お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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タチアオイ(立葵)2009/06/19

タチアオイ(立葵)
それは、お隣の花壇の話。

人の高さほどの茎に、不釣合いなぐらい大きな
そして、目立つ赤い花をいくつも咲かせています。

いつも撮らせてもらっているので、
気軽に聞いてみました。

「とても目立ちますね、名前は?」
「名前・・・・一度聞いたけれど」
二人で顔を見合わせていると、
お隣の”花博士”が偶然、出現。

「ああ、これね、ホリーホック
 和名は、・・タチアオイ。」

二人は胸をなでおろしました。
なんでもそうですが、わからないってことは、
落ち着かないものですから。

その他いくつかの花の解説を
ひとしきりされてから、
花博士は、ムギワラ帽子をつけ、
タオルを首にまいて、ご出勤。

その後姿がとてもクールに見えました。


今日も一日、暑そうです。
昨日の夕方は、烈しい夕立。
今日はどうなんでしょうか。

私は、高島市でお仕事です。

それは『メタボラ』なんですけど。2009/06/19

桐野夏生『メタボラ』
「あ、『メタボリ』かあ~」と笑いながら、
カミさんが、本を手に取ります。
「ちがうよ、『メタバル』!。脂肪の話じゃない。沖縄の話」

・・・・本当は、『メタボラ』
ばるタンさんが読んだ桐野夏生の本。

とても印象的な出だしに、吸い込まれていく私。

Mikhail Pletnev : Beethoven Piano Sonatas2009/06/19

Mikhail Pletnev : Beethoven Piano Sonatas
ミハイル・プレトニョフ(Mikhail Pletnev)の弾く
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集。
表題がついているものばかり3曲。
「月光」、「ワルトシュタイン」そして「熱情」

夏の暑さにまけずに、ガンガン運転をと
思ったら、なにを選ぶのだろう?
ヤナーチェック?
いやいや、それはもっていない。

というっことで、このCDをつかんで、
車に乗り込んだ。

スピードを出して走ると、
騒音とおなじ高さの音、
とくに低音が聞こえなくなる。
それを記憶で補いながら走る。

これら3曲は、聞き慣れすぎて、刺激に乏しい。
管弦楽の曲にすればよかったと後悔。

プレトニョフには申し訳がないと思う。

プレトニョフの愛称はミーシャ。
追っかけのファンの方と、
ミクシでお友達になった。
・・・どうされているのだろう?
ミクシは長い休眠状態にある。

高島市議会開会中2009/06/19

高島市議会でバス問題の質問を聴いた
高島市役所に立ち寄る。
本会議で一般質問の最中である。
傍聴は自由にできるけれど、座席が窮屈。
一階の休憩室でリアルタイム中継を
見ることにした。

ちょうどバス問題をめぐって質問中。
ゆったりしたイスに腰掛けて聴く。
中継のTVの前には、職員が2名。
質疑のチェックをしている。

高島市でも、高齢者を中心に、
バスを求める声は多いと聞いている。

合併前にも、便利なバスがあった。
たとえば、旧安曇川町の「ふれあいバス」
合併協議の結果、廃止の方向が決まった。
安曇川の住民や出身議員が
党派をこえて署名運動に取り組んだが
突破できなかった・・・。
それでも、別の形態で存続中。

大津市でも、バス路線がなくなって
困る人たちが多数いる。
京都新聞でも取り上げられていた
唐崎学区がそうだ。
旧志賀町でも、走らそうという運動が
起きている。

注目して聴いたが、進展は困難なようだ。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)