
お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
タルコフスキー『ノスタルジア』 ― 2007/06/09
言葉を並べてみても、
この映画が心に残る理由を説明したことにはなりません。
連想する小説があるとすれば、
ガルシンの『赤い花』です。
二人の登場人物の狂気・・・しかし、それははたして狂気か。
日常に半ば埋もれている私には、
それを裁く力があるとは思えないからです。
●DVDジャケットも興味深い
ところで、日本で発売されているリマスター版のジャケットは上の写真。
詩人アンドレイ・ゴルチャコフ(俳優=オレーグ・ヤンコフスキー)を
メインにおいています。
しかし、世界で売られているDVDのジャケットには
当然ながら、何種類かがあり、興味深いのです。
ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)を中心にしたもの、
エウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)を中心にしたものなど。
つまり、この映画の何が中心と考えているかが、
わかるような気がします。
************** 参考に **************
アンドレイ・タルコフスキー映画祭のサイト
(生誕70周年記念)
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/index.html
この映画祭は、2002年に行われました。
そのサイトがそのままあります。
ノスタルジアの部分は以下のとおり。
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/nstlg.html
[スタッフ]
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、ト二一ノ・グエッラ/撮影監督:ジュゼッペ・ランチ/カメラマン:ジュゼッペ・デ・ビアージ/録音:レモ・ウゴリネッリ/美術監督:アンドレア・クリザンティ/装置:マウロ・バッシ/メークアップ:ジュリオ・マストラントニオ/ヘアー・ドレッサー:ヨーレ・チェッキーニ/衣裳:リーナ・ネルリ・タヴィアーニ/音楽:ベートーヴェン<交響曲第9番>、ヴェルディ<レクイエム>、他/音楽協カ:ジーノ・ペグーリ/音響効果:マッシモ&ルチア一ノ・アンゼロッティ/編集:エルミニア・マラーユ、アメデオ・サルファ/スクリプト:イルデ・ムーショ/助監督:ノルマン・モッツアート/ラリッサ・タルコフスキー/スチル:プルーノ・ブルーニ/製作主任:フランチェスコ・カザーティ/製作:レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ポロニー二
[キャスト]
アンドレイ・ゴルチャコフ:オレーグ・ヤンコフスキー、ドメニコ:エルランド・ヨセフソン、エウジュニア:ドミツィアナ・ジョルダーノ、ゴルチャコフの妻:パトリツィア・テレーノ、髪に夕オルを巻いた女:ラウラ・デ・マルキ、ドメニコの妻:デリア・ボッカルド、清掃婦:ミレナ・ヴコティッチ
1983年/RAI(イタリア)、オペラ・フィルム(フランス、イタリア)、ソヴィン・フィルム(ソ連)製作/長編劇映画/35mm/ヴィスタサイズ/カラー/126分
1983年 カンヌ国際映画祭・創造大賞
配給:ザジフィルムズ、協力:パイオニアLDC/日本公開:1987年
[解説]
ソ連の天才映画作家アンドレイ・タルコフスキーの長篇第6作『ノスタルジア』は、タルコフスキーがはじめてソ連国外でつくった映画である。83年カンヌ映画祭にイタリアから出品して、グランプリと同格の<創造大賞>を受賞、同時に、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞を受賞し、英国のインターナショナル・フィルム・ガイド誌は、83年度のすべての国のベストワン作品に選んでいる。
水と、光と、霧と、闇と、火の、タルコフスキー独特の詩的宇宙が、『ノスタルジア』では、従来のカラー作品の深く渋い色彩美にイタリア撮影技術の艶と鮮かさを加えて映像美の極致に達したといえよう。
『ノスタルジア』(原題はロシア語をアルファベット表記してNOSTALGHIA)は、ロシア人がソ連国内を旅行した時には感じないが、ひとたび外国に旅行すると必ず強く襲いかかる感情で、死に至る病いに近いとさえ言える独特のものだとタルコフスキーは言う。『惑星ソラリス』や『鏡』『ストーカー』で登場したテーマを、イタリアに旅行したロシア人の愛の物語としてさらに発展させようというもので、タルコフスキーがトニーノ・グエッラと想をねりはじめたのは『ストーカー』カンヌ出品の直後だった。
