お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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お店が消えていく不安と向き合って2007/09/18

 まちが壊れていく悲しさ、寂しさ、不安・・・そういうものを主題にして、ブログを書いていました。
 たとえば
http://nostalghia.asablo.jp/blog/2007/06/24/1601336

今月は、「軍都・大津」を追いかけていることが多かったのですけれど。

 地方都市の衰退は、いちじるしいのです。
 人口が増加している大津市でさえ、そうなのです。

 2007年のはじめのワコーの倒産。
 大津市内に8箇所ありました。
 その一部は、別会社が再開していますが、
 もうからないところはそのままです。

 昨日聴いた話は、富士見学区というところで、生協のお店が閉店したこと、地域住民が真剣にそのあとに別の経営主体で再開してもらえるように努力したこと、結局、それがならなかったなどのことです。

 では、どうするのか。

住民の方は、せめてバス路線をつくってほしいとのことらしいです。

 明日、時間が許せば取材してきたいと思います。
私もよく知っているお店ですから。

富士見学区でも、地域になじんだお店が消えました2007/09/18

わが大津市で、
長年、地域をささえてきたお店が
つぎつぎ消えていきます。

 「このお店もか」という思いで立ち寄りました。

 立ち寄って、私に何ができるわけでもありません。
しかし、自分の生の目で見ておきたいのです。

本物の野次馬かも知れませんね。

でも、変に思われるかも知れませんが、
私は、なんとかしたいと本気で考えているのです。
もちろん、一人でできることではありません。

閉店したお店の張り紙。つい先日のことなんですね。2007/09/18

こういう張り紙もたくさん見てきました。

青空が切れ切れに映る琵琶湖(南湖)2007/09/18

2007年9月17日の琵琶湖。湖面に藻が浮かんでいます。
 空に雲があるみたいに、湖面に藻の群生が浮かんでいます。
穏やかな湖面にちぎれちぎれに映る大空。
 いくら藻を回収しても、水が淀んでいる限り、消えることはないようです。

今日の浜大津港2007/09/18

なぎさ公園に突き出た突堤から、浜大津港を撮りました。
西の方角ですね。

左がビアンカ、右にミシガンが浜大津港に停泊中2007/09/18

浜大津港に、二つの観光船が停泊しています。

夜の大津の街に祭囃子がきこえます2007/09/18

夜の旧市街、祭囃子の練習の音が響きます
夜の大津の中心街を歩くと、笛と太鼓の音がきこえてきます。
陽気で、リズミカル。
京都の祇園祭りのような山車の巡行が行われる大津祭りの準備です。
これから、毎晩、聞こえてくるのです。

昔の大津百町のなかでも、山車をもっているのは、わずか十数町。
山車にのって笛と太鼓をならせるのは、限られた人たちなのです。

民家や自治会館の二階を借りて練習中です。

山車は13あります。

寛永十二年(1635年) 西行桜狸山 創建
寛永十四年(1637年) 猩々山 創建
明暦二年 (1656年) 西王母山 創建
万治元年 (1658年) 西宮蛭子山 創建
寛文三年 (1663年) 湯立山 創建
延宝元年 (1673年) 殺生石山 創建
元禄六年 (1693年) 郭巨山 創建
元禄七年 (1694年) 孔明祈水山 創建
宝永二年 (1705年) 石橋山 創建
享保二年 (1717年) 龍門滝山 創建
享保三年 (1718年) 源氏山 創建
寛延二年 (1749年) 神功皇后山 創建
安永五年 (1776年) 月宮殿山 創建

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)