お元気ですか?

大好きな人たちと人生を楽しんでいますか。


なにをテーマに書こうかと迷いながら

2003年に『この記なんの記』ブログをはじめました。

2007年夏に、戦争の墓碑に心が惹かれ、、

気がつけば、「お墓ブログ」のようになりました。


戦争や軍隊が好きで載せているわけではありません。

通信兵だった父や防空監視隊にいた母から

聞かされた話は、

戦争は二度とあってはならない、起こしてはならない

という思いを強くさせるものでした。

ともすれば戦争の素顔が隠されたまま、

国家の理屈で議論が進みます。

同時に、国民の側にも、熱狂を生み出します。

しかし、戦争は、最悪の暴力です。

私は草の根の痛み、

どうしようもなく死に追いやられた人々の立場で

書いていきたいと思っています。


あまり楽しめないブログかも知れませんが、

お気軽に感想やコメントをお寄せください。


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奉天会戦で戦死した22歳歩兵上等兵の墓碑がもう一柱2007/10/19

奉天会戦で戦死した22歳歩兵上等兵の墓碑
 大津市の小関越の墓地は、22歳で戦死された方の墓石がもう一柱ありました。

●陸軍歩兵上等兵勲八等 平野嘉一郎

墓石には、「陸軍歩兵上等兵勲八等 平野嘉一郎」と
刻まれています。
右面には、
「明治三十八年三月七日戦死於清国奉天府小貴興堡」

●大津市志人物志

ここに、この方についてつぎのように書かれています。

大津市今颪町十番地
陸軍歩兵上等兵勲八等 平野嘉一郎
明治十六年五月七日生
明治三十六年徴兵出身現役として歩兵第九連隊に属し二(*市志が誤記。正しくは三)十七八年戦役従軍各地戦闘。明治三十八年三月七日清国小貴興堡付近の戦闘に於て胸部貫通砲弾子創を受け戦死。同日叙勲八等白色桐葉章及従軍記章を授け賜ひ同三十九年五月靖国神社に合祀せらる。

22歳の戦死でした。

陸軍野戦銕道隊2007/10/19

陸軍野戦銕道隊(日露戦争)という墓碑
大津市の小関越の墓地。
そこに眠る日露戦争の戦没者の墓碑。
「上等兵」という階級以外に、「陸軍野戦銕道隊」という
肩書きがついた墓石がありました。

これはどういう部隊なんでしょうか?
「銕道」は、難しい字ですが、
鉄道ってことなんでしょうか?

ロシア・ウラジオストック艦隊の砲撃で死亡した野戦鉄道隊員の墓石2007/10/19

ロシア・ウラジオストック艦隊の砲撃で死亡した野戦鉄道隊員の墓石
大津の小関越の墓地。
陸軍歩兵第九連隊の上等兵の墓石と並んで、
この墓石がありました。

●陸軍野戦鉄道隊 松岡七郎乃墓

右面に、つぎのように刻まれています。

明治三十七年六月十五日福岡県沖島付近佐渡丸遭難死

どういう遭難なのか。

日本海に面するウラジオストックにロシア極東艦隊の基地があります。
そこから、日露戦争がはじまると艦隊が出動して、日本の輸送船を攻撃してきました。1904年(明治37年)6月15日、玄界灘で、ロシア艦隊は、日本陸軍運送船「常陸丸」、「和泉丸」を撃沈します。
 さらに「佐渡丸」を砲撃。

●大津市志

明治44年版『大津市志』下巻第11章「人物志」
1903ページに以下の記述があります。

大津市了徳町一番地
鉄道掃除夫雇人 松岡七郎
明治十六年三月十日生
明治三十七年五月二十六日野戦鉄道に隷属し、三十七八年戦役従軍御用船佐渡丸に乗込。明治三十七年六月十五日筑前国沖の島南方に於て敵艦の砲撃を受け避難準備中端艇沈没の為め溺死。同日従軍記章授与。同四十一年五月靖国神社に合祀せらる。