製作準備は3年半。ソ連映画の合作公団ソヴィン・フィルムの協力、フランスの大手ゴーモンのイタリアでの製作会杜オペラ・フィルムを母体に、ロベルト・ロッセリー二の息子レンツォ・ロッセリーニとマノロ・ポロニーニが製作、イタリアの国営放送RAIが映画製作レベルで全額出資という、実質的には国際的合作のスケールをもつイタリア映画として撮影に入ったのが82年の9月だった。トスカーナ地方を中心にタルコフスキーが選びぬいた撮影場所は、新鮮な美しさで、くまなくイタリアを知っていたはずのスタッフを驚かせ、タルコフスキー本人も、故郷と設定されるシーン、とりわけラストの廃虚の撮影場所をトスカーナに発見して驚いたという。
脚本のトニーノ・グエッラ(フィルモグラフィー及ぴインタビュー参照)は詩人で小説家。アントニオーニやフェリーニ、ロ一ジ作品で知られるイタリア最高の脚本家。『ノスタルジア』では、クレジットは脚本だけだが、実際にはタルコフスキーの助言者として完成までたずさわった。主人公アンドレイが読む詩は監督の父である詩人アルセニー・タルコフスキーの作品。撮影のジュゼッペ・ランチはマルコ・ベロッキオ監督『虚無への跳躍』ほかで注目される。音楽はヴェルディの<レクイエム>とロシア民俗音楽OI VI KUMSCIKIをテーマに、べートーヴェンの<第9交響曲>が印象的に使われている。
アンドレイは『鏡』で父親を演じたモスクワドラマ劇場のオレーグ・ヤンコフスキー。ドメニコにはベルイマン映画で知られるエルランド・ヨセフソン。ヒロインのエウジェニアには、スポレート演劇祭での演技がタルコフスキーに認められこの作品がデビューのドミツィアナ・ジョルダーノ。ボッティチの面からぬけでてきたような美しさとカンヌ映画祭で人気を集めた。広場の清掃婦役で登場するのは、ブニュエル映画でおなじみのユーゴスラヴィア出身のミレナ・ヴコティッチ。なお、タルコフスキーは『ノスタルジア』完成後も故郷には戻ることはなかった。
[ストーリー]
イタリア中部トスカーナ地方。朝霧がけむる風景のなかに男と女が到着する。男はモスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ。女は通訳のエウジェニア。ふたりは、18世紀にイタリアを放浪し、故国に帰れば奴隷になると知りつつ帰国して自殺したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追って旅をつづけてきたが、旅もすでに終りに近かった。
古都シエナ南東の村まではるばる来たのは、アンドレイがマドンナ・デル・パルトの聖母画を見たがっていたからだが、アンドレイは車に残り、エウジェニアひとり、教会を訪れる。ピエロ・デラ・フランチェスカが描いた出産の聖母像に敬虔に祈りを捧げる女たちと、跪こうとしても跪けないエウジェニア。
村の広場の温泉で知られる、バーニョ・ヴィニョーニの宿屋で、女主人が起きてくるのを待ちながら、アルセニイ・タルコフスキーの詩集をイタリア語訳で読んでいるというエウジェニアに、アンドレイは「詩は翻択できるものではない、すべての芸術も」という。どうすれば私達は理解しあえるのと問う彼女に、アンドレイは事もなげに答える。「国境をなくせばいい」と。
アンドレイの夢に故郷があらわれる。なだらかな丘の小さな家。木々と1本の電柱。妻とふたりの子供。白い馬とシェパード犬、そしてタ陽。
シエナの聖カテリーナさえ訪れたとされる広場の温泉に、今は、退役将軍ほか数人の湯治客が朝からよもやま話に花さかせながらつかっている。話のおちつく先はたいてい、ドメニコだ。世界の終末が訪れたと信じて家族ぐるみ7年間もあばら家にとじこもったために狂人と呼ばれ、聖カテリーナと言葉をかわしたと言って狂信者と噂されるドメニコが、その朝はめずらしく、シェパード犬をつれて広場へ散歩にきたのだった。アンドレイは何か強く心をうたれ、エウジェニアを通して、ドメニコと話そうとするが、エウジェニアは鏡の間にはさまったようないらだちを感じて、アンドレイをすてて去る。
ドメニコのあばら屋に入るアンドレイの目に思いもかけぬ風景がひろがる。たどたどしいイタリア語で話しかけるアンドレイに、ドメニコは、自分が果たせなかった願いを託す。ド」メニコ自身は、村人や湯冶客から狂人扱いされて広場に近づくだけで危険視されるのだが、あの広場を、蝋燭の火を消さずに往復することができたなら、世界はまだ救われうるというのだった。
