お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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牛馬のための日露戦争の碑2007/09/17

陸軍墓地の近くにある武士が谷墓地。
機会があったら、行ってみようと思っていました。
日曜日に、フェノロサの墓に立ち寄る前に、訪れることができました。
そして、偶然ですが、牛馬のための慰霊碑を見つけました。

大津市の「お宝」サイトには、載っていなかった石碑です。

「牛馬 招魂碑」はお寺さんが建てたものでしょうか2007/09/17

日露戦争で使われ亡くなった牛や馬のための碑
「牛馬 招魂碑」
横は「日露戦役紀念建設」
後ろに回ると、「西念寺住職青木金城」いう記述がありました。

石の質感やコケの生し方などは、陸軍墓地の一般のお墓と同じです。
ひと目で年月を経ているものとわかります。
台座は新しく、移設したのか、同じ場所に立て直したのか、どっちかだと思います。

法明院の看板2007/09/17

 大津市にある法明院を訪れました。

目的は、フェノロサの墓を見るためです。

入り口近くにある看板はこれ。

入り口に100円よろしくと書いてあるところでしょ2007/09/17

 フェノロサの墓の話を友人にしたら、「入り口に100円いれてと書いてあるとこね」という反応。
 有名な人物のお墓があるのに、またがっちりお金をとる時代に、訪問者を信頼している(監視人がいない)ことが意外だったということで、本物の墓以上に印象に残ったのでしょうね。

玄関の土間に無料の資料がおいてあります。これはフェノロサについて。2007/09/17

フェノロサのお墓を見に法明院へ。
入り口の「100円よろしく」を見つけて、これこれと思っていました。
お墓は、左手の門をくぐった庭の向こうにあるそうです。
門に入る前に、お寺の玄関の土間をみると、書類が石で押さえてありました。ちかづくと、訪問客用に資料をおいていただいているのです。

 資料は二枚。
 フェノロサと法明院について。

 フェノロサについてはこれ。

法明院のパンフレット2007/09/17

法明院さんの自己紹介パンフレットです。

フェノロサの墓の全体2007/09/17

 立て札があるので、ここだとわかりました。
 これが全体の姿です。

「フェノロサの墓」の立て看板は大津市がつくったもの2007/09/17

フェノロサの墓の横にたっている看板は、大津市がつくったものでした。
簡潔に業績を記しています。

諦信(フェノロサ)の墓そのものはこれ2007/09/17

 岡倉天心とともに、明治時代に日本文化のすばらしさを内外に教えたフェノロサ博士は、仏教徒として、ここに葬られていました。
 そこまで・・・と私は思いました。
 
 フェノロサの墓には、十字架やアルファベットがあると思っていたのです。
それで??となって、看板を読み直して納得。

フェノロサ博士を敬愛する国際的なひろがりをしめす碑2007/09/17

 フェノロサ博士に墓石をささげた友人たちの碑がとなりにありました。
友情の碑といえますが、その国境を越えた広がりに、博士の業績と人望をみることができます。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)