お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
琵琶湖疎水・・・建設当時の写真がよかった ― 2007/08/25
琵琶湖疎水は、明治の総力をあげた大工事でしたね。
第一疎水の入り口は、わが実家のすぐそばでした。
毎日、疎水を眺めて暮らしていたのです。
水路内に船が繋留されていた当時も覚えています。
使われなくなっても、すぐには廃棄されなかったんでしょうね。
●2002年4月の琵琶湖疎水:桜が満開でした
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1686555
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1687932
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1687942
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1688109
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/01/1693339
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/01/1694749
第一疎水の入り口は、わが実家のすぐそばでした。
毎日、疎水を眺めて暮らしていたのです。
水路内に船が繋留されていた当時も覚えています。
使われなくなっても、すぐには廃棄されなかったんでしょうね。
●2002年4月の琵琶湖疎水:桜が満開でした
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1686555
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1687932
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1687942
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/07/29/1688109
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/01/1693339
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/01/1694749
明治時代の近江案内には琵琶湖疎水が描かれています ― 2007/08/25
・・・これが琵琶湖めぐりのポスター・・・でしたか ― 2007/08/25
琵琶湖で舟遊び・・時代を感じさせるポスターですが、風景の写真ばかりが多い最近のものとちがって新鮮な気がします。
C展示室へ ― 2007/08/25
つぎにC展示室へ。
「湖の環境と人びとのくらし」がテーマ。
ここをくぐれば、大きな部屋に出ます。
床いっぱいのタイルに滋賀県全体の航空写真が貼り付けてあります。
写真タイル?といういのかどうかわかりません。
そして、回りに戦後の各年代のポスターやグッズ。
H君は当然、なつかしさもないので無関心。
私の熱中が迷惑そうでした。
体調もよくなさそう。
「湖の環境と人びとのくらし」がテーマ。
ここをくぐれば、大きな部屋に出ます。
床いっぱいのタイルに滋賀県全体の航空写真が貼り付けてあります。
写真タイル?といういのかどうかわかりません。
そして、回りに戦後の各年代のポスターやグッズ。
H君は当然、なつかしさもないので無関心。
私の熱中が迷惑そうでした。
体調もよくなさそう。
タイルに見る航空写真①琵琶湖疎水を中心に ― 2007/08/25
タイルに見る航空写真②西大津の高層マンション地あたり ― 2007/08/25
タイルに見る航空写真③自衛隊今津駐屯地 ― 2007/08/25
琵琶湖博物館の外は琵琶湖岸 ― 2007/08/25
最後に、魚を見て(最初のほうに写真はあります)、琵琶湖博物館を後にしました。
博物館から見える琵琶湖です。天候はまあまあ。
それでも、空気は澄んでいるとはいえません。
博物館から見える琵琶湖です。天候はまあまあ。
それでも、空気は澄んでいるとはいえません。
中古の図鑑を買ってきました。鳥と植物。 ― 2007/08/25
いまから半世紀も古い本!
300円しましたけれど、買ってきました。
鳥の写真を撮っても、花の写真を撮っても、名前がわかりませんでした。
鳥は、ばるタンさんに聞けばいいのかも知れませんが、
少しでも知識があったほうがいいですよね。
さあ、眺めてみよう・・・成果があればいいのですが。
300円しましたけれど、買ってきました。
鳥の写真を撮っても、花の写真を撮っても、名前がわかりませんでした。
鳥は、ばるタンさんに聞けばいいのかも知れませんが、
少しでも知識があったほうがいいですよね。
さあ、眺めてみよう・・・成果があればいいのですが。
スズメが7匹隠れています・・・さがしてみます? ― 2007/08/25
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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