お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

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大津市で見ることができる日露戦争の墓碑 ~その7 和邇の墓地~2011/08/19

和邇・中浜の戦死者の墓地
 和邇の中浜。旧来の161号線沿いに墓地があります。道路をはさんで向かいは真光寺とその墓地。
 写真の左側が琵琶湖で、右手が山。立派な戦没者の墓碑が数基ならんでいます。そのうちの一基が、日露戦争の墓碑です。柵の鉄さびのせいでしょうか、褐色になっています。写真をクリックしていただければ、先端部がわずかに見えます。
「陸軍近衛歩兵上等兵橋詰與太郎乃墓」と刻まれています。
戦歴と戦死について刻まれている部分は、いまなお鮮明です。明治36年に近衛兵として入営。日露戦争には翌年に出征し、戦死。享年は書かれていませんが、二十代前半だったはず。
 墓碑の建立は、「明治三十八年五月」。つまり、戦争終結直後です。また、親族によって建立されたという内容ですね。

コメント

_ やつしろ ― 2011年08月20日 23時32分59秒

今でこそ、百六十一号線は太く立派になっていますが、建立された頃はもっともっと細く、この墓碑たちは、極めて目立つ存在だったことでしょう。
最愛の子供を奪われた親を癒すものは、その死を名誉の死に置き換えることだけだったのでしょう。
初期の戦争の巨大な、立派な碑を見るたびに、戦後に規格化され整列させられた小さな墓碑を見るたびに、哀しくなります。

_ BIN★→やつしろさん ― 2011年08月21日 11時19分27秒

墓碑を見るたび、いろんなことを考えます。
軍隊内では酷い扱いをうけたであろう輜重輸卒が、郷土では巨大な墓碑に祀られています。「戦時事績」は戦死者をさらなる戦争へ国民を鼓舞するために使われていくことが露骨に描かれています。死が無視されるよりはいいかも知れませんが、複雑な思いです。

自分もそうだったからいうのですが、最悪の事態は、無関心になることだと思います。
戦争の墓碑への無関心は、かつて戦争があったことへの無関心であり、そこから引き出すべき教訓への無関心につながるのではないかと。

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)