お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

「インリンのメッセージ」・・・!2007/08/17

「インリンってだれ?どういう人?」「え!?あの?」という前に、以下の文を読むことをお薦めします。そして、この声が多くに人たち、とくに若い人たちの間にひろがることを祈ります。
 なお写真は、下のサイトの趣旨にしたがって活用させていただきました。

http://www.mostsexy.net/wp.html

***************************************
「WORLD PEACE NOW」

 ( 2006年3月18日・日比谷野外音楽堂)にて流された
 インリンのメッセージ全文;

 こんにちは、タレントのインリン・オブ・ジョイトイです。
今日は前から決まっていた仕事があり、残念ですが、会場に行くことは出来ません。
 また、ビデオモニターがないと言うことなので、声だけの参加となりました。
 私は20年近く日本に住み、平和な日本と、知性的で心暖かい日本人が大好きです。
 私のような仕事をしていると、やっぱり、繊細で気配りのある日本人との活動が、一番ストレスなく、理解し合い、充実して行えます。
 私はこれからも、平和を愛する日本人と平和な日本で仕事を続けて生きたいと願っています。
 さて、私は中華系の外国人なので、台湾や中国の人々、他のアジアの人々が、日本のことをどう考えているのかに、とても敏感です。
 最近心配なのは、歴史の事実と、日本の若い人達の知識に大きな落差があることです。
 私は、過去に日本が行った侵略戦争の責任が、今の若い人達にもあるなんて思ったことはありません。
 ただし、過去の悲惨な事実から目をそむけることはやめて欲しいんです。
そして、軍国主義的な、過去を正当化するねじ曲がった大人に洗脳されて欲しくありません。
 侵略された側の人々やその子供たちは、今も生きているんです。
 日本の若い人達が「知らない」「関係ない」「事実ではない」と言ってはダメなんです。
 過去、日本の権力者や軍隊がどれだけ悪いことを行ったか知っていることは、つまり、今、そして、将来の平和へとつながっているんです。
 第2次世界大戦が終わった時、日本は過去の侵略戦争を反省し、二度と戦争を起こさないという誓いをたて、世界平和に貢献する国として、新しく出発しました。
 それは、人類に誇れるすばらしいことだと思います。
 戦後も、世界では戦争が絶えず行われて、数えきれない人々が犠牲者に、そして加害者になってしまいました。
 21世紀の今、20世紀を振返れば、戦争の悲惨さそして人間の愚かさが、よくわかります。
 武力は悲劇を生み、軍隊は国民を守らない、戦争は権力者の利益の為だけに行われ、正しい戦争などあり得ない・・・と言うことです。
 ブッシュは「サダム・フセインは大量破壊兵器を隠している!」と言いました。・・・でもそれは嘘でした。
 ブッシュの嘘のせいで、イラクでは無数の家族に悲劇が生れ、多くの罪なき人々が犠牲になりました。
 今、日本では、過去の侵略戦争を正当化し、美化し、仮想敵国からの攻撃の可能性を煽り、日米安保を重視し、自衛軍創設を進めようとする動きがあります。
 私には、こうした動きとブッシュの嘘が同じレベルの思考回路から発生しているようにしか見えません。
 若い政治家が、あまりにも幼稚な行動と発言をする日本の国会です。
 民主党と自民党の足の引っ張り合いのレベルでなら、バカだな~と笑っているのもヨイですが、こういうレベルの政治家たちが、「在日米軍は必要だ!」「日本は軍備を増やさなければいけない!」「平和を守るのは軍隊だ!」・・・と言うのはとても恐ろしいです。
 平和を、政治の力、政府の外交の力、つまり、人間の知性と理性で守る・・・というのが政治家の仕事です。
 アメリカの嘘を信じ、アメリカの言いなりになり、軍事力に頼ろうとする彼らは、政治家とは言えません。
 武力を優先するのは、ただの憶病者です。
 自らの政治能力に自信がないだけです。
 平和を築く道はたった一つ・・・対話と理解と柔軟な「外交努力」です。
 日本は今こそ、全世界の平和のリーダーとして、非武装・中立の文化国家をめざすべきです!
 先ず、ブッシュの嘘と権力欲から始まったイラクへの侵略戦争に手を貸さないこと!
 そして、アメリカとの軍事同盟をやめ、すべてのアメリカ軍を日本から出すこと!
 武力が平和を守るなんて嘘にだまされるのはやめましょう!
 人間の知恵を、平和の為に使いましょう!

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/17/1730808/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)