お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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雨でも、カルガモには関係ないカモ・・・2007/09/11

雨が降っています。
それでも、湖岸のなぎさ公園を歩きました。
羽が重くなるので、トリさんはお休みかと思ったら、いつもより、多くのカモが琵琶湖の岸辺で泳いでいました。
カモは、雨は関係ないんですね。

ハトも雨は関係ないみたいです・・人相が悪いなぁ、このハト2007/09/11

ハトも多数、小雨のなか、公園でえさを探していました。
人に慣れすぎて、恐れることを知らない様子。
恐れるどころか、ハトさんこそ怖い・・。

恐竜が鳥類に似ているというのはわかる気がします2007/09/11

 アメリカ版の「ゴジラ」(映画)は、恐竜研究の成果を取り入れて、鳥類に近いように造られています。このハトを見ていたら、それも納得できるような気がしますね。
 なんで、人に平気で向かってくるんだろう??

 クリックして拡大していただければ、まるでゴジラですよ、このハト。

大津陸軍第九連隊の碑をさがして2007/09/11

●クレンタイ?

大津市の文化財保護課でお話をしていて気がつきました。
ときどき出る言葉が「愚連隊」。
なにこれ??
「グレンタイ」は聞き間違いであり、「クレンタイ」というのが正しく、それは「(第)九連隊」のことだと、わかったのです。
私は、「第九連隊」を「ダイキュウレンタイ」と読んでいたのですが、通称は「クレンタイ」なんだと悟ったのです。そういえば、古書店のご主人も、そう言っていたかも知れません。

●碑をさがして

 「若鷲の碑」はすぐ見つけることができました。通路に添って、建っていましたから。
 しかし、「第九連隊の碑」は、どこ?
 後から考えれば、そこしかないのですが、初めて行くと戸惑います。
入り込みにくい通路を行くと、そこにありました。

その入り口あたりにある道路標識には、「陸軍地」の文字。

陸軍歩兵第九連隊の碑文と碑はこじんまりとしています2007/09/11

狭い道をたどり、碑文があり、
その道のさらに先に、陸軍歩兵第九連隊の碑があります。
手前の低い石に碑文が刻まれています。
碑文の位置からも第九連隊という碑の文言は確認できません。
真正面に立たなくては見えないようになっています。
多数の人が集まれるようなスペースもありません。

それは、昭和42(1967)年に建立されたことと無縁ではないと思います。

陸軍歩兵第九連隊の碑文2007/09/11

 狭い通路をいくと、最初に出会うのは、この「碑」です。
そこには、第九連隊について記されています。
写真は、それぞれの文字が読める大きさでアップします。拡大表示を使っていただければ、どなたでも時間があれば、読むことができます。

(、)は碑文にありません。
改行は、碑文そのままです。

******************************************************
                      碑

歩兵第九聨隊は明治7年此の地に創設せ
られ、同年十二月十八日、明治天皇より軍
旗を親授された。尓来星霜七十年、此処に
修武練胆の将兵幾十万を算し、京滋を守る。
 西南の役には肥薩に勇戦。日清戦争には
遼東に。翌年台湾に出征して武勲を樹てた。
 日露戦争には南山、遼陽、黒溝台等各地
に勇戦。特に奉天会戦には終始力戦。真に
屍山血河の激戦を重ね、将兵の大半を失う
に至ったが、克く大敵を撃破し、全軍完勝
に多大の貢献をした。また此の戦役に後備
歩兵第九聨隊は旅順に苦闘。殆ど全滅の惨
に瀕しつつ 要塞攻略に殊功を樹てた。
 越えて大正八年シベリアに出征。同十四
年第三大隊を当地に残し主力は京都に移駐
した。昭和九年より二年間、聨隊は満洲に
駐屯し、北安、黒河等に在って、北満を固めた。
 昭和十二年支那事変が起り、聨隊は北支
進攻の後 中支に転戦。同年十二月南京攻
略戦に参加し、続いて翌年五月徐州に戦い
十月長駆大別山を越えて武漢に進んだ。
 更に大東亜戦争には比島作戦に参加して
マニラに進み、バターン半島に転戦の後、主
力は十九年秋レイテ島において米軍主力の
反攻を受け、敵を水際に迎撃。或は後方陣
地に勇戦力闘したが、我第一線は相ついで
全滅し、十二月八日最後の突撃を敢行。聨
隊長以下全員軍旗と共に玉砕したのである。
 また歩兵第九聨隊を母隊とし、動員編成
された幾多の部隊は中支、ビルマ、沖縄な
ど各地に戦い、不滅の武勲を樹てた。
 今や物換り星移って、在りし日の聨隊を
偲ぶ俤も薄れつつあるが、祖国を守る輝か
しい伝統と歴史は永久に伝えられなければ
ならない。
 茲に聨隊関係一同相図り、県下有志多
数の御協力を得て、由緒ある此の地を史蹟
として保存し、平和の礎石となられた今は
亡き戦友への餞とすると共に、国運の隆昌
と世界の平和を祈念して、此の碑を建てる
ものである。

昭和四十二年四月十八日
歩兵第九聨隊記念碑建設委員会一同

陸軍歩兵第九連隊の碑 「歩兵第九連隊之跡」2007/09/11

碑文の先に見えていた陸軍歩兵第九連隊の碑があります。
文言は「歩兵第九連隊之跡」

見ての通り聳え立つ碑ではなく、シンプルで、横長です。
歴史博物館(市民文化会館)の駐車場から、上を見上げても、この碑は見えません。そこにどういう意味があるのか、私はわかりませんが。

