お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

超大型ショッピングセンター接近中Ⅵ :おいしいケーキも遠くなる?2007/06/15

イオン・モール予定地を見て回って、
一休みしようとカフェに入りました。
ここに入ったのは初めて。

場所は、イオン・モールに面する
幹線道路の正面にあるお店です。

カミさんといつも「いいお店みたいだね」と
言っているのですが、
近江大橋の料金所にすぐの地点なので、
気づいたときには、通過していまいます。

今日は、車ではなかったので、ゆったりと
はいることができました。

ケーキセットを注文。

甘党・・・・でもないけれど、
太るとまずい体質。

ブログに書くと、カミさんにばれますね。

おいしくいただいたあとで、マスターにお話をきいてみました。

●イオンの出店についてどう思われますか?

「このあたりがにぎやかになるのはいいことだと思います。
人もたくさん集まることになるだろうし。
心配ですか?
交通渋滞で、お店に入りにくくなること・・・ですね。
それでも、きていただけるように
努力をしようと思っています。」

●どんな計画になるか、ご存知ですか?

「いえ、まったく知りません」

じゃあ、資料を持ってきますね。

「はい、よろしく」

超大型ショッピングセンター接近中Ⅶ:交通渋滞2007/06/15

琵琶湖に真ん中を取られているのが滋賀県。
湖上交通の時代は便利でも、
車社会では、不便な障害物となります。

つまり、琵琶湖と瀬田川に分断されているために、
橋をわたるしか方法がありません。

琵琶湖の北湖と南湖をわけるくびれた地点に、
琵琶湖大橋。
それより北は橋はありません。

それより南で車が通れる橋は、
近江大橋。
瀬田の唐橋
京滋バイパス。
名神高速道路。
南郷洗堰。
ししとび大橋。
です。

このうち位置的にみても重要で、
幹線道路となっているのは、近江大橋と瀬田の唐橋。
両者は、日常的に交通渋滞を引き起こしています。

イオン・モールは交通渋滞を引き起こしている近江大橋に
直接接した地点に出店を計画しています。
交通渋滞を加速し、さらに重大化するのは目に見えています。

写真は、イオンが展開する内陸部の端に位置する交差点。
木曜日の午後3時55分。
信号待ちをする車は長い列ができています。
渋滞がおこる前の時間帯でもこれです。

たんすにジュゴンが到着しました♪2007/06/15

ばるタン様、ありがとうございます。
たんすにジュゴンが到着しました。
さっそくカンパも入れて振り込んできます。
このセットは、見本として知人に見せて、
広げたいと思います。
カミさんの職場にももっていってもらうのに、
もう一セット頼めばよかったですね。
息子のKくんが、ボクも買うっていっています。
ちなみに「たんすにジュゴン」セットを持っているのが
Kくんです。

***********たんすにジュゴンってなに?**************

と思われる方は、見てください。

「たんすにジュゴン」プロジェクト
http://www.ne.jp/asahi/teori/suzume/tansu.htm

申し込み
teori-suzume@okinawa.email.ne.jp

自衛隊が国民を監視Ⅲ:高島市に市民をまもるよう要請しました2007/06/15

上の写真は、15日に、あいば野平和運動連絡会の
H事務局長が、高島市に要請文を手渡しているところです。

昨晩、Hさんから、電話をいただきました。

「陸上自衛隊の情報保全隊が、国民を監視していた
 ことへの抗議と要請をするのだが・・・」

私は、すぐさま、参加する意思を伝えました。

最初に向かったのは、高島市役所。
市長に要請するためです。

「あいば野平和運動連絡会」の要請文は以下のとおりです。

**********************************

自衛隊情報保全隊による平和・市民運動に対する監視活動について(要請)

 陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派兵反対等の平和・市民運動を監視し、その情報を系統的に収集していたことが、日本共産党が陸上自衛隊の内部文書をもとに6月6日発表した『自衛隊による違憲・違法の国民監視活動を告発する』で判明しました。
 この自衛隊の内部文書には、全国で広がったイラク派兵反対運動等について、2003年11月から2004年2月までの間に、陸上自衛隊の各方面情報保全隊から集められた情報、289の団体・個人・報道機関等の活動内容(日時・場所・行動・参加人数等)が克明に載せられており、そこには高島市内(当時郡内)における宣伝活動等についても、概略次のとおり収集されています。
(中略)
 これらの自衛隊による国民監視と情報収集活動は、憲法21条(集会・結社・言論・出版等、表現の自由の保障)、19条(思想・良心の自由の保障)、13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求権の尊重)に違反するものです。
 また、今回の内部文書に添付されているような、自衛隊が一般国民を無断で写真撮影する行為も、国民のプライバシー権を侵害する犯罪行為として糾弾されなければなりません。
 同時に、訓令設置された自衛隊情報保全隊(全国で約900名)は、自衛隊がもっている情報の流出・漏洩を防止することを目的に設置された部隊であって、一般の国民(市民・団体)を監視・捜査・調査する権限はなく、今回発覚した情報収集活動は、明らかに自衛隊法にも違反するものです。
 市民や団体が、地域と自らの平和と安全をまもるために、イラク派兵反対について意思表示することや自衛隊の演習等に対して苦情や反対を表明することは当然の権利であり、自衛隊が市民や団体の活動を監視・情報収集することは、戦前に軍隊内部の治安部隊として発足した憲兵隊が、国民全体の監視・弾圧機関となっていった暗黒政治の「復活」と云うべきものとして、絶対に認められません。
 また、今回、公職である自治体議員が監視の対象にされ、その活動が国家権力により収集・報告されていたことは地方自治を侵害する行為として許されるものではありません。
 以上の趣旨から、市民の基本的人権を守る立場にある高島市長として、防衛大臣、自衛隊情報保全隊長および今津駐屯地司令等に対し、下記の事項について申し入れられるよう要請します。
           
                        記
1.市民が不当に監視される行為は、人権を守ることを重要な課題に掲げている高島市としても許されない行為として抗議し、あわせて住民監視活動を中止するよう求めること。
2.2007年度からあいば野に新たに配備された、移動しながら日本海沿岸等の動きを情報収集する「移動監視隊」(約50名)が、情報保全隊と同様、住民の動きを監視する部隊としての活動を行わないよう申し入れること。
    2007年6月15日
                       あいば野平和運動連絡会
                          
高島市長 海東英和 様

自衛隊が国民を監視Ⅲ:高島市に市民をまもるよう要請しました②2007/06/15

「あいば野連絡会」からの、十数名が要請行動に参加しました。

 憲法に保障されている権利、市民のプライバシーが脅かされたことが明らかになったときに、住民の暮らしや安全を守る使命をもつ自治体がどういう態度をとるかが問われる問題ですね。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)