お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
Kブロック埋葬者名簿(簡略版)@旧大津陸軍墓地 ― 2010/11/01
旧大津陸軍墓地のKブロックの墓碑名簿(簡略版)
2010年10月にBINが調査して、大津市が保管する名簿を訂正したものです。後日調査される方のために作成しました。生年月日、出身地、入営年月日、など碑文に刻まれている内容などについては、加筆していく予定です。
①K以下の数字は、現在の位置を示す。
②階級名
③氏名
④西以下の数字は、移葬前の当初の位置
⑤死亡年月(日)
以上139柱。
2010年10月にBINが調査して、大津市が保管する名簿を訂正したものです。後日調査される方のために作成しました。生年月日、出身地、入営年月日、など碑文に刻まれている内容などについては、加筆していく予定です。
①K以下の数字は、現在の位置を示す。
②階級名
③氏名
④西以下の数字は、移葬前の当初の位置
⑤死亡年月(日)
○最前列 K001~K017
K001 故陸軍歩兵一等卒 青山 喜代治? 西1
大正10年11月
K002 故陸軍歩兵上等兵 青山 ○之助 西2
大正11年 1月
K003 故陸軍歩兵上等兵 青山 捨吉 西3
大正11年 2月
K004 故陸軍歩兵一等卒 瀬戸 喜蔵 西4
大正13年 4月
K005 陸軍歩兵二等卒 藤井 新蔵 西5
大正 5年 2月
K006 故陸軍歩兵二等卒 川上 重太郎 西6
大正11年12月
K007 故陸軍歩兵二等卒 洞 栄作 西7
大正 7年12月
K008 故陸軍歩兵一等卒 岡川 八郎衛 西8
大正 7年12月
K009 陸軍歩兵●等卒 楓井 嘉吉 西9
明治40年 6月
K010 陸軍歩兵二等卒 佐々木 三次 西10
大正 2年12月
K011 故陸軍歩兵二等卒 伊藤 弥七 西11
大正10年 4月
K012 二等兵卒 市田 與三郎 西12
明治11年10月
K013 故陸軍歩兵二等卒 樋口 一蔵 西13
大正10年 5月
K014 陸軍歩兵一等卒 平田 清七 西14
大正 2年 8月
K015 故陸軍歩兵一等卒 森田 善太郎 西15
大正 2年11月
K016 陸軍歩兵二等卒 南部 岩雄 西16
大正 4年 4月
K017 陸軍歩兵一等卒 松田 ●良次郎 西17
●は漢字ロムにない。「大」の下に「良」と書く
明治40年 6月
○前から二列目 K018~K034
K018 陸軍歩兵一等卒 中野 又太郎 西34
明治38年 5月
K019 陸軍歩兵●●卒 大垣 平八 西33
明治38年 2月
K020 陸軍歩兵二等卒 富島 九平 西32
明治38年 3月
K021 陸軍歩兵二等卒 田中 與三郎 西31
明治36年 3月
K022 (俘虜清人) 汝 恒信 西30
明治27(1894)年11月12日赤痢にて死亡
K023 故陸軍歩兵 高田 芳雄 西29
大正 9年 3月
K024 故陸軍歩兵上等兵 山中 久一郎 西28
大正12年10月
K025 故陸軍歩兵二等兵 田中 ○郎 西27
大正 7年12月
K026 陸軍歩兵上等兵 河合 庄吉 西26
明治40年12月
K027 陸軍歩兵二等卒 馬場 金弥 西25
明治41年 5月
K028 故陸軍歩兵二等卒 磯部 安吉 西24
大正 4年 4月
K029 陸軍歩兵一等卒 高山 藤市郎 西23
明治40年 3月
K030 (俘虜清人) 寶 少春 西22
明治27(1894)年11月11日
K031 陸軍歩兵二等卒 中村 仙重郎 西21
明治42年 4月
K032 陸軍歩兵二等卒 西村 大助 西20
大正 6年 9月
K033 陸軍歩兵二等卒 實柳 庸成 西19
大正 5年 1月
K034 故陸軍歩兵二等卒 井上 友蔵 西18
大正 7年12月
○前から3列目 K035~K051
K035 ○○○○○○ 伊○ 清太郎 西35
明治38年 4月
K036 陸軍歩兵上等兵 松野 無松 西36
明治38年11月
K037 陸軍歩兵二等卒 川瀬 市治郎 西37
明治38年 6月
K038 陸軍歩兵二等卒 杉本 傳吉 西38
明治28年 8月
K039 陸軍歩兵二等卒 林 安之助 西39
明治29年 9月
K040 陸軍歩兵二等卒 福川 寅次郎 西40
明治29年12月
K041 陸軍歩兵一等卒 中村 卯之助 西41
明治29年12月
K042 陸軍歩兵二等卒 前川 俊造 西42
明治30年 2月