合祀が同じ時期に戦死した兵よりも、2年遅れています。

いまなお墓参者がある日露戦争の個人墓碑2007/10/19

墓地に四柱並んで建つ日露戦争犠牲者の墓碑
●墓参者がつづく墓碑

日露戦争での犠牲者の墓碑は、
墓地の入り口付近に、四つ並んでいます。
お花も新しく、いまなお墓参される方が
いることを示しています。

戦争の記録である前に、これらはお墓として、
そこに存在していることを強く感じました。

ただ、一人の方の墓石の正面が
剥離してきていることが気になりました。

●墓参者が絶えた墓碑

しかし、墓参される方が絶えた個人墓碑も
出てくるはずです。
なぜなら、日露戦争から100年以上がたつからです。
コメントいただいたなかに、祖母のお母さんの世代という
話がありましたが、そういう時代のことに
なってきています。

花の検索はどうするのだろう?2007/10/19

面白い花があると思って写真を撮るけれど、
名前がわからない。
図鑑ももっていないとすると、
ネットで検索を試したくなる。

でも、どうやって?

ユリみたいだから、「ユリ」で検索するのだろうか?
それとも、たれているので「たれている」で検索するのだろうか?

「ユリ たれている」で検索しても、目当てのものは
でてこない。

どういう検索が、効果的なんだろう?

「親子で歩いてディスカバーしが!」のチラシ2007/10/19

 先日、大津奉賛会の奥村治会長さんと、陸軍墓地でお話をしました。そのときに、「ディスカバーしが!」の取り組みについて話しておられました。
 たくさんの人が集まるそうです。
 自分たちの住んでいる土地を見直そう、その歴史と伝統を知ろうという取り組みは、関心が高まっているのです。
 陸軍墓地の見学会も、11月24日なら、OK。17日は、他の行事があるということでしたが、他の行事というのがこれでした。
 この日、陸軍墓地も見学対象になっています。
 いい取り組みだと思い、紹介することにしました。
 
 錦織に住むKさんから、ファックスをいただいて、知ることができました。
 Kさんは、私が陸軍墓地について知りたくて、相談にいった地元の人です。それを覚えていただいていてのファックスでした。

マルバルコウソウ (丸葉縷紅草)2007/10/19

マルバルコウソウ (丸葉縷紅草)
ネットで検索して、名前がわかった野草第一号。
それが、このマルバルコウソウ。
いったい、どこで区切って読めばいいのかと思った。

名前がわかれば、いろんなことがまとめて
知ることができる。

名前の由来は、まずルコウソウ(縷紅草)という花があって、
それに、丸い葉がついているようなものだからと、
丸葉(マルバ)・縷紅草(ルコウソウ)となったという。

カタカナでは、さっぱりわからない。

ちなみに、ヒルガオ科。

熱帯が原産地で、江戸時代に渡来した帰化花。
雰囲気もなんか日本的じゃないし、
ようこそいらっしゃいましたといいたい。

渡来とか、帰化とかいう言葉にすぐ反応したくなる。

エノコログサ(狗尾草)2007/10/19

エノコログサ(狗尾草)
秋には、どこでも見かける草。
情けないけれど、はじめて名前を知った。

「エノコログサ」は、どうして、「狗尾草」という
漢字をあてるのか、不思議でならなかった。

説明を読むと、「犬っころ」がなまって、エノコロ
それに、クサをぐけて、エノコログサらしい。
じゃあ、「尾」はあまるじゃないか。

漢字が「狗」だけでは、淋しいし、
字数も不足するみたいなので、
草の形から、「尾」をつけたのか。

なんか、まじめにつけたような、
ふざけたようなつけ方ですね。

これ「チカラシバ(力芝)」って呼んでいますか?2007/10/19

チカラシバ
「ひっつき虫」と言ったり、「毛虫」といったりして、
遊んでいた草。
名前は、これまた、本日知りました。
チカラシバ=力芝 というらしい。
何人が、この正式名で、この草を呼んでいるのか
私には、わからない。

