
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
崩れる地域 : ダイエーの撤退③ ― 2007/06/16

閉鎖されていいるダイエー堅田店
この写真は、裏口・・? こっちが正面かも知れませんね。
要するに山手の入り口です。
立ち入りできないように、周囲に、
フェンスが張られています。
遠めにはりっぱなままだけれど、
荒れたままになったゴーストビルです。
***************日経ネット関西版の記事から********************
【2006年2月4日】
ダイエーの閉鎖12店、後継決定は3分の1──郊外大型店は難航(2月4日)
昨年8月末に閉店した旧ダイエー香里店(大阪府寝屋川市)
経営再建中のダイエーが昨年8月末に全国の不採算店舗のリストラに着手してほぼ半年。閉鎖した近畿の12店のうち、店舗跡地の後継テナントや利用方法が決まったのは4店にとどまっている。小規模店舗の後継が早く決まる傾向がある一方、他店との競争が激しい郊外型の大規模店や老朽化店舗では難航している。
後継店が決まった店舗はいずれも好立地で、食品スーパーの出店が目立つ。ライフコーポレーションなど12店が昨年12月に開業した大和高田店跡(奈良県大和高田市)の大型商業施設は近鉄大和高田駅と歩道橋でつながる。店舗スペースを小口に分割してテナントを誘致した。「駅前の好立地で食品スーパーなら十分採算が合う」(ライフ)という。
上新庄店跡(大阪市)もスペースを分割し、地下1階に光洋(同)が食品スーパーを開業した。大近(同)が運営する高級食品スーパー「パントリー」が2月下旬に出店するグルメシティ六甲道駅前店跡(神戸市)も交通の便が良く小規模店だったことが出店を促した。
<跡地利用に時間>
跡地の利用計画が動き始めたところもあるが、全体が完成するまでには時間がかかる見通し。昨年8月末に閉鎖したダイエー香里店(大阪府寝屋川市)は、東急不動産など3社が共同で旧店舗の土地建物を持つ第一生命から店舗跡地を購入した。
敷地の半分では老朽化した建物を取り壊し、マンションと店舗からなる24階建ての高層ビルを建設する構想だが、残る半分の駐車場部分を含めて具体的な計画は未定だ。「集客力のある施設ならスーパーにこだわらない」と地元商店街は期待を寄せるが、周辺住民には高層ビル建設に反発する声も出ている。
明石店跡(兵庫県明石市)の賃貸ビルの一部にジュンク堂書店(神戸市)が入居するが、大半のスペースは後継テナントが未定だ。明石市は出店者への家賃助成補助などで後継店舗の誘致を目指しているものの、今のところジュンク堂に続く出店表明はない。
<老朽化も壁に>
郊外の大型店の後継テナントは苦戦している。昨年11月に閉店したダイエー堅田店(大津市)の跡地利用はまだ決まっていない。ダイエーは「今後の活用策についてグループ会社と様々な角度から検討しているが、現在は全く未定」(IR・広報室)という。
国道を隔ててはす向かいに昨年12月、イズミヤの売り場面積1万5000平方メートルのスーパーセンターがオープンするなど競争が激しい。地元商工会では「再びスーパーを開店するのは難しいのではないか」とみている。
ダイエーの閉鎖店舗が6店と都道府県別で最も多かった兵庫県もハーバーランド店(神戸市)など、大規模な店舗ほど後継決定の遅れが目立つ。
立地条件はいいが、駐車場が少なく老朽化している店舗も後継店が決まらない。JR奈良駅前から近鉄奈良駅前方面に続く中心商店街の入り口にある旧ダイエー奈良店跡地ビルは築30年以上で、駐車場も離れた場所にある。
政府が通常国会に提出する「まちづくり三法」改正案には、郊外の開発抑制のほか、中心市街地の空き店舗に大型店が出店する際の手続き緩和などが盛り込まれる見通し。地元商店街では「後継店が入りやすくなる」と期待している。
