お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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『ブログの力』はなに? コンテンツの格差の拡大?2007/06/30

ブログをしっかりつくろうと思ったとき、
参考になる本をさがしました。
それで買ったのがこれでした。

GEODESIC編著の『ブログの力』(九天社 2004年)
(上の写真)

自分で買ったからいうわけではありませんが、
これは気に入っています。
技術的なアドヴァイスとか、ハウツゥーものではないからですね。

amazon.comで、この本の書評を見つけました。
yoshi_inoueという方です。

『ブログの現状と可能性について語る本である。ブログユーザーの例が豊富に紹介されている。ブログがインターネット上の表現手段として定着・発展してゆくことは間違いなさそうだ。
さて、本書で引用されるブログユーザーはことごとくしっかりとしたコンテンツを持っている。つまり、発表できるなにものかを持っている。建築家、ジャーナリスト、料理研究家あるいは趣味に凝っている人達など。
 ブログが安価で容易なインターネット上の表現手段であることは良く分かるが、果たしてこれを大いに利用して益する人はどれほどいるのだろうか。日記風のものをブログで公開する人も多いようだが、趣味の域を出ない。今後このような安価で容易な表現手段が普及すると、ますますコンテンツを持つものと持たざるものとの格差が拡大する。コンテンツはあるが、表現手段に不足していた人にはブログは格好の表現手段となることだろう。しかし、ブログそのものはなんらコンテンツを与えてくれはしない。本書副題の「Blogの可能性に気づいたユーザーたち」とは、コンテンツを持つが表現手段を持たなかった人達のことのようである。 』

この書評には、共感します。

ただ私は、コンテンツを持つ人と持たない人というように
最初から区別されているわけではないと思うのです。
持っていなかった人も、見つけることができる・・・そういう手段として
活用していけばいいと思います。

私のブログも、『この記なんの記』という名前ではじめました。
それ以外、思い浮かばなかったからです。
自分がブログでしたいこと、活用したいことが
もう少しはっきり見えたきたときに、
名前も変えたいと思っています。

わがまちを外から眺めると気の毒なくらい細いです2007/06/30

地図上では、大津市の外形は知っています。
また、日常的に車で走っているので、わかっているつもりです。

わが町=大津市(この場合は北部)を、琵琶湖の対岸から
しげしげと眺めてみると、
気の毒なくらい細いことに気がつきます。

前を琵琶湖、後ろを比叡山や比良山に迫られて、
わずかな湖岸べりの土地で、
なんとか南北につながっているという感じです。

利点は迷子にならないってことですね。
横方向に狭いので、ここから南か北かがわかれば、
迷うことなく到着します。

瀬田川を越えて、瀬田や田上、上田上にむかうと
まとまった平面がありますけれど。

縦に貫いている幹線を走ると、北部の堅田学区と
南部の瀬田4学区に共通点を感じます。
そういえば、二つとも、昭和42年(1967)に、
大津市に合併した歴史も同じです。
共通点というのは、幹線に沿って、チェーン店が
並んでいること、そして、その一皮むこうには、
古い土地柄がそのまま残っていることです。
もっとも、古い土地はいまは宅地開発の波に
洗われているようですが。

映画のセットの「表」のような幹線道路2007/06/30

一つ前の日記に書いたように、大津市の瀬田学区と堅田学区には
共通点があるように、思えます。
かつては広大な農地があったところです。
駅と道路を中心に発展し、農地は急速に宅地化が進んだ地域です。

そういう地域では、太く貫く幹線道路は、
オフィスビルやチェーン店が立ち並ぶ全国一律の金太郎通り。
しかし、一皮むけば、農地とスプロール化する宅地開発。

そういう不調和な街になるように思います。
もちろん、だれしもが感じていることなのですが。

さて、上の写真は、瀬田のブックオフから
瀬田をつらぬく国道1号線沿いの町並みを見たところ。

さて「裏」は・・・・。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/30/1615074

映画のセットの「裏」のような農地と宅地の混在地域2007/06/30

大津市瀬田のブックオフは、国道1号線に面しています。
当然、表通りは、どの街でもあるようなオフィスビルと
チェーン店が占領しています。

http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/30/1615067

でも、それは皮一枚の厚みしかありません。
裏に回るとどうなっているでしょうか?