K043 陸軍歩兵二等卒 早瀬 栄蔵 西43
明治30年 2月
K044 陸軍歩兵二等卒 宮坂 安次郎 西44
明治30年 5月
K045 陸軍歩兵一等卒 富永 猶吉 西45
明治30年 5月
K046 ○○○○卒 小西 戈治郎 西59
明治21年 3月
K047 生兵 三田村 勝治郎 西93
明治13年11月
K048 二等卒 小田 辰五郎(二行) 西127
明治11年 8月
K049 二等卒 西堀 與惣治郎(二行) 西132
明治11年 9月
K050 二等卒 萩田 庄吉(二行) 西133
明治11年 5月
K051 生兵 永井 七五郎(二行) 西135
不明
○4列目、K052~K068
K052 歩兵二等銃卒 田本 太蔵 西63
明治19年 6月
K053 故歩兵一等卒 宮崎 駒吉 西62
明治19年 5月
K054 歩兵○等卒? 松本 光治郎 西61
明治21年12月
K055 ○○○○○ 福田 金治郎 西60
明治21年 6月
K056 歩兵二等卒? 前田 留次郎 西58
明治20年11月
K057 生兵 大八木 菊之助 西57
明治20年 8月
K058 歩兵一等銃卒 高田 里次郎 西56
明治20年 7月
K059 生兵 石田 重吉 西55
明治20年 6月
K060 歩兵一等銃卒 久野 豊杢 西54
明治20年 3月
K061 歩兵二等卒 田村 政治郎 西53
明治25年??月
K062 歩兵二等卒 岡田 友吉 西52
明治25年 5月
K063 歩兵一等卒 望田 源之助 西51
明治25年12月
K064 歩兵一等卒 山川 仙太郎 西50
明治24年 7月
K065 歩兵二等卒 小林 ○之助 西49
明治24年 6月
K066 歩兵二等卒 竹嶋 鶴松 西48
明治24年 4月
K067 二等卒 泉並 ○(廉)?蔵 西47
明治23年11月
K068 歩兵二等卒 寺島 外吉 西46
明治23年 8月
○前から5列目 K069~K085
K069 歩兵○○卒? 森田 喜次郎 西64
明治19年 6月
K070 歩兵上等兵 西村 岩吉 西65
明治19年 6月
K071 歩兵二等銃卒 坂口 捨吉 西66
明治19年 6月
K072 歩兵○○○卒 三上 松之助 西67
明治29年 6月
K073 歩兵○○銃卒 新谷 宣吉 西68
明治19年 7月
K074 歩兵二等銃卒 増田 ○之助 西69
明治19年 7月
K075 生兵 山下 長松 西70
明治18年11月
K076 歩兵二等卒 西田 戈治郎 西71
明治16年11月
K077 歩兵二等卒 山本 兼松 西72
明治17年11月
K078 歩兵二等卒 安井 伊之助 西73
明治17年 6月
K079 歩兵二等卒 瀧原 定吉 西74
明治17年 7月
K080 喇叭一等卒 田原 仁次郎 西75
明治17年 8月
K081 歩兵二等卒 山元 石之助 西76
明治17年 9月
K082 歩兵二等卒 四方 榮吉 西77
明治16年 4月
K083 歩兵二等卒 早馬 徳次郎 西78
明治15年11月
K084 歩兵二等卒 久保田 留二郎 西79
明治15年 8月
K085 歩兵二等卒 亀井 新二郎 西80
明治15年12月
○6列目 K086~K102
K086 二等卒 村田 斉?五郎 西98
明治14年 1月
K087 歩兵二等卒 望月 新吉 西97
明治12年12月
K088 二等卒 中川 元吉 西96
明治13年11月
K089 歩兵二等卒 瀬尾 ○一郎? 西95
明治13年11月
K090 歩兵二等卒 森 文六 西94
明治13年11月
K091 歩兵上等卒 末 鉄次郎 西92
明治15年 9月 *中折れ
K092 歩兵二等卒 濱地 熊次郎 西91
明治15年 9月
K093 歩兵二等卒 渡邉 久吉 西90
明治14年11月
K094 歩兵二等卒 藤枝 ○次郎 西89
明治15年 8月
K095 歩兵二等卒 中濱 長松 西88
明治15年 8月
K096 歩兵二等卒 仲井 乙吉 西87
明治19年11月
K097 歩兵二等卒 松永 ○○ 西86
明治15年 5月
K098 歩兵二等卒 山野 伊達? 西85
明治17年10月
K099 歩兵二等卒 守谷 丈吉 西84
明治16年 4月
K100 歩兵二等卒 田畑 芳松 西83
明治16年 7月
K101 歩兵二等卒 大中 芳松 西82
明治16年 2月
K102 歩兵一等卒 鈴木 力之助 西81
明治16年 2月
○前から7列目 K103~K116
