お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

環境問題もまちづくりも同じ根の問題か:『まちづくりと景観』(田村明:2005年)2007/08/30

昨日、歯医者にいく前に、本屋に寄りました。
待ち時間に読もうと。
そして、この本を買いました。『まちづくりと景観』(田村明:岩波新書)
 私は、イオンモール進出問題をきっかけに、集中的に「まちづくり」を考えるようになりました。そして、同じころ、高層マンション反対運動を調べるうちに、これまでなく、大津市の原風景が失われ、琵琶湖を「壁」が囲うように、高層マンションが多数建設されていることにあらためて驚きました。
 琵琶湖の水質など以前から取り組んでいる問題を除けば、まちづくりと景観という主題に集約されるものです。
 それとまったくぴったりのタイトルの本でした。
 読んで悲しく思ったことがあります。
 それは、日本の自然もまちも、かつては世界が驚くほど美しかったということです。

 「日本の自然の風景は絵のように美しかったと、幕末から明治初年に訪れた外国人たちは一様に感動の言葉で綴っている。自然ばかりでなく、貧しくはあっても街並みもまた個性があり美しかった。都市や街並みを造る素材は、木や土や竹を主体にしているから自然と調和し、全体に統一感がある。住む人々の努力で、ごみ一つなく清潔に保たれていた。
 (中略:イギリスは産業革命で汚れ果てたのだが)
 景観は人の営みによって汚くもなり、それを回復して美しくもなる。イギリスは美しさを回復し、日本はその意識もないままに美しさを失ってきた」(58~59ページ)

 この最後の、「その意識もないままに」ということが悲しく思えるのです。
 それは、琵琶湖を40年間撮影してきた中島省三さんの悲しさや、有吉佐和子さん決意、本田勝一さんの辛らつさの根にあることではないかと思います。
(中島さん→http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/30/1758723
(有吉さん→http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/30/1760065
(本田さん→http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/30/1760089

 いま、沖縄の自然(ジュゴンなど)が、アメリカへの従属のくびきのために、ふみにじられています。これは「敵」がはっきりしています。
 米軍がいないところでは、アメリカのせいにするわけにはいきません。
 自分たちが、いまなにを大切にするのか、どういうまちや、くにをつくるのかに真剣に向かい合うべきときなのだと私は思いました。
 それは、「美しい国」と表現できるものであったにしても、安倍さんのいう意味とはまったくちがうものを目指したいのです。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/08/30/1760176/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)