お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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今年も「地蔵盆」が行われましたが、そんな行事って知らない土地もあるんですね。2007/08/20

 大津市の旧市街では、八月の後半に「地蔵盆」という行事が行われます。京都でもそうなんでしょうね、きっと。町内ごとにある、地蔵さんの祠。それを囲んで、お参りをするのです。
 たいてい、テントをたてて、お供えものを並べ、午前、午後、夕方に、おやつなどが子どもたちに配られます。花火大会や福引などのイベントをするところもありました。カラオケ大会や肝試しをしたこともあります。
 今年は、8月18日と19日の両日に行われています。
 ただ、少子化のために、子どもたちがいなくなる町もあります。
 そこでは、日を一日に短縮し、子どもたちぬきのさびしい行事となります。
 私の住んでいる町内(行政がつくった比較的新しい町丁目ではなく、旧い時代からある町の区分にしたがっています)でも、そうです。
 小学生がいず、中学生が2名だけになりました。その上は、我が家の高校生2名。わずか30軒ばかりの小さな町なんです。
 今年は、18日だけになりました。
 しかも、毎年、おまいりに来てくれるお坊さんも高齢化を理由に来てもらえませんでした。そのうえ、高齢者が多くて、テントを張ることが大変なので、来年からは、テントなしでしようかという話まで出ています。
 同じ大津市内でも、「地蔵盆」は特定の宗教を押し付けるものだと、名称を夏祭りにして実施しているところもあります。
 やがてこの行事も消えるのかも知れません。
 上の写真は、自治会長をしていたとき(2004年8月)に撮影したものです。地蔵さんの祠を中心にテントを張り、飾りつけをしたところです。

地蔵盆の数珠まわし2007/08/20

「数珠まわし」が地蔵盆のメインイベントとして行われます。
上の写真がそれ。小さな小さな自治会ですから、子どもたちの数が限られています。長い数珠(上の写真は細くて小さいものが使われいますが、もっと太くて、10㍍近くのものもあります)をお参りの間中、回していくのです。房のついている箇所が目の前にくれば、そこで、呪文をとなえて頭をさげます。
 ここに写っている子どもたちも今年は大きくなり、もう子どもではなくなっています。
 子どもたちがいなくなっても、夏の行事として、高齢者が守っていくことになります。しかし、本来の意味が薄れ、体力がなくなってくれば、やがて消滅は避けられません。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある①2007/08/20

旧い大津市内を歩いていて気がつくことは、お寺が多いことです。お寺そのものは、滋賀県は京都府、奈良県につづいて第三位とか。大津市になる前の大津町、膳所町などはとくに多いように思えます。
 それだけではありません。
 地蔵盆をそれぞれの町(旧区分の町)がするので、祠がいたるところにあります。区画整理や家の建て直しがあっても、なくさず残してあるのです。
 そういう事情を知らない人が見れば、なんでこんなところにって思うことでしょうね。実は、私もそう思っていました。この8月、お盆の行事を見ていて、ああ、そうなんだと・・・納得したのです。
 以下、それらの一部をお見せします。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある②2007/08/20

区画整理をしても、祠をなくさず、ビルの一角を借りて残していくことになるのです。ビルのオーナーも、お花をお供えし、水をかえるなどされているそうです。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある③2007/08/20

これは、ビルにめり込んでつくられていますね。
両脇に選挙ポスターが見えていますが、あまり関係ありません。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある④2007/08/20

電車のガードの近くで、傍目には気の毒に思える場所なんですが、祠がありました。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある⑤2007/08/20

廃屋の前にも、小さく置かれてあります。それでも、なおざりにされているわけではなく、新しいお花が供えてありますね。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある⑥2007/08/20

旧い商店街の一角には、建物そのものに、めり込んで造られていました。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある⑦2007/08/20

祠は、ふつうの民家の玄関先にも、おまつりされてありました。

大津の旧市街には、いたるところに祠がある⑧2007/08/20

わざわざ敷地を狭めて、祠をおまつりされています。信仰心なくしては、また町内の行事への思いがなくては、できないように思いました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)