お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
超大型ショッピングセンター接近中!Ⅳ開発と計画の逆転か? ― 2007/06/13
なにごとも決め付けは禁物です。
それでも、チェックポイントを決めて、
検証していくのは大切なことです。
矢作弘さんの『大型店とまちづくり』(2005年7月 岩波新書)を
走り読みしながら、検証してみることにしました。
・・・書きながら考えているので、長くなってしまいます。
興味のある方はよろしく。
●開発と計画の逆転 (195㌻以降参照)
《都市間開発競争を賞賛する世界では、開発と計画の逆転が強行される。》
という指摘がされます。
まず、本来の姿はどうか?
都市計画があって、それにしたがって開発するってことですね。
《開発と計画は、「まず、計画ありき」が原則である。計画があり、その計画に開発を落とし込む。開発を計画に従わせるのである。それが開発と計画の、健全にして本来的な関係である。》
それはどうでしょうね。
それがどう曲げられるのか?
《開発を優先するために、すなわち都市間競争に勝利するために、計画をッ変更することが行われる。開発のご機嫌を伺い、開発の都合のよいように計画を塗り替えるのである。》
なるほど。
具体的には、
《都市計画法の、本来、都市的開発を厳しく抑制されている市街地調整区域を市街化区域に編入し、大型店を誘致したり、出店を認めたりすることが広く行われている。計画を開発に隷属させる事例である。その結果が地方都市郊外の、ロードサイド風景の醜悪なる混乱であり、中心市街地の衰退である・・・》
●イオン・モールの場合はどうか?
上の写真は、平成18年11月15日の草津市都市計画審議会に提出された文書の表ですね。
「議第1号 大津湖南都市計画用途地域の変更について」(草津市決定)
要するに、イオン・モールが計画している地域について、市街化調整地域をやめるってことです。
●どんな理由づけかな?
理由書は、次の文章ですね。
《当地域は、昭和52年に土地区画整理事業を前提とし、市街化区域に編入し、まちづくりの合意形成に努めたが、一部地権者の不同意により事業を断念し、昭和59年にやむなく市街化調整区域に逆編入した経緯がある地域である》
要するに地権者(住民)の反対で、開発をあきらめたってことなんでしょうか? づつきを見ると
《その際、地元の土地利用に対する意欲は依然根強かったことから、計画の熟度が高まった時点で、円滑に市街化地域に再編入することが可能となるよう、それまでの間は乱開発を抑制するために、暫定的に規制的な用途を残存させたものである。》
負け惜しみっぽい表現は、今回の用途変更がイオン・モールの都合だけではないって風に聞こえます。規制は乱開発の抑制にあるとうのは、正しいにしても。
●道路公社のアクセス道路計画が呼び水に
ここからが本論かな。
《平成16年に入り、滋賀県道路公社の近江大橋東詰めアクセス道路が計画され、地元まちづくり委員会において道路事業と併行して土地区画整理事業を実施しようとする気運が再燃したが》
この道路は、もともと渋滞緩和が目的ではなかったのだろうか?
・・・たしかそう聞いた気がするのだけれど。
要するに、道路公団が税金で道路をつくってくれるから、開発に使おうってことなんでしょうね。
《地元地権者として土地区画整理事業後の土地活用に対するノウハウが見出せられないため、当協議の最中急浮上した大型商業施設(イオンモール)の事業展開に協力し、土地活用する方向付けが出たことから用途を廃止し、必要部分のみ商業地域としての展開を図っていくものである》
まあ、流れはわかりました。
道路計画が呼び水となったことですね。
地理的にも、税金で造られる道路とイオンモールの関係は、重大な争点になると思います。
それは、別の日記で検証してみます。
それでも、チェックポイントを決めて、
検証していくのは大切なことです。
矢作弘さんの『大型店とまちづくり』(2005年7月 岩波新書)を
走り読みしながら、検証してみることにしました。
・・・書きながら考えているので、長くなってしまいます。
興味のある方はよろしく。
●開発と計画の逆転 (195㌻以降参照)
《都市間開発競争を賞賛する世界では、開発と計画の逆転が強行される。》
という指摘がされます。
まず、本来の姿はどうか?
