お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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墨絵のような琵琶湖南湖2007/10/08

墨絵のような琵琶湖南湖
昨晩からの雨。
日が昇っても曇り空。
琵琶湖南湖は、墨絵のように色が消えています。
遠くに見えるのは、琵琶湖大橋。
近くには、かもが一羽泳いでいるだけです。

琵琶湖岸で直立する(?)ハクセキレイ2007/10/08

湖岸でただずむハクセキレイ
埋め立てで造られた「なぎさ公園」
湖岸は石積みで固められています。
そこに小さなトリが見えました。
なんか格好が面白い。

ハクセキレイです。

後ろに手を組んでいるドアボーイのようです。

しかし、ハクセキレイって飛び方がすごい!!
とにかく、スピードも、飛行姿勢も、
ハトやスズメなんかとぜんぜん違います。

急角度の旋回なんて楽々こなしています。

ですから、カメラにはとても収められません。

突然飛び立つハトたち2007/10/08

突然飛び立つハト
雨にぬれた草むらにはハトが数十匹群れています。
地面にくちばしを突っ込んで、さかんに
えさを採っている様子。

人にも慣れていて、近づいても逃げません。
牛みたいなハトだと思います。
でも、さすがに近づきすぎたのか、それとも
別の物音がしたのか、
一羽が飛び立つと
いっせいに羽ばたきです。

やっぱり、私が原因?

飛び立つハトの群れ2007/10/08

いっせいに飛ぶハトの群れ
いっせいに飛び立つハトの群れ。
狙いをつけることもなくシャッターを切りました。

いろんな飛行ポーズが写っているのが面白いですね。

決してわざと脅かしたわけではありません。
念のため。

スズメ2007/10/08

雨上がりの曇天。
それには、ゆっくりとトビが飛んでいます。
ときどき、湖に下りて、魚を捕獲。

公園の草むらをハトが占領。
数十匹でえさを食んでいます。

少し離れたところに、ハトが数羽とスズメがいました。
一羽だけ、ムクドリも。
ハトは近づいても平気ですが、
スズメが私を警戒して、飛び立ちました。
すると、ムクドリも、ハトも。
う~ん、スズメって警戒心が強いんですね。
飛び立ったあと、私の姿が見えなくなると
また降りてきます。
振り返るとさっと木の上に。

そんなスズメを撮りました。
遠くからみると、葉っぱみたいです。

たった一羽でハトやスズメに交じるムクドリ2007/10/08

お互いになにも意識しないのでしょうか。
たった一羽でムクドリが
ハトやスズメにまじって、えさを採っています。

地面を歩くんじゃなくて、
ピョンピョンと跳ねています。

ムクドリの顔って特徴がありますね。

うまくピントがあわない・・・。

湖面近くを飛ぶトビ2007/10/08

湖面を飛ぶトビ
湖面ちかくを魚を狙ってトビが飛んでいました。
湖岸では、釣り人が同じく魚を狙っています。

私が見る限り、トビの方が収穫あり。

グエン・ベトの死2007/10/08

ベトナム戦争で、米軍が使用した枯葉剤で
さまざまな悲劇がうまれました。
下半身がくっついて生まれたベトちゃん、
ドクちゃんもその犠牲者でした。
 
その姿は、正視するのがあまりにつらいものでした。

 枯葉剤が、母をむしばみ、
生まれてくる赤ちゃんに重い障害と死をもたらしました。
 それを扱った米軍兵士すら蝕まれたのです。

 ベトちゃんと、ドクちゃんは、
1988年に分離手術をうけました。
しかし、ベトちゃんの方は深刻な
状態がつづきました。
ドクちゃんのほうは歩行もでき、結婚もしました。

 10月6日、
 ついにベトちゃん(26歳になっていたんですね)が死去。

 侵略戦争と非人間的な兵器を地上からなくせ!

旧真田山陸軍墓地案内図2007/10/08

真田山陸軍墓地の案内図はNPOの思いがこもっていました
最古の陸軍墓地であり、現在最大規模のものでもある
旧真田山陸軍墓地・・・そこを見れば、
大津陸軍墓地を理解するうえで
いろんなヒントがあると思っていました。

10月4日に機会をえて、出かけました。
しかし、5299基もの墓石すべてを二時間程度で
見切れるわけがありません。

それでも、吉岡さんの的確な案内によって、
見るべきものはひととおり見ることができたと思います。

あとは自分の主題で見たいものを探すことです。

10月4日に帰宅したときは、疲れがピーク。
行ってきましたという報告はできても、
見てきたことを考え直す余裕はありませんでした。

●上の写真について

NPO「旧真田山陸軍墓地と保存を考える会」の案内図。
陸軍墓地の入り口の建物に貼ってありました。
これも、ここに来た人に対する気遣いと
陸軍墓地をよくわかってほしいという思いの表れでした。

こういうものをまず、大津でも作りたいと思いました。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)