
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
桑原敬一『語られざる特攻基地 串良 生還した「特攻」隊員の告白』 ― 2009/06/26

桑原敬一さんは、1926年生まれ。
1942年に海軍乙種飛行予科練習生
第十八期生として、土浦海軍航空隊に入隊。
特攻攻撃を体験し、生き残った人です。
『語られざる特攻基地 串良 生還した「特攻」隊員の告白』
は、1984年に出版されました。
文春文庫になったのは、2006年のことです。
お国のため、天皇陛下のための尊い犠牲、
もしくは英霊として祭り上げられるような
きれいごとでは済まされない、
特攻隊員の苦悩の現実をつきつける本です。
特攻出撃を前にして、予備学生出身の搭乗員が
自殺を遂げ、「意気地なし」という非難が起こります。
1942年に海軍乙種飛行予科練習生
第十八期生として、土浦海軍航空隊に入隊。
特攻攻撃を体験し、生き残った人です。
『語られざる特攻基地 串良 生還した「特攻」隊員の告白』
は、1984年に出版されました。
文春文庫になったのは、2006年のことです。
お国のため、天皇陛下のための尊い犠牲、
もしくは英霊として祭り上げられるような
きれいごとでは済まされない、
特攻隊員の苦悩の現実をつきつける本です。
特攻出撃を前にして、予備学生出身の搭乗員が
自殺を遂げ、「意気地なし」という非難が起こります。
私はそういう人たちの思いあがりに無性に腹が立った。我が身を切り刻んでいる当事者の苦悩など、他人には金輪際わかるはずがない。戦争である以上、死はいつ誰を襲うか予測できないことだ。だが、特攻隊員にとっては、予測ではなく決定的な死の予約なのである。そういう立場にある特攻隊印から見たほかの基地関係者は、雲上の人のように、うらやましくもねたましい存在であった。真綿でジリジリと首を締められるように”その日”を待つ苛酷さに耐えなければならぬならば、ひと思いに死を---と思うのは、けっして意気地なしにも、だらしがないやつにもあたるまい。追いつめられた者が辿る、異常な環境下におけるありふれた心情であろう。
箱入り・・・♂ネコ ― 2009/06/26
Paederia scandens っていう草ですよ ― 2009/06/26
Heifetz plays Tchaikovsky Violin Concerto ― 2009/06/26

ライナー・シカゴ交響楽団が演奏した
バルトークの『管弦楽のための協奏曲』
・・・とにかく凄かった。
それで、ライナーのCDを探しました。
見つけたのが、これ。
ライナーを聴くつもりでかけたのですが、
ハイフェッツの音ばかりを追っかけるはめに。
すごい!すごい!
だれかが、ハイフェッツは、
パガニーニ伝説を過去のものにしたって
言っていましたね。
パガニーニもこれほどは弾けないだろうって
ことでしょうね。
それで、日記のタイトルを
Heifetz plays Tchaikovsky Violin Concerto
としたのです。
これだけの切れ味で弾ききった人を
もう一人聴いたことがあります。
・・・フーベルマンという人でした。
どこにおいたのだろう?
バルトークの『管弦楽のための協奏曲』
・・・とにかく凄かった。
それで、ライナーのCDを探しました。
見つけたのが、これ。
ライナーを聴くつもりでかけたのですが、
ハイフェッツの音ばかりを追っかけるはめに。
すごい!すごい!
だれかが、ハイフェッツは、
パガニーニ伝説を過去のものにしたって
言っていましたね。
パガニーニもこれほどは弾けないだろうって
ことでしょうね。
それで、日記のタイトルを
Heifetz plays Tchaikovsky Violin Concerto
としたのです。
これだけの切れ味で弾ききった人を
もう一人聴いたことがあります。
・・・フーベルマンという人でした。
どこにおいたのだろう?
「滋賀海軍航空隊跡」の碑@大津市 ― 2009/06/26
「滋賀海軍航空隊跡」の碑文 ― 2009/06/26
「滋賀海軍航空隊年譜」を刻む銅版 ― 2009/06/26

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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