
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
時間がゆっくりと流れていく・・・ ― 2009/05/31

琵琶湖岸に新しくできたオープンカフェは、
私達夫婦のお気に入りスポットです。
正面には芝生をはさんで、琵琶湖が広がります。
岸辺に沿った散歩道には、
犬をつれた人たちが何人も行きかいます。
よほどのことがないかぎり、混雑とは無縁です。
オープンカフェは新築で、窓もひろく、
外光がふんだんに室内に入ってきます。
二階にあがると、琵琶湖がよく見えます。
そこには、小型の釣り船、ヨット、遊覧船の姿も見えます。
時間がゆっくり流れていくスポットなのです。
私はお客がまったくいない朝一番に
そこで本を読むのが好きなのです。
モーニングをたのんだあと、カミさんが言いました。
「波をじっと見ていると、自分が流されていくって
思うことない?」
本から顔を上げた私は、ただ笑うだけ。
「昔、川をじっと見ていると、あるとき、
自分が流れていくのを感じるの。もちろん
錯覚なんだけれど、その感じのまま、しばらく
見ているのが好きだった。」
「・・・」
「そんなことない?」
非科学的な現象は「ありえない」と、
すぐ打ち消したくなる私です。
答えはつれなく「ノー」
そんなことでは、ひるまないのが
カミさんのいいところなんです。
「それから、日本語の会話がまったく知らない
国の言葉に聞こえることってない?」
「・・・」
「単語として聞こえなくて、ああ、日本語って
こんな音だったんだって思うことない?」
「あるよ、電車のなかなんかで・・・」
と続けようとすると、カミさんは私の答えに
満足したのか、本を取り出して読み始めました。
「・・・」
私は再び、村上春樹の『1Q84』の世界へ。
カミさんはカミさんの本の世界へ。
そして、コーヒーが到着します。
今日は土曜日。
カミさんは休みですが、
私は、ここから仕事にでかけます。
午後から『鶴彬 こころの軌跡』を見る予定。
私達夫婦のお気に入りスポットです。
正面には芝生をはさんで、琵琶湖が広がります。
岸辺に沿った散歩道には、
犬をつれた人たちが何人も行きかいます。
よほどのことがないかぎり、混雑とは無縁です。
オープンカフェは新築で、窓もひろく、
外光がふんだんに室内に入ってきます。
二階にあがると、琵琶湖がよく見えます。
そこには、小型の釣り船、ヨット、遊覧船の姿も見えます。
時間がゆっくり流れていくスポットなのです。
私はお客がまったくいない朝一番に
そこで本を読むのが好きなのです。
モーニングをたのんだあと、カミさんが言いました。
「波をじっと見ていると、自分が流されていくって
思うことない?」
本から顔を上げた私は、ただ笑うだけ。
「昔、川をじっと見ていると、あるとき、
自分が流れていくのを感じるの。もちろん
錯覚なんだけれど、その感じのまま、しばらく
見ているのが好きだった。」
「・・・」
「そんなことない?」
非科学的な現象は「ありえない」と、
すぐ打ち消したくなる私です。
答えはつれなく「ノー」
そんなことでは、ひるまないのが
カミさんのいいところなんです。
「それから、日本語の会話がまったく知らない
国の言葉に聞こえることってない?」
「・・・」
「単語として聞こえなくて、ああ、日本語って
こんな音だったんだって思うことない?」
「あるよ、電車のなかなんかで・・・」
と続けようとすると、カミさんは私の答えに
満足したのか、本を取り出して読み始めました。
「・・・」
私は再び、村上春樹の『1Q84』の世界へ。
カミさんはカミさんの本の世界へ。
そして、コーヒーが到着します。
今日は土曜日。
カミさんは休みですが、
私は、ここから仕事にでかけます。
午後から『鶴彬 こころの軌跡』を見る予定。
『鶴彬 こころの軌跡』(神山征二郎監督) ― 2009/05/31

5月30日、『鶴彬 こころの軌跡』を見ました。
鶴彬(つる あきら 1909-1938)の生誕100周年記念行事
ということでしたね。
会場は予想以上の集まりで、イスが新たに出されるほどでした。
上の写真は、開演前の主催者あいさつにたつ川端俊英さんです。
ケータイなのでピンポケです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
昨晩遅く、この映画の感想をブログで書きました。
いえいえ、書いたつもりでした。
そして、「公開」ボタンをクリックしたら、ネットエラー。
原稿は、ネットの闇に消えていきました。
私は仕方なく、手を振りました。