琵琶湖文化館の周囲の湖面に緑の浮き草や藻が広がっています。2007/09/11

大津文化会館は、お城の形をした建物です。名神高速道路の大津インターチェンジから、まっすぐ湖岸に下りたところにあります。
この一ヶ月間、ここを通るたびに、建物の周囲に藻が広がっているのが気になっています。
今日は、晴れ。通りかかると、文化館の周囲の水が滞留するところだけでなく、湖面にも藻が広がっている場所があるのがわかります。
 たまたまバイクなので、止めて写真を撮りました。
 少し戻りたかったので、歩道を走り出したら、タイミング悪くパトカーに警告されました。警告ですんでよかったです。
 これが文化館の周りのよどみです。

先の湖面にも、藻が広がっているのが見えます2007/09/11

琵琶湖の湖岸に近い水面にも、広がっているのが見えます。

大津市議会10日から一般質問はじまる。でも傍聴者はわずか2・3名でした2007/09/11

 短い時間でしたが、一般質問が始まった大津市議会を傍聴しました。しばらくすると休憩に入ってしまい、多くを聴くことはできませんでした。
 傍聴者が少ないのがとても気になります。
 市民と議会の関係として、これはいいことではないと感じました。

 傍聴するには、4階の議会入り口から入ります。ドアを開けると、守衛さんがいて、傍聴者の名前と年齢(なぜ年齢が必要か不明)を記入します。すると、「市議会のしおり」(上の写真の右)をもらえます。

 傍聴席は、記者専用の前の階と、後ろの階に分かれています。
 前の階は、一列で、写真やメモとりOK。
 後ろの一般傍聴席は、30名ばかりの席が設けてありますが、録音や撮影は不可です。
 そこに行く階段には、質問に関係する部局の市職員の方が傍聴。

 最前列に座り、下の議場を覗き込まない限り、議員の姿は見えません。
目片信市長は、お疲れの様子で、まっすぐ座らないで、横向きにすわって足をなげだすような姿勢。出馬が伝えられていますが、元気さを感じませんでした。
 傍聴前に、議会事務局で、議員の発言順と質問項目を書いた紙を請求して、もらいました(上の写真左)。

北林 肇 1.市長の市政方針について
      2.議案第92号について

間宮文徳 1.電子自治体構築について
       2.市民を守る施策について
       3.地域振興について

近藤敦樹 1.医療改革について
       2.教育改革について
       3.治水対策について

塚本正弘 1.貧困問題と生活保護行政について
       2.葬祭センター建設と手数料の改定について
       3.淀川水系河川整備計画原案について
       4.穴太廃寺の整備について

北村正二 1.大学を生かしたまちづくりについて
       2.志賀地域の防災行政無線の運用について
       3.期日前投票所の拡充について

武田平吾 1.教育について
       2.まちづくり交付金事業について
       3.多面的機能から見た農業政策について
       4.下水道整備について

杉浦智子 1.児童クラブについて

浜奥修利 1.芸術文化振興について
       2.産業廃棄物処理について
       3.合併建設計画の推進について

宮尾考三郎 1.議案第92号について
        2.西大津周辺の公園ならびに住環境について

竹内照夫  1.膳所駅周辺整備について
        2.後期高齢者医療制度について
        3.観光振興について
        4.小中学校校舎の耐震化及び大規模改修について

佐藤健司 1.開発について
       2.使用料の見直しについて
       3.中央市街地活性化基本計画について
       4.びわこサイエンスパークについて

船本 力  1.緑の基本計画について
       2.歩道整備と街路樹管理について

佐藤 弘  1.開発行為に対する行政指導について
       2.防災対策の取り組みについて
       3.医療・福祉について

八木 修  1.市長の政治姿勢について
       2.後期高齢者医療制度について
       3.防災対策について
       4.投票率向上対策について
       5.2006年度決算について

中野 治郎  1.まちづくりについて
         2.観光振興について
         3.防災について
         4.猿害について

山本哲平  1.企業誘致について
        2.債権回収について
        3.ごみ減量について
        4.地域SNSについて

佐々木松一 1.草津市新浜へのイオン出店について
        2.地上デジタルテレビ放送について

小松明美  1.議案第92号大津市一般会計補正予算について
        2.現存する防災無線の活用について
        3.大津市新清掃工場問題と今後のごみ処理施策について

草川 肇  1.教育問題について

岸本 典子 1.防災行政無線について
        2.学校給食について
        3.産業廃棄物対策について
        4.農薬散布について

藤井重美  1.認定こども園について
        2.「こんにちは赤ちゃん事業」について
        3.通称「天津通り」の整備について

谷 祐治  1.高さ規制について
        2.土地利用について
        3.地区計画について
        4.議案第98号について

石黒賀津子 1.アレルギー対応給食について
        2.警備員配置について
        3.難病患者の支援について
  
園田 寛  1.中心市街地活性化について
       2.おおつかがやきプランについて
       3.市民病院について

以上、24名の議員さんが質問を予定。
4月の選挙の結果、新しい議員さんが増えましたが、質問する議員が二倍ぐらい増えています。これは、いいことですね。内容はこれから聴いてみたいと思います。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)