お元気ですか?
大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。
なにをテーマに書こうかと迷いながら
2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。
2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、
気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。
戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。
通信兵だった父や防空監視隊にいた母から
聞かされた話は、
戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない
という思いを強くさせるものでした。
ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、
国家の理屈で議論が進みます。
同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。
しかし、戦争は、最悪の暴力です。
私は草の根の痛み、
どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で
書いていきたいと思っています。
あまり楽しめないブログかも知れませんが、
お気軽に感想やコメントをお寄せください。
墨絵のような琵琶湖南湖 ― 2007/10/08
琵琶湖岸で直立する(?)ハクセキレイ ― 2007/10/08
突然飛び立つハトたち ― 2007/10/08
飛び立つハトの群れ ― 2007/10/08
スズメ ― 2007/10/08
たった一羽でハトやスズメに交じるムクドリ ― 2007/10/08
湖面近くを飛ぶトビ ― 2007/10/08
グエン・ベトの死 ― 2007/10/08
ベトナム戦争で、米軍が使用した枯葉剤で
さまざまな悲劇がうまれました。
下半身がくっついて生まれたベトちゃん、
ドクちゃんもその犠牲者でした。
その姿は、正視するのがあまりにつらいものでした。
枯葉剤が、母をむしばみ、
生まれてくる赤ちゃんに重い障害と死をもたらしました。
それを扱った米軍兵士すら蝕まれたのです。
ベトちゃんと、ドクちゃんは、
1988年に分離手術をうけました。
しかし、ベトちゃんの方は深刻な
状態がつづきました。
ドクちゃんのほうは歩行もでき、結婚もしました。
10月6日、
ついにベトちゃん(26歳になっていたんですね)が死去。
侵略戦争と非人間的な兵器を地上からなくせ!
さまざまな悲劇がうまれました。
下半身がくっついて生まれたベトちゃん、
ドクちゃんもその犠牲者でした。
その姿は、正視するのがあまりにつらいものでした。
枯葉剤が、母をむしばみ、
生まれてくる赤ちゃんに重い障害と死をもたらしました。
それを扱った米軍兵士すら蝕まれたのです。
ベトちゃんと、ドクちゃんは、
1988年に分離手術をうけました。
しかし、ベトちゃんの方は深刻な
状態がつづきました。
ドクちゃんのほうは歩行もでき、結婚もしました。
10月6日、
ついにベトちゃん(26歳になっていたんですね)が死去。
侵略戦争と非人間的な兵器を地上からなくせ!
旧真田山陸軍墓地案内図 ― 2007/10/08
最古の陸軍墓地であり、現在最大規模のものでもある
旧真田山陸軍墓地・・・そこを見れば、
大津陸軍墓地を理解するうえで
いろんなヒントがあると思っていました。
10月4日に機会をえて、出かけました。
しかし、5299基もの墓石すべてを二時間程度で
見切れるわけがありません。
それでも、吉岡さんの的確な案内によって、
見るべきものはひととおり見ることができたと思います。
あとは自分の主題で見たいものを探すことです。
10月4日に帰宅したときは、疲れがピーク。
行ってきましたという報告はできても、
見てきたことを考え直す余裕はありませんでした。
●上の写真について
NPO「旧真田山陸軍墓地と保存を考える会」の案内図。
陸軍墓地の入り口の建物に貼ってありました。
これも、ここに来た人に対する気遣いと
陸軍墓地をよくわかってほしいという思いの表れでした。
こういうものをまず、大津でも作りたいと思いました。
旧真田山陸軍墓地・・・そこを見れば、
大津陸軍墓地を理解するうえで
いろんなヒントがあると思っていました。
10月4日に機会をえて、出かけました。
しかし、5299基もの墓石すべてを二時間程度で
見切れるわけがありません。
それでも、吉岡さんの的確な案内によって、
見るべきものはひととおり見ることができたと思います。
あとは自分の主題で見たいものを探すことです。
10月4日に帰宅したときは、疲れがピーク。
行ってきましたという報告はできても、
見てきたことを考え直す余裕はありませんでした。
●上の写真について
NPO「旧真田山陸軍墓地と保存を考える会」の案内図。
陸軍墓地の入り口の建物に貼ってありました。
これも、ここに来た人に対する気遣いと
陸軍墓地をよくわかってほしいという思いの表れでした。
こういうものをまず、大津でも作りたいと思いました。
西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。
戦争にかかわる碑
■ 忠魂碑・慰霊碑
○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など
○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)
○ 大津市南部の忠魂碑
民間墓地の戦没者○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。
□ 滋賀県の西南戦争の戦没者
□ 高島市(高島郡)の戦没者
■ 西南戦争(西南之役) 1877年
● 戦病死者名簿
*高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)
■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年
,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)
『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。
■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年
● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)
○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿
○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
□ Aブロック 埋葬者名簿
陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある
□ Bブロック 埋葬者名簿
日清戦争期に戦病死した下士官の墓地
□ Cブロック 埋葬者名簿
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Dブロック 埋葬者名簿(作成中)
明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地
□ Eブロック 埋葬者名簿
■ 大津市作成の名簿順
■ あいうえお順
日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。
□ Fブロック 埋葬者名簿
明治8年から11年までに病死した下士官と
兵卒の墓碑が37基
□ Kブロック 埋葬者名簿
「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
すべて兵卒の墓碑。
□ Lブロック 埋葬者名簿
「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
合計98基。すべて兵卒の墓碑。
□ Mブロック 埋葬者名簿(作成中)
陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)
□ 西南戦争の戦死者
□ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿
□『大津市志』
□ 滋賀郡膳所町
□ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)
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