お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


Google
WWW を検索 このブログ内を検索

「イオンの出店反対」の旗にこめられた思いを考えました2007/06/17

●巨大な力の壁

滋賀県草津市新浜に計画されている巨大な「イオン・モール」
草津市は、市街地調整区域の指定をはずして、
開発許可を出しています。

草津市も、滋賀県も、どのような表現をしようと容認の構えです。
市議会でも、県議会でも、「反対」の声はあがりました。
しかし、それは少数派。
圧倒的な多数で出店は認められていきます。

もちろん、出店に期待する声はあるし、それがあるからこそ
計画が進んでいるともいえます。

「イオン・モール」は、草津市に立地しますが、
大津市と道路をはさんで接している地域です。
影響をうける大津市が口をはさめない仕組みになっている
・・・少なくとも、11月末までは・・・という点が重大な問題なのです。

●立ち向かう力はどうして生まれるのか

原則「出店自由」の街づくり三法に対して、規制を強化した
改正が実施されるまえに、「かけこみ出店」するイオンの動きは、
非難されていいと思います。

「おかしい」と思うことと、「反対」という意思表示の間には、
距離があると思います。
大津市内の街角で、「反対」の旗がはためく場所は、
ほとんどないのが現状です。
では、どうして、この場所だけ、はっきりとした意思表示が
されているのでしょうか?

私は、それを知りたいと思いました。

あまり正確ではない話かも知れませんが、
私が知りえた話は以下のようなものです。

街から歩いて買い物できる
なじみのスーパーがなくなる危機が生まれていました。
それは、そのお店だけの問題ではないはず。
近くの地域の人たちとともに、それを
きっかけに街づくりを考える会がはじまったそうです。
店主さん、従業員さん、近くの人たちが共同しての
努力もはじまりました。
それなりに前進が生まれたときに、
飛び込んできたのが
超大型の「イオン・モール」出店計画です。

これまでの努力をすべて無にするような重大な事件です。

それだからこそ、「街をさびれさせるイオンの出店に反対!!」
という旗がかかげられたのです。

●街がさびれるという意味

街がさびれる・・・・、とくに高齢者が歩いて気軽に
買い物ができる商店街がなくなっていくことは、
たいへんなことなのです。
自家用車をもつ世代にとっては、不便でもないでしょうけれど、
考えてみれば、地球温暖化が問題なときに、
買い物という日常の行為に、車を30分間以上使うというのは、
環境への負荷が大きすぎるはず。
若い世代にとっても、未来の世代にとっても、
車を使わないですむことなら、そのほうがいいのです。

コメント

_ けんちゃん ― 2007年06月17日 18時45分48秒

 新幹線の駅をやめさせようと知事になられ知事さんはどうなのでしょうか?イオンは地域の商店街を踏み潰して成長してきたスーパーです。

 本当に商店街がなくなれば不便です。巨大な駐車場。巨大な人工空間。空調の消費電力と水の浪費。環境面でも社会面でも「迷惑施設」なのですから。

 高齢者の行動半径は小学校校区です。そのなかに商店があれば自立できます。車社会は高齢社会になじみません。とても難しい社会問題です。

_ BIN★ ― 2007年06月17日 19時18分01秒

コメントありがとうございます。
イオン・モール計画は、06年10月に浮上し、その年の12月議会から議論されているはずです。議事録をどこかにアップしてみます。
新幹線新駅については、県議選での自民党大敗北の結果、「凍結」はほぼ実現します。ダムも、マニフェストでは「凍結」となっていましたが、突然「推進」に方向転換発言が飛び出し議論を呼んでいます。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/17/1584622/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

_ けんちゃんの吠えるウォッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト - 2007年06月17日 18時47分18秒

 高知市ではNHK大河ドラマ「功名が辻」にちなんで「見世物小屋」を高知城下の丸

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)