お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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陸軍歩兵第九連隊の碑文2007/09/11

 狭い通路をいくと、最初に出会うのは、この「碑」です。
そこには、第九連隊について記されています。
写真は、それぞれの文字が読める大きさでアップします。拡大表示を使っていただければ、どなたでも時間があれば、読むことができます。

(、)は碑文にありません。
改行は、碑文そのままです。

******************************************************
                      碑

歩兵第九聨隊は明治7年此の地に創設せ
られ、同年十二月十八日、明治天皇より軍
旗を親授された。尓来星霜七十年、此処に
修武練胆の将兵幾十万を算し、京滋を守る。
 西南の役には肥薩に勇戦。日清戦争には
遼東に。翌年台湾に出征して武勲を樹てた。
 日露戦争には南山、遼陽、黒溝台等各地
に勇戦。特に奉天会戦には終始力戦。真に
屍山血河の激戦を重ね、将兵の大半を失う
に至ったが、克く大敵を撃破し、全軍完勝
に多大の貢献をした。また此の戦役に後備
歩兵第九聨隊は旅順に苦闘。殆ど全滅の惨
に瀕しつつ 要塞攻略に殊功を樹てた。
 越えて大正八年シベリアに出征。同十四
年第三大隊を当地に残し主力は京都に移駐
した。昭和九年より二年間、聨隊は満洲に
駐屯し、北安、黒河等に在って、北満を固めた。
 昭和十二年支那事変が起り、聨隊は北支
進攻の後 中支に転戦。同年十二月南京攻
略戦に参加し、続いて翌年五月徐州に戦い
十月長駆大別山を越えて武漢に進んだ。
 更に大東亜戦争には比島作戦に参加して
マニラに進み、バターン半島に転戦の後、主
力は十九年秋レイテ島において米軍主力の
反攻を受け、敵を水際に迎撃。或は後方陣
地に勇戦力闘したが、我第一線は相ついで
全滅し、十二月八日最後の突撃を敢行。聨
隊長以下全員軍旗と共に玉砕したのである。
 また歩兵第九聨隊を母隊とし、動員編成
された幾多の部隊は中支、ビルマ、沖縄な
ど各地に戦い、不滅の武勲を樹てた。
 今や物換り星移って、在りし日の聨隊を
偲ぶ俤も薄れつつあるが、祖国を守る輝か
しい伝統と歴史は永久に伝えられなければ
ならない。
 茲に聨隊関係一同相図り、県下有志多
数の御協力を得て、由緒ある此の地を史蹟
として保存し、平和の礎石となられた今は
亡き戦友への餞とすると共に、国運の隆昌
と世界の平和を祈念して、此の碑を建てる
ものである。

昭和四十二年四月十八日
歩兵第九聨隊記念碑建設委員会一同

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BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)