お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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キャットピープル・ストーリー2009/06/08

キャットピープルとその家族
カミさんが、20になったばかりの頃、
仕事場の近くで、2匹のネコを拾いました。
でも、寮では飼うことが許されませんでした。
捨てることが出来なかったカミさんは、
はるか九州の実家まで、友人に頼んで、
送り届けてもらいました。
家は、山間地。両親も祖母も健在でした。
ネコたちは、一人娘のかわりとなり、
のびのびと暮らしました。
周りには、谷と美しい山が広がっていました。

祖母とお散歩に行こうと一匹のネコが、
滅多に車の通らない道へ走り出ました。
そして、はねられ、息を引き取りました。
祖母は、ネコがかわいそうで一日泣きました。
カミさんは、遠く離れた大津で、何日も泣きました。

やがてカミさんは、仕事場の寮を出て、
一軒家を借りて住むようになりました。
そこでも、ネコを拾って飼いました。
ぼろぼろの雑巾のようなネコでした。
いつも鼻水をたらして、くしゃみをして、
カミサンの布団を汚していたそうです。
でも、カミさんはいっこうに気にならず、
一緒に寝て、暮らしました。

そのネコはフーちゃんといいました。

フーちゃんはオスでした。
あるとき、近所の方がたずねてきました。
「あなたの家のネコが、たくさん子どもを
産んで、困っている。なんとかして!」
カミさんは、けんめいに謝りました。
子猫をつれて歩いているフーちゃん
の姿を見ていたからです。
だけど、フーちゃんはオスでした。

20代も後半に入ったある日、
カミさんは私とつきあうことにしました。
すぐさま、職場で「私、結婚するの」といいました。
人づてに聞いた私がいいました。
「つきあうってことと結婚はちがうんだけど」
カミさんはしばらく考えて言いました。
「ん~ん、ま、いいか」
こうしてわずか一週間で、私はひろわれました。

カミさんと私は、新居を構えました。
ずいぶん考えましたが、カミさんは
フーを連れて行くことにしました。
しかし、フーは、すぐにいなくなりました。
数年後、突然、カミさんがいいました。
「昨日、フーを見た気がするの・・・」
キャットピープルは、ネコを忘れていなかったのでした。

子どもが生まれ、二人とも小学校に入った頃、
ペットショップで、いじめられている子ネコが
気の毒になって、店主からひきとりました。
ネコとの暮らしをはじめると、
もう止めることが出来ませんでした。
キャットピープルは、つぎつぎ拾ってきました。
職場で一匹、家の前の公園で一匹。

昨晩、私は私のキャットピープルのために、
見知らぬ子ネコを助けようとして、
あやうく車に轢かれそうになりました。

その話はいずれまた。

キャットピープル・ストーリーは、
新しい伝説を産みながら、まだまだ続くのでした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)