」と決断し、集合場所には、続々マスクつけた集団が集まりました。
メインのガイド役はTさんでした。ところが、直前に、体調を崩され、かなり重篤の様子です(心からその回復を祈っています)。ですから、ワンポイント・リリーフの私が、全体を案内する責任をもつことにもなりました。
いくら足が痛くても、「今日は遠慮します」とはいえなくなったのです。
「平和ハイキング ~戦跡・史跡めぐり~」(この催しの正式名称)のために、8ページの簡単なガイドブックをつくりました。(見たいと思われる方いらっしゃったら、メールください。たいしたものではありませんが、PDFで返送します)。
Tさんの分までカバーすることになったので、大津海軍航空隊、滋賀海軍航空隊、大津陸軍少年飛行兵学校などの跡地、百穴古墳の軍事利用などについて、調べる機会となりました。
それはそれでよかったと思います。
ガイドをやってみて、わかったことがあります。
それは、平和運動に関心のある方でも、自分が住んでいる街の戦跡をあまり知らないという事実です。
それは、無理もないことです。
市内で、重要な戦跡だ(もしくはそれに値するもの)と思う地点でも、それを示す表示がありません。ましてや歴史的な意義を考えることのできる解説がありません。それ以前に、それを保存しようという公の意思がないために、失われ、崩壊しているという事実もあります。
やはり、気がついたものが、保存や語り継ぐ会などの運動を起こすべきだと思いました。
そういう話もさせていただきました。
「私は最初に戦跡マップを作ろうと思います」
「ご協力していだければうれしいです」と。
私が投げたボールは返ってくるでしょうか。
もちろん、返ってくると信じています。
今回、ガイドの依頼がきたのも、
昨年の夏の案内がきっかけでしたから。
私が依頼された役割は、ガイドです。
直前に市内に最初の新インフルエンザ感染者が出ました。ですから、この催しが出来るのかどうか、不安はありました。主催者が「やります」と決断し、集合場所には、続々マスクつけた集団が集まりました。
メインのガイド役はTさんでした。ところが、直前に、体調を崩され、かなり重篤の様子です(心からその回復を祈っています)。ですから、ワンポイント・リリーフの私が、全体を案内する責任をもつことにもなりました。
いくら足が痛くても、「今日は遠慮します」とはいえなくなったのです。
「平和ハイキング ~戦跡・史跡めぐり~」(この催しの正式名称)のために、8ページの簡単なガイドブックをつくりました。(見たいと思われる方いらっしゃったら、メールください。たいしたものではありませんが、PDFで返送します)。
Tさんの分までカバーすることになったので、大津海軍航空隊、滋賀海軍航空隊、大津陸軍少年飛行兵学校などの跡地、百穴古墳の軍事利用などについて、調べる機会となりました。
それはそれでよかったと思います。
ガイドをやってみて、わかったことがあります。
それは、平和運動に関心のある方でも、自分が住んでいる街の戦跡をあまり知らないという事実です。
それは、無理もないことです。
市内で、重要な戦跡だ(もしくはそれに値するもの)と思う地点でも、それを示す表示がありません。ましてや歴史的な意義を考えることのできる解説がありません。それ以前に、それを保存しようという公の意思がないために、失われ、崩壊しているという事実もあります。
やはり、気がついたものが、保存や語り継ぐ会などの運動を起こすべきだと思いました。
そういう話もさせていただきました。
「私は最初に戦跡マップを作ろうと思います」
「ご協力していだければうれしいです」と。
私が投げたボールは返ってくるでしょうか。
もちろん、返ってくると信じています。
今回、ガイドの依頼がきたのも、
昨年の夏の案内がきっかけでしたから。
村上春樹 『海辺のカフカ』(上・下) ― 2009/05/21
村上春樹の『海辺のカフカ』を
昨晩、読み終わりました。
やり場のない世界に、
置き去りにされるのではなく、
最後のページから、
新しい物語が始まる・・・
そんな気分で読み終えることができました。
村上春樹は、小説のなかでしか
ありえない世界をつくりだし、
それでいて、リアルな世界の奥深くへ
読者の心を導く・・・
大人のファンタジーの作家なんですね。
いつもながら、数ページを読んでは
立ち止まり、なにかを考えながら(感じながら)
ページをくる・・・そういう風にしか
進むことができません。
村上春樹の小説は、
どれも似たような主人公ですし、
描き出す内容もそうなのでしょう。
それがすぐれた小説かどうかは、
私にはあまり関係がありません。
好きなのか、嫌いなのかだけが
問題なのです。
私は惹かれるから読む・・・また次へ。
この小説の表紙には、ネコがいて、
きれいな石があります。
やっと、それがなになのかが
わかる私でした。
昨晩、読み終わりました。
やり場のない世界に、
置き去りにされるのではなく、
最後のページから、
新しい物語が始まる・・・
そんな気分で読み終えることができました。
村上春樹は、小説のなかでしか
ありえない世界をつくりだし、
それでいて、リアルな世界の奥深くへ
読者の心を導く・・・
大人のファンタジーの作家なんですね。
いつもながら、数ページを読んでは
立ち止まり、なにかを考えながら(感じながら)
ページをくる・・・そういう風にしか
進むことができません。
村上春樹の小説は、
どれも似たような主人公ですし、
描き出す内容もそうなのでしょう。
それがすぐれた小説かどうかは、
私にはあまり関係がありません。
好きなのか、嫌いなのかだけが
問題なのです。
私は惹かれるから読む・・・また次へ。
この小説の表紙には、ネコがいて、
きれいな石があります。
やっと、それがなになのかが
わかる私でした。
愛犬の墓に足跡レンガ ― 2009/05/21

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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