この映画が心に残る理由を説明したことにはなりません。
連想する小説があるとすれば、
ガルシンの『赤い花』です。
二人の登場人物の狂気・・・しかし、それははたして狂気か。
日常に半ば埋もれている私には、
それを裁く力があるとは思えないからです。
●DVDジャケットも興味深い
ところで、日本で発売されているリマスター版のジャケットは上の写真。
詩人アンドレイ・ゴルチャコフ(俳優=オレーグ・ヤンコフスキー)を
メインにおいています。
しかし、世界で売られているDVDのジャケットには
当然ながら、何種類かがあり、興味深いのです。
ドメニコ(エルランド・ヨセフソン)を中心にしたもの、
エウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)を中心にしたものなど。
つまり、この映画の何が中心と考えているかが、
わかるような気がします。
************** 参考に **************
アンドレイ・タルコフスキー映画祭のサイト
(生誕70周年記念)
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/index.html
この映画祭は、2002年に行われました。
そのサイトがそのままあります。
ノスタルジアの部分は以下のとおり。
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/nstlg.html
[スタッフ]
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、ト二一ノ・グエッラ/撮影監督:ジュゼッペ・ランチ/カメラマン:ジュゼッペ・デ・ビアージ/録音:レモ・ウゴリネッリ/美術監督:アンドレア・クリザンティ/装置:マウロ・バッシ/メークアップ:ジュリオ・マストラントニオ/ヘアー・ドレッサー:ヨーレ・チェッキーニ/衣裳:リーナ・ネルリ・タヴィアーニ/音楽:ベートーヴェン<交響曲第9番>、ヴェルディ<レクイエム>、他/音楽協カ:ジーノ・ペグーリ/音響効果:マッシモ&ルチア一ノ・アンゼロッティ/編集:エルミニア・マラーユ、アメデオ・サルファ/スクリプト:イルデ・ムーショ/助監督:ノルマン・モッツアート/ラリッサ・タルコフスキー/スチル:プルーノ・ブルーニ/製作主任:フランチェスコ・カザーティ/製作:レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ポロニー二
[キャスト]
アンドレイ・ゴルチャコフ:オレーグ・ヤンコフスキー、ドメニコ:エルランド・ヨセフソン、エウジュニア:ドミツィアナ・ジョルダーノ、ゴルチャコフの妻:パトリツィア・テレーノ、髪に夕オルを巻いた女:ラウラ・デ・マルキ、ドメニコの妻:デリア・ボッカルド、清掃婦:ミレナ・ヴコティッチ
1983年/RAI(イタリア)、オペラ・フィルム(フランス、イタリア)、ソヴィン・フィルム(ソ連)製作/長編劇映画/35mm/ヴィスタサイズ/カラー/126分
1983年 カンヌ国際映画祭・創造大賞
配給:ザジフィルムズ、協力:パイオニアLDC/日本公開:1987年
[解説]
ソ連の天才映画作家アンドレイ・タルコフスキーの長篇第6作『ノスタルジア』は、タルコフスキーがはじめてソ連国外でつくった映画である。83年カンヌ映画祭にイタリアから出品して、グランプリと同格の<創造大賞>を受賞、同時に、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞を受賞し、英国のインターナショナル・フィルム・ガイド誌は、83年度のすべての国のベストワン作品に選んでいる。
水と、光と、霧と、闇と、火の、タルコフスキー独特の詩的宇宙が、『ノスタルジア』では、従来のカラー作品の深く渋い色彩美にイタリア撮影技術の艶と鮮かさを加えて映像美の極致に達したといえよう。
『ノスタルジア』(原題はロシア語をアルファベット表記してNOSTALGHIA)は、ロシア人がソ連国内を旅行した時には感じないが、ひとたび外国に旅行すると必ず強く襲いかかる感情で、死に至る病いに近いとさえ言える独特のものだとタルコフスキーは言う。『惑星ソラリス』や『鏡』『ストーカー』で登場したテーマを、イタリアに旅行したロシア人の愛の物語としてさらに発展させようというもので、タルコフスキーがトニーノ・グエッラと想をねりはじめたのは『ストーカー』カンヌ出品の直後だった。