ブックオフの駐車場は、裏にあります。
そこに止めて、「裏」を写真に収めました。

もともとは農地であったところです。
もしかすると、来るたびごとに宅地が増えているのかも
知れません。

しかし、その建設は計画的とはとても思えません。

写真ではよくわからないかも知れませんね。
少なくとも、ビルなんかの姿はどこにもないことはわかります。
駐車場は、農地に直接となりあわせなのです。

久間章生防衛相の原爆投下容認発言と抗議の声に思う2007/06/30

 被爆国日本の大臣が原爆投下を容認する発言をしたと報道されています。その事実を確認することからはじめました。
 時事通信の要旨がもっとも詳しいものと思います。
 さて、その発言の内容についてですが、それを読むまでは、アメリカとの関係で、愚かしいおべっかなのかと想像していました。
 しかし、「しようがない」という論理の組み立てに、ソ連に占領されるよりましというものがかぎになっているのを知り、その時代錯誤ぶりに驚いています。それは、東西冷戦構造の思考であり、権力政治そのものの論理です。国民など眼中にありません。もちろん、その苦しみや痛みに心を寄せる姿勢などみじんもありません。
 安部首相などが、戦前の日本を「美しい国」と考えて、それへの回帰を夢見ていることも問題ですが、ソ連の奴隷になるよりはアメリカの奴隷になったほうがましだといわんばかりの発言には、独立国の政治家として最低限必要だと思われる誇りが感じられません。
 戦後の日本の政治を動かしてきた政党の政治家が、ここまで感覚を麻痺させてしまったことに言葉を失います。

 当然のことですが、久間大臣は罷免されるべきです。

 率直に書きました。
 ご意見があれば、コメントをお願いします。

*************新聞社の報道から*******************

①読売新聞

原爆で終戦早まる、「しょうがないな」と久間防衛相
6月30日19時9分配信 読売新聞

 久間防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大学で講演し、1945年8月に米国が広島と長崎に原子爆弾を投下したことで昭和戦争の終戦が早まったと指摘した上で、「間違えると北海道までソ連に占領されていた。原爆も落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、『あれで戦争が終わったんだ』という頭の整理でしょうがないなと思っている」と述べた。
 米国に対しては、「勝ち戦と分かっているときに原爆まで使う必要があったのかという思いがするが、アメリカは恨んでいない。国際情勢や占領状態からすると、そういうことも選択としてあり得る」と語った。
 久間氏は講演終了後、発言の真意について「当時の日本政府の判断が甘く、終戦が遅れるとソ連に占領されていた可能性があったことを指摘しただけだ。原爆を肯定したわけではない」と記者団に説明した。

最終更新:6月30日19時9分

②毎日新聞

久間防衛相:原爆投下に関する発言の要旨
 久間章生防衛相が30日に千葉県柏市で行った講演のうち、原爆投下に言及した部分の要旨は次の通り。

 米国は日本が負けると分かっているのに、ソ連に参戦してほしくない。ところがなかなか日本はしぶとい。しぶといとソ連は参戦する可能性がある。国際世論もソ連参戦を賛成しかねない。ソ連が参戦して、ドイツを(東西)ベルリンで分けたみたいになりかねない。
 だから(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。これなら必ず日本も降参し、ソ連の参戦を食い止めることができるという考えだったが、(長崎に原爆が投下された1945年)8月9日に、ソ連が満州その他の侵略を始めた。
 幸い8月15日で終戦となり(日本は)占領されずに済んだが、間違えば北海道まではソ連に取られてしまう。その意味で、原爆を落とされて長崎は無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったのだ、という頭の整理で今、しょうがないなと思っているところだ。
 米国を恨む気はないが、勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのかどうか、という思いは今でもしているが、国際情勢や戦後の(日本の)占領を考えると、そういうこと(原爆投下)も選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと(思う)。

毎日新聞 2007年6月30日 21時00分


③毎日新聞

<久間防衛相>原爆投下に関し「しょうがない」の発言
6月30日19時14分配信 毎日新聞

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗沢大学で「我が国の防衛について」と題して行った講演で、太平洋戦争終結時に米国が広島、長崎に原爆を投下したことについて「米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている」と述べた。被爆地・長崎の出身でもある現職閣僚が、原爆投下を部分的に肯定したとも受け取れる発言で、波紋を広げそうだ。
 久間防衛相は当時の戦況について「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。これなら必ず日本も降参し、ソ連の参戦を食い止めることができる、という考えだった。間違えば北海道まではソ連に取られてしまった」などと分析した。
 原爆投下については「米国を恨む気はないが、勝ち戦と分かっている時に原爆を使う必要があったのか」と疑問を呈したが、一方で「国際情勢や戦後の占領を考えると、選択肢として戦争の場合は(原爆投下も)あり得るのかなと思う」とも言及した。
 久間防衛相は同日夜、東京都内で自身の発言が問題視されていることに関し「ソ連の意図を見抜けなかった日本の判断ミスだと言いたかった。そのために、私の(選挙区である)長崎は悲惨な目にあった。原爆を是認したわけではない」と釈明した。【田所柳子】

