お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

平良夏芽さんへのメッセージ2007/06/09

平良夏芽さんへ

はじめまして、ついさっきあなたの講演を収録した
ビデオを見せていただきました。
見た以上は、感想を書きたいと思いました。
でも、感想では思いが通じないと思い、あなたへの
直接のメッセージという形で書いてみたいと思います。

これを読んでいただけるかどうか、わかりません。
でも、こういう形で書くことが・・・うまくいえませんが、
あなたの講演をきいた者として、よりふさわしいように
思うのです。

琉球朝日放送が制作したドキュメンタリー「海にすわる」を
昨日見ることができました。
そのため、あなたが講演で述べておられるたたかいの姿を
少しばかりはリアルに思い浮かべることができたと思います。

体を張った行動、そして非暴力・・・言うは簡単ですが、
激しく執拗な防衛施設庁の攻勢のもとで、貫かれた姿に
驚くほかはありませんでした。
長期にわたる先の見えないたたかいによる消耗や疲労は、
肉体だけではなく、心をすさませるにちがいありません。

相手への憎しみはもちろんのこと、
なかなか立ち上がってくれない(私をふくめて)
周囲の人々へのいらだち。

運動は、人を信じるということが
試練に出会うときでもあるからです。

あなたは「殺意とのたたかい」と表現されていましたが、
それを克服して、非暴力をつらぬかれたことに
私は感嘆しつづけました。

あなたの穏やかな話ぶりは、そういう試練を乗り越えたきた
からことのものだと感じました。

沖縄が加害責任をもつというお話は、頭では理解できます。
しかし、それを自分の胸に落とすことは別問題です。
ベトナムで、イラクで、胸を刺す言葉をうけとめることにも、
また別の試練があるように思います。

いずれにしても、あなたとあなたの周りでがんばって
こられたみなさんにエールをおくります。

同時に、すべての人々が果敢にたたかいぬけるわけではありません。
たとえば、この私にしても、すぐさまかけつけることはできません。
そういう立場をあなたがよく理解されていて、
いろんな人が自分でできる行為で支援することを、
穏やかにアピールされています。

そこで、私も心やすらかに思うことができました。
少しは海に潜れるようにしておこうと。

「あなた」という呼びかけは失礼かと思いましたが、
他にいい言葉が見つかりませんでしたので、お許しください。

私は、私の島(本州といわれていますが)で、
戦争に加担する国でありつづけないように
がんばりたいと思います。

2007年6月9日    BIN★より

コメント

_ 平良夏芽 ― 2007年06月11日 14時33分16秒

ブログを読ませていただきました。
 辺野古は昨日から、また襲われています。現在、カヌー隊は7艇で6カ所を阻止し続けています。この意味が分かるでしょうか。広い海の上でたった一人で10時間以上もその場に居続けるという闘いです。アンカーでカヌーを固定できる場合は、楽です。しかし、それが困難な場所では何時間も風上に向かってこぎ続けなければならないのです。
 この力は、どこからくるのか。これ以上、加害者になりたいくないという決意。さらに、全国、全世界に仲間がいるという信念。
 私たちは、物資でも人数でも防衛省にはかないません。ただ信念だけは誰にも負けないつもりです。
 私たちにも多くの欠点、弱点があります。しかし、BIN★さんのように見守っていて下さる方が必ずいるということが、私たちに自浄作用を起こし、常に反省し、体制を整え、そして行動へと押し出していくのです。
 メッセージありがとうございました。本当に力づけられました。

_ BIN★ ― 2007年06月12日 14時57分59秒

平良夏芽さんへ
コメントありがとうございます。
日記に、直接答えていただきうれしく思います。
皆さん方が毎日たたかっておられることをいつも思い浮かべながら、
自分で、できることはしたいと思っています。
おはなしの中で、加害責任について語っておられましたね。
それは、とても胸にこたえるお話でした。
私の近隣にも、米軍との共同演習基地があります。
西日本最大の演習基地=あいば野です。
私は、そこに都市型訓練施設ができたときに、
視察団に加えてもらいました。
そして、その危険性をあらためて、認識していました。
しかし、それをいろんな方に語ったり、
運動を広げることについては、あまりに微力でした。
加害責任という言葉で、心に浮かんだのはこの基地のことでした。
あらためてこの施設に向かい、その危険性と
反対の意思表示をささやかですが、ブログでさせていただきました。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/12/1574956

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/09/1567352/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。


                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)