それで今日、気分をかえて書くことにしました。
重いテーマなので、息継ぎが必要です。
さてさて、鶴彬の生涯はつぎのようなものです。
映画はこれをほぼ忠実になぞります。
反戦思想が犯罪とされた時代、
体制にそむくことが死罪に値するとされた時代に
鶴彬は生まれる。
1歳のときに養子にだされ、優秀な成績ながら、
師範学校への進学が許されず、家業を手伝う。
そのなかで、理不尽な社会とその本質に目覚め、
川柳を武器に立ち向かうことを決意する。
普通に生きることさえ困難な大不況期に、
憲兵に追いかけられ、居を転々とする鶴彬。
餓えに苦しみ、発表の場さえ奪われる。
・・・そして逮捕、投獄、赤痢に感染。
ようやく病院に移されるが、捕縛されたまま
病床に放置され29歳で獄死。
このように見ていけば、
あまりに無惨な一生といえますが、
心が試されるギリギリのところで、
自分を貫いたことが本物の証でなくてなんでしょうか。
鶴彬が、命と引き替えに残した川柳は、
今読んでも戦慄が走るほど、鋭く時代の本質を射貫いていました。
まるで、ゴヤの晩年の作品のようです。
「教育勅語」や欺瞞で磨き上げた体制の嘘を、
これらの川柳は、わずか一言で砕いていくことでしょう。
そんな偉大な才能ゆえに、犠牲をいとうことができなかった
書き続けることを止めることができなかった、
・・・そんな気がするのです。
しかし川柳を怖れなければならないような
時代を造ったのはだれか、
この偉大な才能を殺したのはだれか。
鶴彬を評価するとともに、この問いかけも
忘れてはならないのです。
さてさて、いまは21世紀。
この時代に彼が生きていたら、どうでしょうか。
あなたは、その川柳を怖れる側にいますか、
それとも、その川柳に励まされる側にいますか。
鶴彬(つる あきら 1909-1938)の生誕100周年記念行事
ということでしたね。
会場は予想以上の集まりで、イスが新たに出されるほどでした。
上の写真は、開演前の主催者あいさつにたつ川端俊英さんです。
ケータイなのでピンポケです。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
昨晩遅く、この映画の感想をブログで書きました。
いえいえ、書いたつもりでした。
そして、「公開」ボタンをクリックしたら、ネットエラー。
原稿は、ネットの闇に消えていきました。
私は仕方なく、手を振りました。
それで今日、気分をかえて書くことにしました。
重いテーマなので、息継ぎが必要です。
さてさて、鶴彬の生涯はつぎのようなものです。
映画はこれをほぼ忠実になぞります。
反戦思想が犯罪とされた時代、
体制にそむくことが死罪に値するとされた時代に
鶴彬は生まれる。
1歳のときに養子にだされ、優秀な成績ながら、
師範学校への進学が許されず、家業を手伝う。
そのなかで、理不尽な社会とその本質に目覚め、
川柳を武器に立ち向かうことを決意する。
普通に生きることさえ困難な大不況期に、
憲兵に追いかけられ、居を転々とする鶴彬。
餓えに苦しみ、発表の場さえ奪われる。
・・・そして逮捕、投獄、赤痢に感染。
ようやく病院に移されるが、捕縛されたまま
病床に放置され29歳で獄死。
このように見ていけば、
あまりに無惨な一生といえますが、
心が試されるギリギリのところで、
自分を貫いたことが本物の証でなくてなんでしょうか。
鶴彬が、命と引き替えに残した川柳は、
今読んでも戦慄が走るほど、鋭く時代の本質を射貫いていました。
『万歳とあげて行った手を大陸へおいてきた』
『手と足をもいだ丸太にしてかえし』
『胎内の動き知るころ骨がつき』
まるで、ゴヤの晩年の作品のようです。
「教育勅語」や欺瞞で磨き上げた体制の嘘を、
これらの川柳は、わずか一言で砕いていくことでしょう。
そんな偉大な才能ゆえに、犠牲をいとうことができなかった
書き続けることを止めることができなかった、
・・・そんな気がするのです。
しかし川柳を怖れなければならないような
時代を造ったのはだれか、
この偉大な才能を殺したのはだれか。
鶴彬を評価するとともに、この問いかけも
忘れてはならないのです。
さてさて、いまは21世紀。
この時代に彼が生きていたら、どうでしょうか。
あなたは、その川柳を怖れる側にいますか、
それとも、その川柳に励まされる側にいますか。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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