最終更新:6月30日20時34分

④時事通信

米の原爆投下「しょうがない」=ソ連参戦防ぐため-久間防衛相
6月30日13時2分配信 時事通信

 久間章生防衛相は30日午前、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、米国の広島、長崎への原子爆弾投下が日本の無条件降伏につながり、ソ連の北海道侵略・占領を防いだと指摘した上で「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている」と述べた。
 久間氏は長崎県出身。原爆投下を一定評価した発言ともとれるだけに、波紋を広げそうだ。
 久間氏は当時の戦況について「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原子爆弾を広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦を止めることができるということだった」と説明した。 

最終更新:6月30日13時21分


⑤時事通信

米の原爆投下「しょうがない」=ソ連参戦防ぐため-久間防衛相が講演
6月30日23時1分配信 時事通信

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、先の大戦に関し、米国の広島、長崎への原子爆弾投下が日本の無条件降伏につながり、ソ連の北海道侵略・占領を防いだと指摘。その上で「(原爆で)本当に無数の人が悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と述べた。
 久間氏は長崎県出身。原爆投下を容認した発言と受け取れ、被爆地や野党などから批判の声が上がっている。
 久間氏は1945年8月の終戦直前の状況について「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて原子爆弾を広島と長崎に落とした。そこまでやったら日本も降参し、ソ連の参戦を止めることができるということだった」と説明。さらに、「(終戦により)北海道は占領されずに済んだが、間違うと北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は、取られても何もする方法もない」と述べた上で、原爆投下は「しょうがない」と発言した。 

最終更新:6月30日23時1分


⑥時事通信

久間防衛相発言、問題視せず=「米国の考え方を紹介」-安倍首相
6月30日21時2分配信 時事通信

 安倍晋三首相は30日、遊説先の香川県丸亀市内で記者会見し、久間章生防衛相が米国の広島、長崎への原爆投下について「しょうがない」と発言したことについて、「詳しいことは聞いていないが、久間氏は米国の考え方について紹介したと承知している。同時に原爆の惨禍にあった長崎の被爆地としての考え方にも言及されたと聞いている」と述べ、現時点では特に問題視しない考えを示した。 

最終更新:6月30日21時2分


⑦読売新聞

原爆投下「しょうがない」久間発言、野党が辞任求める構え
6月30日22時41分配信 読売新聞

 久間防衛相が30日、米国の原爆投下に関し「しょうがない」と発言したことに対し、広島県被団協(坪井直理事長)の畠山裕子事務局次長(68)は、「原爆で亡くなった人々は仕方なく死んだのか。被爆者の気持ちが日本政府に伝わっていなかったと思うと、悲しくて言葉が出ない」と述べた。
 こうした声を受けて社民党の福島党首は「被爆者に対する思いが全く感じられない」として久間防衛相の辞任を求める談話を発表した。
 民主党の菅代表代行も島根県出雲市で、国民新党の亀井久興幹事長と共に記者会見し、「防衛相として全くふさわしくない、あるまじき発言だ」と述べた。共産党の志位委員長は新潟市での記者会見で「被爆国の閣僚として失格だ。大臣の資質、資格にかかわる」と述べた。

最終更新:6月30日22時41分


⑧産経新聞

防衛相「原爆是認と取られ残念」 野党一斉に反発
6月30日22時28分配信 産経新聞

 久間章生防衛相は30日、千葉県柏市の麗澤大学で講演し、昭和20年8月9日の米国による長崎への原爆投下が、終戦を早め、旧ソ連による北海道侵攻を防いだとの認識を示した上で「原爆を落とされて本当に悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったのだと、そういう頭の整理で今、しようがないなと思っている」と語った。
 久間氏は長崎県出身だが、「(米国は)日本が負けると分かっているのに、あえて広島と長崎に原爆を落とした。長崎に落とすことで日本が降参し、ソ連の参戦を止めることができると思ってやった」と指摘。その結果として戦後、日本が自由主義陣営に加わり、日米安全保障条約を結んだことを「わが国にとって良かった」と述べた。
 久間氏の発言に対し、野党側は鳩山由紀夫民主党幹事長が「日本国民としてとても許せない。大臣をやっている資格はまったくない」と語るなど一斉に反発し、罷免要求を含めて政府を攻撃する材料とする構えだ。