製作準備は3年半。ソ連映画の合作公団ソヴィン・フィルムの協力、フランスの大手ゴーモンのイタリアでの製作会杜オペラ・フィルムを母体に、ロベルト・ロッセリー二の息子レンツォ・ロッセリーニとマノロ・ポロニーニが製作、イタリアの国営放送RAIが映画製作レベルで全額出資という、実質的には国際的合作のスケールをもつイタリア映画として撮影に入ったのが82年の9月だった。トスカーナ地方を中心にタルコフスキーが選びぬいた撮影場所は、新鮮な美しさで、くまなくイタリアを知っていたはずのスタッフを驚かせ、タルコフスキー本人も、故郷と設定されるシーン、とりわけラストの廃虚の撮影場所をトスカーナに発見して驚いたという。
脚本のトニーノ・グエッラ(フィルモグラフィー及ぴインタビュー参照)は詩人で小説家。アントニオーニやフェリーニ、ロ一ジ作品で知られるイタリア最高の脚本家。『ノスタルジア』では、クレジットは脚本だけだが、実際にはタルコフスキーの助言者として完成までたずさわった。主人公アンドレイが読む詩は監督の父である詩人アルセニー・タルコフスキーの作品。撮影のジュゼッペ・ランチはマルコ・ベロッキオ監督『虚無への跳躍』ほかで注目される。音楽はヴェルディの<レクイエム>とロシア民俗音楽OI VI KUMSCIKIをテーマに、べートーヴェンの<第9交響曲>が印象的に使われている。
アンドレイは『鏡』で父親を演じたモスクワドラマ劇場のオレーグ・ヤンコフスキー。ドメニコにはベルイマン映画で知られるエルランド・ヨセフソン。ヒロインのエウジェニアには、スポレート演劇祭での演技がタルコフスキーに認められこの作品がデビューのドミツィアナ・ジョルダーノ。ボッティチの面からぬけでてきたような美しさとカンヌ映画祭で人気を集めた。広場の清掃婦役で登場するのは、ブニュエル映画でおなじみのユーゴスラヴィア出身のミレナ・ヴコティッチ。なお、タルコフスキーは『ノスタルジア』完成後も故郷には戻ることはなかった。
[ストーリー]
イタリア中部トスカーナ地方。朝霧がけむる風景のなかに男と女が到着する。男はモスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ。女は通訳のエウジェニア。ふたりは、18世紀にイタリアを放浪し、故国に帰れば奴隷になると知りつつ帰国して自殺したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追って旅をつづけてきたが、旅もすでに終りに近かった。
古都シエナ南東の村まではるばる来たのは、アンドレイがマドンナ・デル・パルトの聖母画を見たがっていたからだが、アンドレイは車に残り、エウジェニアひとり、教会を訪れる。ピエロ・デラ・フランチェスカが描いた出産の聖母像に敬虔に祈りを捧げる女たちと、跪こうとしても跪けないエウジェニア。
村の広場の温泉で知られる、バーニョ・ヴィニョーニの宿屋で、女主人が起きてくるのを待ちながら、アルセニイ・タルコフスキーの詩集をイタリア語訳で読んでいるというエウジェニアに、アンドレイは「詩は翻択できるものではない、すべての芸術も」という。どうすれば私達は理解しあえるのと問う彼女に、アンドレイは事もなげに答える。「国境をなくせばいい」と。
アンドレイの夢に故郷があらわれる。なだらかな丘の小さな家。木々と1本の電柱。妻とふたりの子供。白い馬とシェパード犬、そしてタ陽。
シエナの聖カテリーナさえ訪れたとされる広場の温泉に、今は、退役将軍ほか数人の湯治客が朝からよもやま話に花さかせながらつかっている。話のおちつく先はたいてい、ドメニコだ。世界の終末が訪れたと信じて家族ぐるみ7年間もあばら家にとじこもったために狂人と呼ばれ、聖カテリーナと言葉をかわしたと言って狂信者と噂されるドメニコが、その朝はめずらしく、シェパード犬をつれて広場へ散歩にきたのだった。アンドレイは何か強く心をうたれ、エウジェニアを通して、ドメニコと話そうとするが、エウジェニアは鏡の間にはさまったようないらだちを感じて、アンドレイをすてて去る。
ドメニコのあばら屋に入るアンドレイの目に思いもかけぬ風景がひろがる。たどたどしいイタリア語で話しかけるアンドレイに、ドメニコは、自分が果たせなかった願いを託す。ド」メニコ自身は、村人や湯冶客から狂人扱いされて広場に近づくだけで危険視されるのだが、あの広場を、蝋燭の火を消さずに往復することができたなら、世界はまだ救われうるというのだった。
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西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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