お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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「滋賀会館がなくなるって?」2008/06/03

滋賀会館大ホールのドア
 「滋賀会館がなくなるって?」という話があるイベントの最中にささやかれた。琵琶湖文化会館が休館に追い込まれたばかりである。胸に痛みが走る。



 こういう場合、その情報の確かさと県の真意を確かめることが大事である。愛着をもっている私としては、黙って受け入れることは、とても出来ないのである。
 滋賀県の公式サイトでは、つぎのように通知されている。
滋賀県では、平成17年2月に策定した「公の施設の見直しについて」の方針を踏まえて、滋賀会館のあり方について廃止も含め検討しておりましたが、10月3日に「滋賀会館は平成21年度末をもって文化施設としては用途廃止する」という検討結果を示しました。
また、施設・設備の老朽化および維持管理経費の増大等を理由に、文化施設としての用途廃止に先行して、平成20年9月末をもって大ホールの供用を廃止するとの方針を併せて示しました。
このため、平成20年10月1日以降の大ホールの使用申込みの受付を停止することとなりましたので、ご理解いただきますようお願い申し上げます。
なお、中ホールおよび集会室については、平成22年3月末まではこれまでと同様にご使用いただけます。



 私としては、この大ホールのドアが閉まってしまうことを望まない。

Антон Чехов : Чайка(チェーホフ「かもめ」)2008/06/03

Антон Чехов : Чайка
 先日、パステルナークの「ドクトル・ジバゴ」(ロシア語版)をジュンク堂で見つけて、買うのを躊躇したあげく、買わなくて後悔したということを書いた。
 この話を息子のK君にしたら、「明日立ち寄るついでに、買ってきてあげる」ことになった。書籍の場所と白い背表紙の本だと教えたうえで、題字をロシア語で書いて手渡した。《Доктор Живаго》。
 夕方に仕事場のケータイが鳴った。「ない」という。再度場所を教えたら、メールが来た。書棚の写真つきである。
 確かにない。「予約しておく」というので、頼んだら、「このなかの一冊買って帰ろうか」というので、「チェーホフを」といったら、「わかった」という。英語的には、Chekhov かな?でも、ロシア語では、Чехов。
 ちゃんと届くか心配したら、上の写真のとおり、正解だった。予約票を見ると、「ドクトル・ジバゴ」の文字がちゃっとしたロシア語で手書きになっている。
 「これだれが書いたの?」「店員の人が『勉強したけど、もうわすれているかなぁ』といいながら書いた」という話である。そういう店員がいることがうれしかった
 茶色の背表紙の本は、ドストエフスキー、ゴーゴリ、トルストイなど文豪の主な著作が収録されているシリーズである。
 チェーホフの巻のタイトルは、《Вишневый сад》(「桜の園」)である。目次を見ると、「イワーノフ」、「かもめ」「ワーニャ叔父」「三人姉妹」「桜の園」などが収録されている。
 せっかくだから、「かもめ」《Чайка》から読むことにした。
 以前にTVでモスクワ芸術座の日本公演を見た記憶があるし、そのときに、ニーナのセリフ(《Умей нести свой крест и веруй.Я верю и мне не так больно,и когда я думаю о своем призвании, то не боюсь жизни.》を覚えていたからである。
 つまるところもあるけれど、そういうときは、木村彰一さんの訳を手引きにして、読みはじめた。
 チェーホフはこの戯曲を「喜劇」と名づけているが、それは、相当に達観したものである。変な例かも知れないが、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくる釈迦のような立場。私は、釈迦はずいぶん冷たいと感じたのだけれど、チェーホフのまなざしも同じような冷ややかさを感じるのだ。相当屈折した愛情であると。しかし、希望はある。それが、上のニーナのセリフである。
 甘い幻想から出発し、自分の人生をボロボロにし、心を病みながらも、たどり着いた希望。それでも、決して遅くはないのだ。生きていれば。
 「かもめ」をご存知な方なら(・・・《свoй крест》が「自分の十字架」を意味するといえば)、どこかわかると思います。

ニーナの狂気@「かもめ」2008/06/03

どうも名作というのは、心を騒がせるものですね。
読んでから一日たっても、まだ余波から
抜け出ることができません(笑)。
お昼休みに「かもめ」の映像の探しました。

チェーホフの「かもめ」は、戯曲です。
内面的なセリフをどう解釈して、舞台でどう演じるのか。
とても、興味がわくところです。

劇のクライマックスですが、純粋な(ともいえません、 おろかな野心をもっているというのが正しいのでは) ニーナが2年ぶりにもどってきます。
私生活と役者としての生活の破綻。
ときどき「私はカモメ」と口走るような狂気を帯びています。
しかし、過去との再会(正面から向かい合うこと)は、 ニーナにとっては、決別と再生のプロセスともなります。

ネットで探して、見つけたのですが、・・・・・う~ん、
私のイメージとはちがいました。
迫力がありすぎて、たじろぎました。
二分割になっています。

ニーナとトレープレフとの再会(前半)

ニーナとトレープレフとの再会(後半)

杉浦日向子 『ニッポニア・ニッポン』(ちくま文庫)2008/06/03

杉浦日向子『ニッポニア・ニッポン』
「ニッポニア・ニッポン」とは、トキの学術名ですね。それが、このマンガ集に使われているのはなぜか、・・・なんてことは考えないことですね。
 冒頭の『殺生』は、摩訶不思議な世界です。唯一二色刷。血をあらわす赤が印象的に使われています。黒澤明監督の『天国と地獄』と同じような効果がありますね。
 摩訶不思議さというのは、マンガの魅力。『鏡斎』もそうですね。
 『月夜の宴』は、さわやか系。
 杉浦日向子さんのマンガも読んだ後に、物憂げなためいきが出るのはなぜなんでしょうか。

 ちなみに、巻末についている中島梓さんの「解説 彼女はタイムトラベラーである」は、とてもいい文章でした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)