お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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窓辺のムー2009/06/13

窓辺のムー
タイトルは意味不明ですが、
窓辺に座るムー♂ネコを撮りました。

”写真嫌い”というのは、ネコの世界にもいるようです。
たぶん、この仔はそうですね。

窓の外に人がいて、なにかをしている様子。
それを観察しようと窓枠に上ったところを
撮りました。

私が排除するのかと思い警戒した様子。
そうじゃないとわかって一安心。
でも、カメラ目線だけは、はずすムーでした。

広瀬隆氏の原発(核兵器)本を3冊買いました2009/06/14

広瀬隆氏の原発(核兵器)を3冊買いました
古本屋で、広瀬隆氏の本を三冊買いました。
どれも、名前だけは知っているというもの。

『東京に原発を!』(1981年)
タイトル自体が挑戦的。
写真もそう。
集英社文庫になっているものを購入。
解説は、野坂昭如というのも興味深い。

『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』(1982年)
この本の内容は、人づてによく聞いた。
なかなかセンセーショナル。
こうして本を見るのははじめて。
文春文庫。

『新版 危険な話 チェルノブイリと日本の運命』
(旧版は1987年)
これも論争の書。
新潮文庫。

8月6日までには読めればと思っています。

読まれた方はいらっしゃいますか?
オススメですか、それとも
オススメじゃないですか?

歩かなくちゃね2009/06/15

○○の里の公園には野草がいっぱい。
今日は、6月中ごろ。しかも日曜日。
休日を祝福するような晴天でした。
しかし、私は仕事。
祝福とは無縁でした。

午前9時。同僚のK氏を載せて、
大津市北部の○○の里に向かいました。
そこは、20年ぐらい前から開発されている団地。
丘陵地に6000世帯ぐらいが住む街です。
琵琶湖が遠くに見えて美しい。

出かけた目的は、集まりに出席するためです。

2年ほどまえから問題が生まれています。
ひとつは、湖西バイパスの騒音拡大。
無料化のおかげで交通量がふえ、
トラックの騒音が深刻になりました。
今日も声をかき消す騒音が鳴り響きます。

もうひとつは、暮らし向きにかわる問題。

この住宅地は山手で、最寄の駅は、
JR○○温泉駅です。
そこから住宅地へは、車もしくは
バスで向かうことになります。
支所は、山手の住宅街の真ん中。
銀行、スーパーなどと一緒に
暮らしを支えてきました。
わざわざ湖岸に下りなくても、
食料品は手に入る仕組みでした。
ところが、そのスーパーが倒産。
空白期間の間、大騒ぎでしたが、
別のチェーン店が出店して、一安心。

しかし、今度は銀行がなくなるのです。
支店が琵琶湖岸の○○温泉駅に移転。
キャッシュコーナーだけは存続するようですね。

正午となり、話し合いが終わりました。
先発したK氏に車を貸したために、
私は別の手段で戻るハメになりました。

バスの時刻表を見に、離れたバス停へ
あと20分ありますね。

「どうしようかな?」と考えていたら、
住民の女性の方から、声をかけられました。

「虫の調査に来られた方ですか?」
「いいえちがいます。なにか問題でも?」
「テントウムシのことで、、県から
環境問題の方が来られるってことでした。」

カメラを持っているので、そう見えるのでしょうか。

「どこへ行かれますか?」
「JR○○駅から帰るつもりです。」
「では、案内します。歩いて16分ぐらいです」

ご親切はありがたいのですが、
今日はマイペースで歩きたいのです。
途中まで見送ってもらい、あとは
道順を教えてもらいました。

去年は、縄文杉まで歩きました。
ですから、脚力にも自信があったのです。
この4月の右足損傷さえなければ・・・。
整形外科で、半月盤損傷と診断され、
「もう直りません。でも筋肉は落としてはだめ」
っていわれました。

これって無理して歩けってことですよね。
ですから、車を貸すのもOKして、歩いたのです。
女性は16分といいましたけれど、
もっとかかる道のりでした。

6月なのにこの住宅街の空気は澄んで、さわやか。
木々に囲まれた山手だけのことはあります。
事務所に戻ったときの蒸し暑さとは別天地。
車も人通りもなく、不思議な街でしたけれど。

