
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
自衛隊が国民を監視Ⅲ:高島市に市民をまもるよう要請しました ― 2007/06/15

上の写真は、15日に、あいば野平和運動連絡会の
H事務局長が、高島市に要請文を手渡しているところです。
昨晩、Hさんから、電話をいただきました。
「陸上自衛隊の情報保全隊が、国民を監視していた
ことへの抗議と要請をするのだが・・・」
私は、すぐさま、参加する意思を伝えました。
最初に向かったのは、高島市役所。
市長に要請するためです。
「あいば野平和運動連絡会」の要請文は以下のとおりです。
**********************************
自衛隊情報保全隊による平和・市民運動に対する監視活動について(要請)
陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派兵反対等の平和・市民運動を監視し、その情報を系統的に収集していたことが、日本共産党が陸上自衛隊の内部文書をもとに6月6日発表した『自衛隊による違憲・違法の国民監視活動を告発する』で判明しました。
この自衛隊の内部文書には、全国で広がったイラク派兵反対運動等について、2003年11月から2004年2月までの間に、陸上自衛隊の各方面情報保全隊から集められた情報、289の団体・個人・報道機関等の活動内容(日時・場所・行動・参加人数等)が克明に載せられており、そこには高島市内(当時郡内)における宣伝活動等についても、概略次のとおり収集されています。
(中略)
これらの自衛隊による国民監視と情報収集活動は、憲法21条(集会・結社・言論・出版等、表現の自由の保障)、19条(思想・良心の自由の保障)、13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求権の尊重)に違反するものです。
また、今回の内部文書に添付されているような、自衛隊が一般国民を無断で写真撮影する行為も、国民のプライバシー権を侵害する犯罪行為として糾弾されなければなりません。
同時に、訓令設置された自衛隊情報保全隊(全国で約900名)は、自衛隊がもっている情報の流出・漏洩を防止することを目的に設置された部隊であって、一般の国民(市民・団体)を監視・捜査・調査する権限はなく、今回発覚した情報収集活動は、明らかに自衛隊法にも違反するものです。
市民や団体が、地域と自らの平和と安全をまもるために、イラク派兵反対について意思表示することや自衛隊の演習等に対して苦情や反対を表明することは当然の権利であり、自衛隊が市民や団体の活動を監視・情報収集することは、戦前に軍隊内部の治安部隊として発足した憲兵隊が、国民全体の監視・弾圧機関となっていった暗黒政治の「復活」と云うべきものとして、絶対に認められません。
また、今回、公職である自治体議員が監視の対象にされ、その活動が国家権力により収集・報告されていたことは地方自治を侵害する行為として許されるものではありません。
以上の趣旨から、市民の基本的人権を守る立場にある高島市長として、防衛大臣、自衛隊情報保全隊長および今津駐屯地司令等に対し、下記の事項について申し入れられるよう要請します。
記
1.市民が不当に監視される行為は、人権を守ることを重要な課題に掲げている高島市としても許されない行為として抗議し、あわせて住民監視活動を中止するよう求めること。
2.2007年度からあいば野に新たに配備された、移動しながら日本海沿岸等の動きを情報収集する「移動監視隊」(約50名)が、情報保全隊と同様、住民の動きを監視する部隊としての活動を行わないよう申し入れること。
2007年6月15日
あいば野平和運動連絡会
高島市長 海東英和 様
H事務局長が、高島市に要請文を手渡しているところです。
昨晩、Hさんから、電話をいただきました。
「陸上自衛隊の情報保全隊が、国民を監視していた
ことへの抗議と要請をするのだが・・・」
私は、すぐさま、参加する意思を伝えました。
最初に向かったのは、高島市役所。
市長に要請するためです。
「あいば野平和運動連絡会」の要請文は以下のとおりです。
**********************************
自衛隊情報保全隊による平和・市民運動に対する監視活動について(要請)
陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派兵反対等の平和・市民運動を監視し、その情報を系統的に収集していたことが、日本共産党が陸上自衛隊の内部文書をもとに6月6日発表した『自衛隊による違憲・違法の国民監視活動を告発する』で判明しました。
この自衛隊の内部文書には、全国で広がったイラク派兵反対運動等について、2003年11月から2004年2月までの間に、陸上自衛隊の各方面情報保全隊から集められた情報、289の団体・個人・報道機関等の活動内容(日時・場所・行動・参加人数等)が克明に載せられており、そこには高島市内(当時郡内)における宣伝活動等についても、概略次のとおり収集されています。
(中略)
これらの自衛隊による国民監視と情報収集活動は、憲法21条(集会・結社・言論・出版等、表現の自由の保障)、19条(思想・良心の自由の保障)、13条(個人の尊重、生命・自由・幸福追求権の尊重)に違反するものです。
また、今回の内部文書に添付されているような、自衛隊が一般国民を無断で写真撮影する行為も、国民のプライバシー権を侵害する犯罪行為として糾弾されなければなりません。
同時に、訓令設置された自衛隊情報保全隊(全国で約900名)は、自衛隊がもっている情報の流出・漏洩を防止することを目的に設置された部隊であって、一般の国民(市民・団体)を監視・捜査・調査する権限はなく、今回発覚した情報収集活動は、明らかに自衛隊法にも違反するものです。
市民や団体が、地域と自らの平和と安全をまもるために、イラク派兵反対について意思表示することや自衛隊の演習等に対して苦情や反対を表明することは当然の権利であり、自衛隊が市民や団体の活動を監視・情報収集することは、戦前に軍隊内部の治安部隊として発足した憲兵隊が、国民全体の監視・弾圧機関となっていった暗黒政治の「復活」と云うべきものとして、絶対に認められません。
また、今回、公職である自治体議員が監視の対象にされ、その活動が国家権力により収集・報告されていたことは地方自治を侵害する行為として許されるものではありません。
以上の趣旨から、市民の基本的人権を守る立場にある高島市長として、防衛大臣、自衛隊情報保全隊長および今津駐屯地司令等に対し、下記の事項について申し入れられるよう要請します。
記
1.市民が不当に監視される行為は、人権を守ることを重要な課題に掲げている高島市としても許されない行為として抗議し、あわせて住民監視活動を中止するよう求めること。
2.2007年度からあいば野に新たに配備された、移動しながら日本海沿岸等の動きを情報収集する「移動監視隊」(約50名)が、情報保全隊と同様、住民の動きを監視する部隊としての活動を行わないよう申し入れること。
2007年6月15日
あいば野平和運動連絡会
高島市長 海東英和 様
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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