 安倍晋三首相は香川県丸亀市での会見で「米国のそのときの考え方を紹介すると同時に、原爆の惨禍の中にあった長崎について、『自分としては忸怩(じくじ)たるものがある』という考え方も披瀝(ひれき)されたと聞いている」と語り、問題はないとの認識を示した。
 久間氏は発言に批判が出ていることについて「原爆を落とすのを是認したように受け取られたのは残念だ」と記者団に語った。

■防衛相の発言要旨

 日本が戦後、ドイツのように東西で仕切られなくて済んだのはソ連が(日本に)侵略しなかった点がある。米国はソ連に参戦してほしくなかった。日本に勝つのは分かっているのに日本はしぶとい。しぶといとソ連が出てくる可能性がある。
 日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とした。長崎に落とすことで日本も降参するだろうと。そうすればソ連の参戦を止めることができると(原爆投下を)やった。
 長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。米国を恨むつもりはない。
 勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択としてはあり得るのかなということも頭に入れながら考えなければいけない。

【最終更新:6月30日22時28分


⑨毎日新聞

<久間防衛相>原爆投下「容認」発言に政府・与党も戸惑い
6月30日21時10分配信 毎日新聞

 原爆投下を容認したとも受け取れる久間章生防衛相の発言に、政府・与党幹部は戸惑いを隠せない。野党側は参院選を目前に飛び出した現職閣僚の不用意発言を国会や選挙戦で厳しく追及する構えで、安倍晋三首相らは問題の沈静化に必死だ。
 首相は30日の香川県丸亀市での記者会見で「米国の考え方について紹介したと承知している」と述べ、問題視しない姿勢を示した。さらに「被爆の惨禍の中にあった長崎について忸怩(じくじ)たるものがある、という被爆地としての考え方も披歴された。いずれにしても核廃絶が日本の使命だ」と強調した。被爆地・広島が選挙区の自民党の中川秀直幹事長も「原爆投下と(ソ連)参戦の関係は歴史観の問題で、一個人の意見。コメントの必要もない」と述べた。ただ、公明党の太田昭宏代表はさいたま市内で記者団に「見識のある方、発言は信じられない。誤解を持たれる点があれば、説明をする必要があるのではないか」と懸念を示した。
 一方、野党側は民主党の菅直人代表代行が島根県出雲市で記者団に「防衛相としてふさわしくない発言。原爆投下そのものを容認するような姿勢は、日本の主張と矛盾する」と非難。同行していた国民新党の亀井久興幹事長も「罷免要求も考える」と同調した。共産党の志位和夫委員長も同日、新潟市での記者会見で「閣僚失格。国会、選挙戦で追及する」と語った。【尾中香尚里】

最終更新:6月30日21時28分


⑩時事通信

久間防衛相発言を一斉批判=野党、原爆投下容認に罷免要求も
6月30日21時1分配信 時事通信

 久間章生防衛相が米国による広島、長崎への原子爆弾投下を「しょうがない」と発言したことに対し、民主、共産、社民、国民新の野党4党幹部は30日、「防衛相としてふさわしくない発言だ」(菅直人民主党代表代行)などと一斉に批判した。社民党の福島瑞穂党首は談話を発表し、安倍晋三首相に防衛相の罷免を要求した。
 野党側は7月5日までの今国会会期中に与野党が合意した衆院決算委員会を開き、首相や防衛相の見解をただす考え。参院選に向け、防衛相発言や首相の任命責任も追及し、攻勢を強める構えだ。 

最終更新:6月30日23時1分

⑪時事通信

「非常識」「暴言」と非難=久間氏発言、撤回求める-原水協など
6月30日19時31分配信 時事通信

 久間章生防衛相が講演で米国の広島、長崎への原子爆弾投下について「しょうがない」などと容認する発言をしたことについて、反核平和団体や被爆者団体は30日、「非常識」「暴言」などと非難し、発言の撤回を求めた。
 原水爆禁止日本協議会(原水協)の高草木博事務局長は「惨状を経験した国の閣僚として、あまりに非常識としか言いようがない」との談話を出した。
 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中煕巳事務局長も「閣僚としての教養も知性も感じられない、その資格が問われる暴言としか言いようがない」との談話を発表した。 

最終更新:6月30日21時0分


⑫毎日新聞

<久間防衛相>原爆の発言、あまりに非常識…原水協が抗議
6月30日19時35分配信 毎日新聞

 久間章生防衛相が講演で米国による原爆投下について「しょうがない」と発言した問題で、原水爆禁止日本協議会の高草木(たかくさき)博事務局長は30日、「残虐行為の惨状を経験した国の閣僚として、あまりに非常識」として、発言の取り消しを求める抗議の談話を発表した。

最終更新:6月30日19時35分

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)