K103 歩兵二等卒 武智 隆太 西99
明治14年 2月
K104 歩兵一等卒 萬濃 勇吉 西100
明治14年 4月
K105 生兵 脇田 福蔵 西101
明治12年10月
K106 歩兵二等卒 生川 光三郎 西102
明治10年12月
K107 二等兵卒 入山 五郎右衛門 西103
明治13年 1月
K108 二等兵卒 瀧岡 久二郎?? 西104
明治13年10月
K109 生兵 越知 清太郎 西105
明治13年 1月
K110 陸軍歩兵二等卒 南嶋 浅太郎 西106
明治13年 8月 *建て直し?
K111 喇叭二等卒 奥藤 吉五郎 西107
明治11年10月
K112 喇叭?二等卒 黒田 太蔵 西108
明治13年 8月
K113 二等兵卒 田中 藤次郎 西109
明治12年 8月
K114 一等兵卒 奥村 次郎吉 西110
明治12年 8月
K115 陸軍一等兵卒 今西 丑松 西111
明治12年 8月
K116 二等兵卒 松井 音松 西112
明治12年 9月
○8列目 K117~K130
K117 二等卒 山内 新太郎 西126
明治11年10月
K118 二等兵卒 中尾 茂八 西125
明治11年 9月
K119 生兵 竹詰 音之助 西124
明治11年 9月
K120 一等卒 辻 伊助 西123
明治11年 9月
K121 一等兵卒 後藤 音五郎 西122
明治11年 9月
K122 二等兵卒 宍藤 助二 *実藤?西121
明治12年 8月
K123 一等兵卒 福田 音次郎 西120
明治12年 8月
K124 一等兵卒 山口 庄次郎 西119
明治12年 8月
K125 一等卒 望月 直吉 西118
明治12年 8月
K126 一等兵卒 中村 小太郎 西117
明治12年 7月
K127 二等兵卒 加藤 源七 西116
明治12年 1月
K128 歩兵 四方 弁吉 西115
明治12年 4月
K129 二等兵卒 羽田 藤二郎 西114
明治12年 9月
K130 二等兵卒 北井 西113
明治12年 9月
○9列目左から右へ
K131 (階級名なし) 清水 男外吉 東9
明治 5年 4月
K132 (階級名なし) 長谷 吉太郎 東10
明治 5年 6月
K133 (階級名なし) 新畑 周二 東11
明治 5年 7月
K134 (階級名なし) 辻 安次 東12
明治 5年 7月
K135 (階級名なし) 岡田 ○良 東13
明治 5年 8月
K136 二等喇叭卒 鵜飼 万治郎 西128
明治11年 8月
K137 上等卒 伊藤 惣七 西129
明治11年 6月
K138 生兵 生田 亀吉 西130
明治11年 8月
K139 二等卒 栢垣 徳松 西131
明治11年 9月
以上139柱。
下段西側の生兵の墓碑は8柱 ― 2010/10/27
下段東側で「生兵(せいへい)」の墓碑の数を数えました。14柱でした。下段西側は、個人墓碑の数は西側より多いですが、生兵の墓碑は、8柱でした。
まずはリスト。
まずはリスト。
1.西135(K051) 永田 七五郎ところで、「生兵」という言葉はいつまで旧陸軍で使われていくのでしょうか。明治20(1887)年までは確かなようですが。
不明
2.西130(K138) 生田 亀吉
明治11年 8月
3.西124(K119) 竹詰 音之助
明治11年 9月
4.西105(K109) 越知 清太郎
明治13年 1月
5.西101(K105) 脇田 福蔵
明治12年10月
6.西 93(K047) 三田村 勝治郎
明治13年11月
7.西 70(K075) 山下 長松
明治18年11月
8.西 57(K057) 大八木 菊之助
明治20年 8月
バイパス工事で破壊された旧大津陸軍墓地の下段西側の年代別墓碑配置 ― 2007/11/15
旧大津陸軍墓地で、いまはもう見ることができない下段墓地の再現です。
これほど整然と並んでいたようではないのです。表のようなマスもついていません。それでも、どういう風に形成されていったのかを追跡することが可能になります。
下段は、中央の道路をはさんで東側と西側に分かれます。これは、西側。この図の上が山手。上っていくと、下士官の墓碑が眠る中段、将校の墓碑が並ぶ上段にたどりつくことができます。
より広い範囲で言うと、手前が琵琶湖側。右手が坂本、左手が瀬田方向ですね。
東側とおなじく、大津市が作成(大津財務局に提出)した資料に基づいて、私BIN★がつくりました。