今年も「反核ウォーキング」からお誘いがありました2009/06/15

電話をいただいて、8月の空を思い出しました
抜けるような青空と溶け合う琵琶湖。
去年の八月の写真です。

その八月の話。

「BIN★さんですか?お久しぶりです」とHさん、
「新聞に平和ハイキングのことが載っていましたね」
「ええ」
「8月6日に時間を空けてもらえますか?」
「なんでしょうか?」
「去年もやった反核ウォーキングなんですが、
今年もやるつもりです。」
「なるほど」
「去年は、Tさんといっしょに案内してもらいましたね」
「ええ」
「Tさんが体調がよくないので、今年も参加して
戦跡を案内してほしいのです」
「どういうコースですか?」
「唐崎を出発して、皇子が丘までです」
「時間は?」
「午後2時から4時までの予定です」
「何曜日でしたっけ?」
「木曜日です」
「じゃあ、なんとかなると思います」

この8月6日(9日)は特別の日です。

しかも、「核のない世界」オバマ演説の直後。
核保有国が真剣に廃絶にすすめるかどうかの
分岐となる重要な年です。
息子のK君は「原水禁大会に行くつもり」
「えぇ~そうなん」と私が言うと、
同じくH君も「受験のための日程がなければ」と
言っています。
「おまえたち、歴史的な大会に親を置いて行くのか!」
と思いましたけれど、未来は次の世代に託すべきもの。

ともかく、私は大会に行くことをあきらめて、
離れたこの琵琶湖岸の街で、
自分の力と創意でできることをしようと思うのです。

ところで、反核ウォーキングですが、
反核と戦跡・・・一緒であるような、ないような。
主催者の意図は、反核の思いを込めて、
戦跡をめぐるってことなんでしょうね。

真夏の太陽に焼ける日を思いながら、
プログラムをつくる楽しみができました。

去年の反核ウォーキングの日記は→ここをクリック。

忘れてほしい・・・2009/06/15

勿忘草(忘れな草)
カミさんとドライブに行くときは、
運転はカミさんがするのです。
「他人の運転は酔う」っていうのがその理由。

日曜日も二人で早朝に出かけました。

「ねぇ、練習する?」とカミさん。
「ん??」と私。
「このスピードで飛び降りるの」
先日無理矢理車から降りたことを
まだ怒っているのでした。

「そのときはゴメンナサイ」と
言えばすむのでしょうけれど、
迷惑そうに笑っている私です。

これが事態をさらに悪化させます。

「ねえ、ヤクルトのビン」
「それがなに?」
「それで○○美(妹)さんをたたいたってほんと?」
「一度だけね(たぶん中学生の頃)」
「ひつこく言うと私もたたく?」
「たたかないよ」
車は快調に巡航速度。
「ねぇ、ここで降りてみる?」


忘れてほしい・・・・両方とも。

こんなブログいいんじゃない:『鍾馗を尋ねて三千里』2009/06/16

あるとき、ある偶然で、ブログ『鍾馗を尋ねて三千里』に出会いました。

ここをクリック。

このわかりやすさに感動。

だって、ひたすら
屋根の上の瓦の鍾馗像を探すという内容。

すごい!と思いませんか。

鍾馗、鍾馗、鍾馗・・・ですよ!
ご本人がおっしゃるとおり、
マニアック度満開!

タイトルも思いがこもってて泣かせます。

こんな紹介ですが、怒ってらっしゃらないなら、
管理人さん、ぜひ、コメントくださいね。

「JRアパート」が消えて2009/06/16

JR(旧国鉄)アパートの取り壊しが始まる
梅雨入りというのに、雨がふらない。
乾燥した空気を通して、工事の音が響く。

「とうとう取り壊すんですね」
ヘルメットをかぶって工事を見守る人に
私は話しかける。
「20年も30年もほっぽりだしやったさかいね」
という返事。

国鉄分割民営化は1987年のこと。
その前後の事情を刻んだアパートが消えようとしている。



私はこのアパートの窓からたくさんの
洗濯物が風に揺れていたことを覚えている。
近くで繰り返し見るようになったのは、2006年。
私の仕事場がこの近くに引っ越してきたためだ。
そのときには、もはや人の姿はなかった。