都市計画があって、それにしたがって開発するってことですね。
《開発と計画は、「まず、計画ありき」が原則である。計画があり、その計画に開発を落とし込む。開発を計画に従わせるのである。それが開発と計画の、健全にして本来的な関係である。》
それはどうでしょうね。
それがどう曲げられるのか?
《開発を優先するために、すなわち都市間競争に勝利するために、計画をッ変更することが行われる。開発のご機嫌を伺い、開発の都合のよいように計画を塗り替えるのである。》
なるほど。
具体的には、
《都市計画法の、本来、都市的開発を厳しく抑制されている市街地調整区域を市街化区域に編入し、大型店を誘致したり、出店を認めたりすることが広く行われている。計画を開発に隷属させる事例である。その結果が地方都市郊外の、ロードサイド風景の醜悪なる混乱であり、中心市街地の衰退である・・・》
●イオン・モールの場合はどうか?
上の写真は、平成18年11月15日の草津市都市計画審議会に提出された文書の表ですね。
「議第1号 大津湖南都市計画用途地域の変更について」(草津市決定)
要するに、イオン・モールが計画している地域について、市街化調整地域をやめるってことです。
●どんな理由づけかな?
理由書は、次の文章ですね。
《当地域は、昭和52年に土地区画整理事業を前提とし、市街化区域に編入し、まちづくりの合意形成に努めたが、一部地権者の不同意により事業を断念し、昭和59年にやむなく市街化調整区域に逆編入した経緯がある地域である》
要するに地権者(住民)の反対で、開発をあきらめたってことなんでしょうか? づつきを見ると
《その際、地元の土地利用に対する意欲は依然根強かったことから、計画の熟度が高まった時点で、円滑に市街化地域に再編入することが可能となるよう、それまでの間は乱開発を抑制するために、暫定的に規制的な用途を残存させたものである。》
負け惜しみっぽい表現は、今回の用途変更がイオン・モールの都合だけではないって風に聞こえます。規制は乱開発の抑制にあるとうのは、正しいにしても。
●道路公社のアクセス道路計画が呼び水に
ここからが本論かな。
《平成16年に入り、滋賀県道路公社の近江大橋東詰めアクセス道路が計画され、地元まちづくり委員会において道路事業と併行して土地区画整理事業を実施しようとする気運が再燃したが》
この道路は、もともと渋滞緩和が目的ではなかったのだろうか?
・・・たしかそう聞いた気がするのだけれど。
要するに、道路公団が税金で道路をつくってくれるから、開発に使おうってことなんでしょうね。
《地元地権者として土地区画整理事業後の土地活用に対するノウハウが見出せられないため、当協議の最中急浮上した大型商業施設(イオンモール)の事業展開に協力し、土地活用する方向付けが出たことから用途を廃止し、必要部分のみ商業地域としての展開を図っていくものである》
まあ、流れはわかりました。
道路計画が呼び水となったことですね。
地理的にも、税金で造られる道路とイオンモールの関係は、重大な争点になると思います。
それは、別の日記で検証してみます。
コメント
_ けんちゃん ― 2007年06月14日 20時08分08秒
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_ 竹本ブログ - 2007年06月14日 16時18分13秒
滋賀県(しがけん)は、日本の県の一つで、近畿地方の北東部に位置する
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
イオン周辺の土地評価があがるからですね。固定資産税収入は増える。一方中心市街地が寂れるから土地の価値は下がります。
市役所の収入はそれほど変わらないからですね。
市街化調整区域は田畑のある地域です。今頃はカエルが鳴いています。それを埋め立て環境を破壊し、化石燃料で走る車を大量に集めるイオン。
しかも強大な店舗では空調で莫大なエネルギーを消費しています。イオンが環境にどうしてやさしいのでしょうか。
レジ袋を辞めてもイオンは腹が痛みません。むしろ経費が削減されて喜んでいます。被害者はレジ袋メーカーですね。
これ以上市街化調整区域をつぶさないようにしませんと。