これほど整然と並んでいたようではないのです。表のようなマスもついていません。それでも、どういう風に形成されていったのかを追跡することが可能になります。
下段は、中央の道路をはさんで東側と西側に分かれます。これは、西側。この図の上が山手。上っていくと、下士官の墓碑が眠る中段、将校の墓碑が並ぶ上段にたどりつくことができます。
より広い範囲で言うと、手前が琵琶湖側。右手が坂本、左手が瀬田方向ですね。
Ⅰ | Ⅱ | Ⅲ | Ⅳ | Ⅴ | Ⅵ | Ⅶ | Ⅷ | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
① | - | - | - | 不明 | M11 | M11 | - | - |
② | - | M11 | M11 | - | M11 | M11 | M11 | M11 |
③ | - | M11 | - | - | M11 | M11 | M11 | M11 |
④ | - | M12 | - | M12 | M12 | M12 | M12 | M12 |
⑤ | - | M12 | M12 | M12 | M12 | M12 | M12 | M12 |
⑥ | M13 | M11 | M13 | M13 | M13 | M13 | M10 | M12 |
⑦ | M14 | M14 | M14 | M12 | M13 | M13 | M13 | M13 |
⑧ | M15 | M15 | M14 | M15 | M15 | - | M19 | M15 |
⑨ | M17 | M16 | M16 | M16 | M16 | M15 | M15 | M15 |
⑩ | M16 | M17 | M17 | M17 | M17 | M17 | M16 | M18 |
⑪ | M19 | M19 | M29 | M19 | M19 | M19 | M19 | M19 |
⑫ | M21 | M21 | M21 | M20 | M20 | M20 | M20 | M20 |
⑬ | M25 | M25 | M25 | M24 | M24 | M24 | M23 | M23 |
⑭ | M30 | M30 | M30 | M30 | M29 | M29 | M29 | M28 |
⑮ | M38 | M38 | M38 | M38 | M28 | M38 | M36 | M27 |
⑯ | T9 | T12 | T7 | M40 | M41 | T4 | M40 | 不明 |
⑰ | M42 | T6 | T5 | T7 | M40 | T4 | T2 | T2 |
⑱ | T10 | M11 | T10 | T2 | M40 | T7 | T7 | T7 |
⑲ | - | - | - | T5 | T13 | T11 | T11 | T10 |
東側とおなじく、大津市が作成(大津財務局に提出)した資料に基づいて、私BIN★がつくりました。
年代別墓碑数(下段)@旧大津陸軍墓地 ― 2007/11/05
バイパス工事のために移設を余儀なくされた下段の年代別墓碑数(1976年に大津市が作成した資料に基づく by BIN★)
年代 | 東側 | 西側 | 合計 |
---|---|---|---|
明治5 | 5 | 0 | 5 |
明治6 | 0 | 0 | 0 |
明治7 | 0 | 0 | 0 |
明治8 | 0 | 0 | 0 |
明治9 | 0 | 0 | 0 |
明治10 | 0 | 1 | 1 |
明治11 | 4 | 15 | 19 |
明治12 | 12 | 15 | 27 |
明治13 | 4 | 9 | 13 |
明治14 | 3 | 4 | 7 |
明治15 | 11 | 8 | 19 |
明治16 | 6 | 6 | 12 |
明治17 | 5 | 6 | 11 |
明治18 | 1 | 1 | 2 |
明治19 | 7 | 8 | 15 |
明治20 | 0 | 5 | 5 |
明治21 | 0 | 3 | 3 |
明治22 | 6 | 0 | 6 |
明治23 | 0 | 2 | 2 |
明治24 | 0 | 3 | 3 |
明治25 | 0 | 3 | 3 |
明治26 | 0 | 0 | 0 |
明治27 | 5 | 1 | 6 |
明治28 | 3 | 2 | 5 |
明治29 | 1 | 3 | 4 |
明治30 | 0 | 4 | 4 |
明治31 | 0 | 0 | 0 |
明治32 | 0 | 0 | 0 |