この写真は、裏口・・? こっちが正面かも知れませんね。
要するに山手の入り口です。
立ち入りできないように、周囲に、
フェンスが張られています。
遠めにはりっぱなままだけれど、
荒れたままになったゴーストビルです。
***************日経ネット関西版の記事から********************
【2006年2月4日】
ダイエーの閉鎖12店、後継決定は3分の1──郊外大型店は難航(2月4日)
昨年8月末に閉店した旧ダイエー香里店(大阪府寝屋川市)
経営再建中のダイエーが昨年8月末に全国の不採算店舗のリストラに着手してほぼ半年。閉鎖した近畿の12店のうち、店舗跡地の後継テナントや利用方法が決まったのは4店にとどまっている。小規模店舗の後継が早く決まる傾向がある一方、他店との競争が激しい郊外型の大規模店や老朽化店舗では難航している。
後継店が決まった店舗はいずれも好立地で、食品スーパーの出店が目立つ。ライフコーポレーションなど12店が昨年12月に開業した大和高田店跡(奈良県大和高田市)の大型商業施設は近鉄大和高田駅と歩道橋でつながる。店舗スペースを小口に分割してテナントを誘致した。「駅前の好立地で食品スーパーなら十分採算が合う」(ライフ)という。
上新庄店跡(大阪市)もスペースを分割し、地下1階に光洋(同)が食品スーパーを開業した。大近(同)が運営する高級食品スーパー「パントリー」が2月下旬に出店するグルメシティ六甲道駅前店跡(神戸市)も交通の便が良く小規模店だったことが出店を促した。
<跡地利用に時間>
跡地の利用計画が動き始めたところもあるが、全体が完成するまでには時間がかかる見通し。昨年8月末に閉鎖したダイエー香里店(大阪府寝屋川市)は、東急不動産など3社が共同で旧店舗の土地建物を持つ第一生命から店舗跡地を購入した。
敷地の半分では老朽化した建物を取り壊し、マンションと店舗からなる24階建ての高層ビルを建設する構想だが、残る半分の駐車場部分を含めて具体的な計画は未定だ。「集客力のある施設ならスーパーにこだわらない」と地元商店街は期待を寄せるが、周辺住民には高層ビル建設に反発する声も出ている。
明石店跡(兵庫県明石市)の賃貸ビルの一部にジュンク堂書店(神戸市)が入居するが、大半のスペースは後継テナントが未定だ。明石市は出店者への家賃助成補助などで後継店舗の誘致を目指しているものの、今のところジュンク堂に続く出店表明はない。
<老朽化も壁に>
郊外の大型店の後継テナントは苦戦している。昨年11月に閉店したダイエー堅田店(大津市)の跡地利用はまだ決まっていない。ダイエーは「今後の活用策についてグループ会社と様々な角度から検討しているが、現在は全く未定」(IR・広報室)という。
国道を隔ててはす向かいに昨年12月、イズミヤの売り場面積1万5000平方メートルのスーパーセンターがオープンするなど競争が激しい。地元商工会では「再びスーパーを開店するのは難しいのではないか」とみている。
ダイエーの閉鎖店舗が6店と都道府県別で最も多かった兵庫県もハーバーランド店(神戸市)など、大規模な店舗ほど後継決定の遅れが目立つ。
立地条件はいいが、駐車場が少なく老朽化している店舗も後継店が決まらない。JR奈良駅前から近鉄奈良駅前方面に続く中心商店街の入り口にある旧ダイエー奈良店跡地ビルは築30年以上で、駐車場も離れた場所にある。
政府が通常国会に提出する「まちづくり三法」改正案には、郊外の開発抑制のほか、中心市街地の空き店舗に大型店が出店する際の手続き緩和などが盛り込まれる見通し。地元商店街では「後継店が入りやすくなる」と期待している。
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/16/1583409/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。