無関心に通り過ぎる人々。
必ずやってくるこの日。

2007年に数枚の写真を撮った。
二度と撮ることができないことが、
私をセンチメンタルにしている。



この建物は、JRアパート。
しかし、市民の間では、
それ以前の名前で呼ばれていた。
「国鉄アパート」と。



そのエンブレムを見つけたとき、
素直な疑問がわいた。
「なぜ、残しておいたのだろうか?」と。

もっと不思議だったのは、壊れた掲示板。
ここで読むことのできる文章に、
私は、歴史の証人としての値打ちを感じたのだ。



だが、もうそれもない。

監督している人が言ったように、
巨額の負債をかかえているなか、
無駄に遊ばせている建物がようやく、
有用に使われることへの安堵感。
それが、ふつうの反応ということになるのだろう。

このネコの種類・・・教えてください2009/06/16

このネコの種類・・・教えてください
ネコのことで教えていただきたいのです。

事務所の近くの団地のなかを行き来しているネコさんが何匹かいます。

不思議なことに、どのネコも雑種っぽくないのです。
もしかしたら、外国産?

上のネコはそのなかでも、とくに目をひきます。

顔が人間みたいです。
それに、シッポが異常に太いのです。キツネみたい。
全身が短い毛と長い毛の両方に包まれているように見えます。

このネコの種類ってわかりますか?

Fさん、またお会いしましたね2009/06/16

Fさん、こんばんは。
二日連続してお目にかかりますね。
昨日はお宅のご近所で、今日は、私の事務所で。

ボランティアでデータ入力してらっしゃいましたが、
だいたい終わったみたいですね。
もう一年近くになるでしょうか。
仕事場から帰宅途中に立ち寄っては、
PCを借りて作業をされていましたね。
ときどき、静かだなぁと思ったら、
スヤスヤお休みの様子。
また、よく、差し入れをいただきました。
ありがとうございます。
金柑の砂糖漬けとか、コロッケとか。

日曜日にお話したとき、
はじめて、息子さんのことを聞きました。
自給700円ぐらいで、しかも、交通費を
もちだしでのアルバイト。
それを聞いたFさんのお友達が
憤懣の声を挙げていました。
でも、Fさんはニコニコ、困ったように笑っていましたね。
そのことが心にひっかかっていたんです。

それで、今日。
そのお話のつづきをお聞きました。
大学を卒業したての方なんですね。
農業に関心があって、
そういう家のアルバイトを選んだ。
相手方も、交通費なんて出せない経営状態とか。
それでも、やろうと決めた。
本人が決めた以上は、見守ろうということでした。
「いろいろあったんです」とまたニコニコ。
「食費だけ出す約束でした。でも、
はじめての給料をもらって帰ってきたとき、
金額をきいて、出しなさいというのがとても辛かった。」
母親の素顔が見えたFさんでした。
私は、とても、胸が痛みました。

「自宅から通っている間はなんとかなりますけど、
家庭をもつとこれでは大変。」とまたニコニコ。

私は、Fさんのよう笑うことはできませんでした。
もう個人の努力でなんとかなるというときでは
ないのですね。
なんとかなるじゃなくて、なんとかしなくちゃ・・・。

Fさん、お話ありがとうございます。
今度、息子さんと出会えたらいいなと思いました。
よろしくお伝えください。

では、失礼します。

BIN★

桐野夏生 『ローズガーデン』2009/06/17

桐野夏生 『ローズガーデン』
桐野夏生『ローズガーデン』

『ダーク』のヒロイン・村野ミロが、
高校生として登場する。
ミロのライフパズルが埋まっていく・・・。

いろんな登場人物が、
女性であれ、男性であれ、
私自身のなかに、生きて存在しているのを
確認しないわけにはゆかなかった。

そういう旅への誘い。
案内人としての村野ミロ
そして、桐野夏生。

文庫本は、4つの短編からなる。
○ローズガーデン
○漂う魂
○独りにしないで
○愛のトンネル
読みやすくはあった。

冒頭の『ローズガーデン』が
圧倒的な存在感を見せている。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)