名前の由来は、ひっこぬくのが大変。
つまり、力がいるってことから来ているのだという。
じゃあ、「芝」はなんなんだろう。

Wikipediaの記述を読んで笑ってしまった。
これって、まじめに書いているんだろうけれど。

『これを穂の下側の方から、長ズボンの裾から送り込んでやると、引っ張り出すのが難しく、体が動くにつれて中へともぐりこんで行く。それを見て笑うのであるが、うっかりするとパンツの中までももぐりこむので、結構痛い思いをする。』(wikipediaより)

クレオメ2007/10/19

クレオメ
にゃこりんさんに教えていただきました。
クレオメです。
辞書で見ると、
セイヨウフウチョウソウ(西洋風蝶草)とも
いうそうです。
でも、同じカタカナなら、「クレオメ」の方が
すっきりしています。
「西洋風蝶草」というのも、
なんか文明開化の明治風。

大津市の藤尾で撮影しました。
雨の日でした。

                            


BIN★「この記なんの記」ブログ情報 August 12 , 2011



 西南戦争、日清戦争、日露戦争、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争など、1867年から1945年の戦争にかかわる記念碑、戦死者・戦病死者の墓碑など。

戦争にかかわる碑

  ■ 忠魂碑・慰霊碑

    ○ 高島郡2町15村別の忠魂碑など

    ○ 大津市北部の忠魂碑(9柱)

    ○ 大津市南部の忠魂碑

民間墓地の戦没者

 □ 滋賀県の西南戦争の戦没者

 □ 高島市(高島郡)の戦没者

  ■ 西南戦争(西南之役) 1877年

   ● 戦病死者名簿

      *高島郡の戦病死者は15名(『高島郡誌』)

  ■ 日清戦争(明治廿七八年戦役) 1894~95年

   ,● 日清戦争戦没者名簿と墓碑の所在(旧高島郡)

      『高島郡誌』によれば、旧高島郡で日清戦争期の戦病死者は17名でした。

  ■ 日露戦争(明治三七八年戦役) 1904~05年

   ● 日露戦争戦病死者名簿 (旧高島郡2町15村版)

      ○ 旧高島郡高島町の日露戦争戦没者名簿

    ○旧高島郡安曇川町の日露戦争戦病死者名簿
○このブログに散在するのは、旧大津陸軍墓地の調査記録です。

 公的なものではなく、BIN★がいわばサイドワークとして行っていることです。変更や修正はこまめに行っています。なにかの目的で活用されるときは、ご連絡ください。
 □ ブロック 埋葬者名簿

     陸軍歩兵少尉から陸軍歩兵少将まで20基の墓碑がある

 □ ブロック 埋葬者名簿

     日清戦争期に戦病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     明治11年以降に大津営所で病死した下士官の墓地

 □ ブロック 埋葬者名簿

  ■ 大津市作成の名簿順

  ■ あいうえお順

     日清戦争期に戦病死した兵卒の墓地。士官候補生の墓碑1基。

 □ ブロック 埋葬者名簿

     明治8年から11年までに病死した下士官と
          兵卒の墓碑が37基


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段西側」の134柱と「下段東側」の5基で合計139基。
         すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿

     「下段東側」の墓地97基と「下段西側」1基の
          合計98基。すべて兵卒の墓碑。


 □ ブロック 埋葬者名簿(作成中)

     陸軍墓地に隣接した将校関係者の墓地
大津市の戦死者・戦病死者(明治44年『大津市志』による)

 □ 西南戦争の戦死者

 □ 日清・日露戦争
『大津市志』および「戦時事績」掲載の日露戦争戦病死者名簿

 □『大津市志』

 □ 滋賀郡膳所町

 □ 旧志賀町の日露戦争戦病死者名簿(戦時事績)