お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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8月最後の日曜日 プリンスホテルから近江大橋の向こう岸まで歩いて往復しました2007/08/27

 今日26日は、八月最後の日曜日。
 28日には「イオンモールとまちづくりを考えるつどい」があります。草津市新浜では工事が始まっているらしいので、その様子を見るために、プリンスホテルの近くのミシガン船着場から、近江大橋のむこうの現場まで、歩いて往復してみることにしました。
 今日はバイクではなく、車で来ていましたから、ゆっくり見ようと思えば、歩くしかないと思ったのです。
 途中まで乗せてもらうことも考えましたが、まあ、歩いてみましょう。
 映画ではありませんが、「長い散歩」です。

夏の湖にはミシガンも似合うかも2007/08/27

強い日差しの中を、これから歩きます。
琵琶湖は、くびれたところから北を北湖。南を南湖と呼びます。
ここは、南湖。平均水深は4メートルにすぎません。
今日はあまり空気が澄んでいなくて、くびれたところにある琵琶湖大橋の姿がよく見えませんね。
それにしてもまだまだ日差しは強い。
水しぶきを上げて進むミシガンを見ながら、夏には琵琶湖に似合っているかもと・・・前は逆のことを言っていましたけれど・・・ふと思いました。
 そういえば、木曜日にH君と「琵琶湖博物館」に行ったときに、琵琶湖の観光船のポスターを見つけました。そのポスターは、古い湖上交通を再現して、ふるさと色を出すというコンセプトではなく、モダンさを売り物にしたものでした。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750246

琵琶湖博物館のつぎの壁には、観光船の絵がありました。
確かに和船ではなく、汽船ですね。
ついでにそれもアップします。
つぎの日記へどうぞ。

琵琶湖観光は、昔から和船ではなく汽船?2007/08/27

これが、琵琶湖博物館にあった、琵琶湖観光船の絵ですね。
”手軽に、国内で外国の気分(洋風の船旅)が味わえる”というコンセプトだったんでしょうね。
いまのミシガンもそのラインを受け継いでいるといえますね。
和船じゃあ、お客が来ないんだろうか?

そんなことを考えながら、プリンスホテルを超えて、なぎさ公園を近江大橋の取り付け道路に向けて歩きました。

湖面には、水上バイクやカヌーを楽しむ人がいます2007/08/27

琵琶湖では、夏の最後を楽しむ人たちがいました。プールには、家族連れが来ていました。湖面には釣り客や、水上バイク、カヌー・・・。
 それを横目で見ながら、ひたすら歩きました。

中間点あたりでプリンスホテルを振り返りました2007/08/27

38階建のプリンスホテルは琵琶湖のランドマークになっています。
かつての山田大津市長と武村知事(大蔵大臣になりましたね)が、堤氏に頼み込んで建設してもらったとかいう話がありますね。
ずいぶん歩いたつもりですが、・・・先はまだまだですね。

中間点の湖岸から近江大橋はもうすこしかな2007/08/27

 近江大橋方向を見れば、まだこれだけの距離があります。
この湖岸は、コンクリートで固めているのではなく、小さな石で自然に近い形に再現されています。
 なにか生臭い臭いがしています。
 それは・・・・。

死んだフナやコイが岸辺にいっぱい・・・2007/08/27

どういう理由か知りません。
毎年こうなのかも知りません。
岸辺いっぱいに死んだフナやコイが打ち寄せられていました。
生臭いのはそのせいでした。

カラスが打ち寄せられたコイの死骸に2007/08/27

案の定、岸辺にカラスがいます。
二匹いて、なにやらつついている様子。
私が近づいても、逃げる気配はありません。
カラスの足元をみると、コイ・・・がいました。

アゲハチョウもいました2007/08/27

カラスがコイをつつく様子をみて、あまりいい気がしません。
目をそらして、また歩き出すと、チョウがちかくに飛んできました。
気分を変えて、撮ってみました。

アオスジアゲハまで来ています2007/08/27

アゲハチョウが消えたと思ったら、つぎはアオスジアゲハ。
花もないのに、なぜくるんだろう?
チョウも、魚の死骸が・・・?

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)