お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
『慰霊と招魂―靖国の思想』 (岩波新書) 村上 重良 ― 2007/09/25
「招魂」という言葉の意味が知りたいと思っていたときに、本屋でこの本を見つけました。
そして、何事も、その始まりに立ち返って見るべきだということを、痛感したのです。
靖国神社の前身は、招魂社。
古代的な意味を失い、国家の行う植民地戦争へ駆り立てるものへと転化する神道の姿などは、あらためて、思い起こす値打ちがあります。
そして、何事も、その始まりに立ち返って見るべきだということを、痛感したのです。
靖国神社の前身は、招魂社。
古代的な意味を失い、国家の行う植民地戦争へ駆り立てるものへと転化する神道の姿などは、あらためて、思い起こす値打ちがあります。
靖国信仰を成立させる『感情の錬金術』とはなにか ― 2007/09/25
高橋哲哉氏の『靖国問題』(ちくま新書 2005年)をブックオフで買って、読んでいました。
そこに以下のような文章を見つけました。
《遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命をさ捧げようと希望することになることが必要なのだ。「多少の費用は惜しむに足らず」。すなわち、莫大な国費を投じても、全国各地から遺族を招待し、「お国」と「お天子様」とがいかにありがたい存在であるかを知らしめ、最高の「感激」を持って地元に帰るようにしなければならない。
これこそ、靖国信仰を成立させる『感情の錬金術』にほかならない。》
そして、次のようにも言っています。
《靖国の論理は戦死を悲しむことを本質としているのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとするものである。靖国の言説は、戦死の美化、顕彰のレトリックに満ちている。》
高橋氏のこの著作は、多数の文献や具体的な事実に裏付けられていて、興味深く読みました。
そこに以下のような文章を見つけました。
《遺族の不満をなだめ、家族を戦争に動員した国家に間違っても不満の矛先が向かないようにしなければならないし、何よりも、戦死者が顕彰され、遺族がそれを喜ぶことによって、他の国民が自ら進んで国家のために命をさ捧げようと希望することになることが必要なのだ。「多少の費用は惜しむに足らず」。すなわち、莫大な国費を投じても、全国各地から遺族を招待し、「お国」と「お天子様」とがいかにありがたい存在であるかを知らしめ、最高の「感激」を持って地元に帰るようにしなければならない。
これこそ、靖国信仰を成立させる『感情の錬金術』にほかならない。》
そして、次のようにも言っています。
《靖国の論理は戦死を悲しむことを本質としているのではなく、その悲しみを正反対の喜びに転換させようとするものである。靖国の言説は、戦死の美化、顕彰のレトリックに満ちている。》
高橋氏のこの著作は、多数の文献や具体的な事実に裏付けられていて、興味深く読みました。
旧大津陸軍墓地 : Dブロックの墓石配置 ― 2007/09/25
旧大津陸軍墓地 : Cブロックの墓石配置 ― 2007/09/25
旧大津陸軍墓地 : Bブロックの墓石配置 ― 2007/09/25
旧大津陸軍墓地 : Aブロックの墓石配置 ― 2007/09/25
靖国神社と陸軍墓地はどう違うのか? ― 2007/09/25
靖国神社は、天皇のために戦死した忠義の士を「招魂」して祭るところです。原爆や空襲で亡くなった犠牲者を祭るところでもなければ、敵となった戦った他国の兵士を祭るところでもありません。
では、陸軍墓地は、どう定義すればいいのでしょうか?
ここも、忠勇をたたえる場所ではあると思います。
しかし、《感情の錬金術》を行う場所ではないように見えます。
だから、管理責任があいまいとなり、荒廃の危機が迫るのではないでしょうか。
旧大津陸軍墓地は、大津市が清掃などの責任を負っていますが、歴史的遺産として保存するという立場ではありません。
靖国派は、こういう墓地を、あらたな戦争に動員する値打ちがないと判断しているのでしょうか。
いずれにしても、陸軍墓地がどのような役割と機能を持ったのかを確認しておく必要があります。
私は、靖国神社はなくすべきだと思っています。靖国神社の国営化なんてとんでもありません。
一方、陸軍墓地は残すべきだと思っています。
この考えが正しいのかも、確認しておきたいのです。
では、陸軍墓地は、どう定義すればいいのでしょうか?
ここも、忠勇をたたえる場所ではあると思います。
しかし、《感情の錬金術》を行う場所ではないように見えます。
だから、管理責任があいまいとなり、荒廃の危機が迫るのではないでしょうか。
旧大津陸軍墓地は、大津市が清掃などの責任を負っていますが、歴史的遺産として保存するという立場ではありません。
靖国派は、こういう墓地を、あらたな戦争に動員する値打ちがないと判断しているのでしょうか。
いずれにしても、陸軍墓地がどのような役割と機能を持ったのかを確認しておく必要があります。
私は、靖国神社はなくすべきだと思っています。靖国神社の国営化なんてとんでもありません。
一方、陸軍墓地は残すべきだと思っています。
この考えが正しいのかも、確認しておきたいのです。
旧大津陸軍墓地 : Eブロックにだれが眠るのか ― 2007/09/25
大津陸軍墓地は、10のブロック別に分けることができます。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909
その最大の部分が、Eブロック。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/24/1816538
559柱中207柱(37.0%)がここにあります。
しかも、その形はほぼ均質であり、葬られている人たちも同時期に戦死されたと推察できます。
1柱だけ異質のものがあります。
キレイに並んでいるなかで、6柱分の土地を1柱だけで占めているのです(上の写真)
一つ一つ墓碑を眺めていくと、これら全体が日清戦争とその後の台湾出兵による戦死者であることがわかりました。
戦死された年月日が、明治28年か29年ですから。
葬られている階級は、上等兵、一等卒、二等卒、そして輜重輸卒。
ほとんどの墓碑はまだ読むことができます。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/21/1810909
その最大の部分が、Eブロック。
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/09/24/1816538
559柱中207柱(37.0%)がここにあります。
しかも、その形はほぼ均質であり、葬られている人たちも同時期に戦死されたと推察できます。
1柱だけ異質のものがあります。
キレイに並んでいるなかで、6柱分の土地を1柱だけで占めているのです(上の写真)
一つ一つ墓碑を眺めていくと、これら全体が日清戦争とその後の台湾出兵による戦死者であることがわかりました。
戦死された年月日が、明治28年か29年ですから。
葬られている階級は、上等兵、一等卒、二等卒、そして輜重輸卒。
ほとんどの墓碑はまだ読むことができます。
陸軍歩兵上等兵の墓石(旧大津陸軍墓地Eブロック) ― 2007/09/25
陸軍歩兵一等卒の墓石(旧大津陸軍墓地Eブロック) ― 2007/09/25
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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