お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
朝からこの調子です、モー♂ネコ ― 2009/06/27
仲宗根政善『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』(角川文庫) ― 2009/06/27
わたしは、何度も、映画『ひめゆりの塔』を見ました。
しかも、白黒にはじまりカラーになっても。
公開されるごとに見て、TVで放映されれば
録画して見ました。
それでも、記念館で、「ひめゆり部隊」の
生き残りの方から、お話を聞いたときの
衝撃は、はるかに大きなものがありました。
そして、この本
『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』
記念館でのお話と重なります。
・・・お国のために尽くそうと純粋な思いで
看護し、そして軍から捨てられ、追い立てられる
・・・戦争の大義を疑うことなく綴られるからこそ
いっそう痛ましいのです。
これは忘れては絶対にだめ!
そう何度も思いました。
人の記憶は悲しいもので、
日々薄らぐことは避けられません。
それでも、これを読めば必ず残るものがあります。
核のような思い・・・・戦争は絶対にだめだって思いです。
いま政治家のなかで、とくに若い世代のなかで、
・・・安倍さん、石破さん、前原さん・・・という名前が
すぐに浮かびますが、平然と戦争をする国に変えようと
いう主張をされる人がいます。
この事実を見ないで言っているのでしょうか。
私には、とても信じることができません。
仲宗根政善さんは「あとがき」で書いています。
しかも、白黒にはじまりカラーになっても。
公開されるごとに見て、TVで放映されれば
録画して見ました。
それでも、記念館で、「ひめゆり部隊」の
生き残りの方から、お話を聞いたときの
衝撃は、はるかに大きなものがありました。
そして、この本
『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』
記念館でのお話と重なります。
・・・お国のために尽くそうと純粋な思いで
看護し、そして軍から捨てられ、追い立てられる
・・・戦争の大義を疑うことなく綴られるからこそ
いっそう痛ましいのです。
これは忘れては絶対にだめ!
そう何度も思いました。
人の記憶は悲しいもので、
日々薄らぐことは避けられません。
それでも、これを読めば必ず残るものがあります。
核のような思い・・・・戦争は絶対にだめだって思いです。
いま政治家のなかで、とくに若い世代のなかで、
・・・安倍さん、石破さん、前原さん・・・という名前が
すぐに浮かびますが、平然と戦争をする国に変えようと
いう主張をされる人がいます。
この事実を見ないで言っているのでしょうか。
私には、とても信じることができません。
仲宗根政善さんは「あとがき」で書いています。
沖縄基地に駐留する米第三海兵師団は、インド洋・ペルシャ湾での有事に即応するよう緊急展開部隊として出撃態勢をとっていて、演習は激化しつつある。
二十余万の生霊の静かに眠る土の上に、このような巨大な基地をそのままにしてよいだろうか。平和が、沖縄県民はもとより全国民の心である。
沖縄戦を忘れてはならない。戦争体験を風化させてはならない。
初めて知る戦死の衝撃:木戸共同墓地入り口の墓碑を見て ― 2009/06/27
私の住んでいるのは大津市です。
自治体が編纂している公式の歴史がありますね。
最新のものは『新修大津市史』
最初のものは、明治の末。
名前は、『大津市志』・・・だったように思います。
それを読んでいたとき、地域の人たちが、
戦死を衝撃的に受け止めている姿が書かれています。
大津市にとっての最初の戦死・・・
それは、日清戦争ではありません。
大津市に拠点をおいていた第九聯隊は、
下関条約締結のあとに遼東半島に上陸するので、
日清戦争では実際の戦闘には参加していません。
将校と兵士の墓碑は200近く陸軍墓地にありますが、
そのすべてが赤痢や脚気、コレラなどの病死です。
ですから、大津市民が受けた最初の
戦死の衝撃は、日露戦争のときです。
志賀町の木戸共同墓地に行ったとき、
入り口に他を圧する立派な墓碑がありました。
石垣で囲まれて、そびえています。
それは、日露戦争で戦死した方の墓碑でした。
現在、墓地には、その後の戦死者の墓碑が
林立した場所がありますので、
唯一の戦死者の墓碑ではありません。
しかし、建設されたときは、特別の存在として
受け止められていたにちがいありません。
そういう時差を考えながら、墓地を歩きました。
自治体が編纂している公式の歴史がありますね。
最新のものは『新修大津市史』
最初のものは、明治の末。
名前は、『大津市志』・・・だったように思います。
それを読んでいたとき、地域の人たちが、
戦死を衝撃的に受け止めている姿が書かれています。
大津市にとっての最初の戦死・・・
それは、日清戦争ではありません。
大津市に拠点をおいていた第九聯隊は、
下関条約締結のあとに遼東半島に上陸するので、
日清戦争では実際の戦闘には参加していません。
将校と兵士の墓碑は200近く陸軍墓地にありますが、
そのすべてが赤痢や脚気、コレラなどの病死です。
ですから、大津市民が受けた最初の
戦死の衝撃は、日露戦争のときです。
志賀町の木戸共同墓地に行ったとき、
入り口に他を圧する立派な墓碑がありました。
石垣で囲まれて、そびえています。
それは、日露戦争で戦死した方の墓碑でした。
現在、墓地には、その後の戦死者の墓碑が
林立した場所がありますので、
唯一の戦死者の墓碑ではありません。
しかし、建設されたときは、特別の存在として
受け止められていたにちがいありません。
そういう時差を考えながら、墓地を歩きました。
もう限界?!PC ― 2009/06/27
自宅で使っているPCが危ない状態。
昨日から、電源をいれても、
起動しようとしません。
メッセージを読むと、システムが入ったHDを
「そんなん、知りません」といっています。
なんどか繰り返して、
なだめていたら、やっと
「あ、やっぱりついていました」と
起動を始めた。
なに言っているんだい、
ちゃんとついているじゃんと
怒る私。
こんなことを繰り返すようでは、
もうだめですね。
どうしよう?
ブログ継続不可になってしまいます。
いまのうちにデータを退避すべきですね。
昨日から、電源をいれても、
起動しようとしません。
メッセージを読むと、システムが入ったHDを
「そんなん、知りません」といっています。
なんどか繰り返して、
なだめていたら、やっと
「あ、やっぱりついていました」と
起動を始めた。
なに言っているんだい、
ちゃんとついているじゃんと
怒る私。
こんなことを繰り返すようでは、
もうだめですね。
どうしよう?
ブログ継続不可になってしまいます。
いまのうちにデータを退避すべきですね。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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