明治33 | 7 | 0 | 7 |
明治34 | 3 | 0 | 3 |
明治35 | 1 | 0 | 1 |
明治36 | 0 | 1 | 1 |
明治37 | 0 | 0 | 0 |
明治38 | 0 | 5 | 5 |
明治39 | 5 | 0 | 5 |
明治40 | 2 | 4 | 6 |
明治41 | 0 | 1 | 1 |
明治42 | 1 | 1 | 2 |
明治43 | 2 | 0 | 2 |
明治44 | 1 | 0 | 1 |
明治45・大正元年 | 1 | 0 | 1 |
大正2 | 2 | 3 | 5 |
大正3 | 0 | 0 | 0 |
大正4 | 0 | 2 | 2 |
大正5 | 0 | 2 | 2 |
大正6 | 1 | 1 | 2 |
大正7 | 2 | 5 | 7 |
大正8 | 0 | 0 | 0 |
大正9 | 0 | 1 | 1 |
大正10 | 0 | 3 | 3 |
大正11 | 0 | 2 | 2 |
大正12 | 0 | 1 | 1 |
大正13 | 0 | 1 | 1 |
不明 | 1 | 2 | 3 |
合計 | 102 | 135 | 237 |
バイパス工事による改葬の結果、どうなったか(中間まとめ)@旧大津陸軍墓地 ― 2007/10/30
1976年に改葬された237柱の墓石が、かつてはどこに位置していたのかという問題は、解決した。
サイトで、ヴァーチャル再現はできそうだ。
おおまかに言えば、
① 下段西側は、Kブロック(5柱が東側から)
② 下段東側は、Lブロック(1柱が西側から)
③ 下段に振った連番の順番に前列から後列へ
移動した
④ その結果、だいたいにおいて、
前列が新しく、後列が旧いという並びに
なった。
といえるだろう。
サイトで、ヴァーチャル再現はできそうだ。
おおまかに言えば、
① 下段西側は、Kブロック(5柱が東側から)
② 下段東側は、Lブロック(1柱が西側から)
③ 下段に振った連番の順番に前列から後列へ
移動した
④ その結果、だいたいにおいて、
前列が新しく、後列が旧いという並びに
なった。
といえるだろう。
L235からL237までの照応関係@旧大津陸軍墓地 ― 2007/10/28
Kブロックへの下段からの改葬のオーダーについて ― 2007/10/28
●下段とKブロックの照応関係
Kブロックには、現在、139柱がある。
これを、西側から134柱、東から
5柱移して、139柱とした。
下段西側から見ると、
全135柱のうち、134柱をKブロックへ
残り1柱をLに移したということになる。
その1柱は、L237。
下段東側から見ると、
下段東側から5柱を取り出して、
それを西側の134柱をあわせて
Kブロックを構成した。
●これらの構成になんらかの意義があるか
埋葬順というわけでもない。
たしかに、順序は考慮されているが、
下段にあった姿を再現したという
わけでもない。
下段西は、Kブロック
下段東は、Lブロック
というように、
完全に分かれているわけでもない。
石台が1台を前列に
2台を後列に配置している。
これは、見栄え以外に
意味がない。
Kブロックには、現在、139柱がある。
これを、西側から134柱、東から
5柱移して、139柱とした。
下段西側から見ると、
全135柱のうち、134柱をKブロックへ
残り1柱をLに移したということになる。
その1柱は、L237。
下段東側から見ると、
下段東側から5柱を取り出して、
それを西側の134柱をあわせて
Kブロックを構成した。
●これらの構成になんらかの意義があるか
埋葬順というわけでもない。
たしかに、順序は考慮されているが、
下段にあった姿を再現したという
わけでもない。
下段西は、Kブロック
下段東は、Lブロック
というように、
完全に分かれているわけでもない。
石台が1台を前列に
2台を後列に配置している。
これは、見栄え以外に
意味がない。
K131からK139までの照応関係@旧大津陸軍墓地 ― 2007/10/28
K117からK130までの照応関係@旧大津陸軍墓地 ― 2007/10/28
K103からK116までの照応関係@旧大津陸軍墓地 ― 2007/10/28
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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